2013年7月1日月曜日

多崎つくるとアルジェリア人質拘束事件

今更ながら村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読了いたしました。ヨメが友達に借りたのをついでだから読ませてもらったというとても消極的な動機で読み始めたんですけどね。程よい長さで楽しくさっくり読めてしまいました。感想を書くとネタバレになる気がするので、どうしても気になる方は本稿の最後の方の不自然な余白を気にしてみてください。で、本稿において大事な事は、この本が前煽りでアナウンスされていたように、震災~原発事故と日本人の関係を意図的に描写しているように僕には見えたということで。そこから少し飛躍しますが、2013年1月のアルジェリア人質拘束事件の犠牲になった日揮の従業員に対する日本と日本人の反応について思い出したので今日はそれについて書きます。

まずは震災の話を。2011年3月。震災が起きた当時、僕はスペインにいました。あの事件から数日は、ネットのニュースから目が離せませんでした。ロクに仕事も手につかなかったのを覚えています。津波でいとも簡単に流されていく日本の街の映像に衝撃を受け、そして原発の事故で国土が全部汚染されて誰も住めなくなるんじゃないかと不安になりました。僕の家族、そして僕の帰る国が無くなってしまう不安で一杯でした。
あの時日本に居なかったという話をすると、たいていの日本人は僕に向けて「日本人の同胞としてみんなが経験すべき災厄からオマエだけ逃げた」という非難が少し混じった口調で「その後日本は変わったよ」と言うのです。具体的に何がどう変わったのかは説明してくれないんだけどね。。とにかく彼らはその場にいなかった僕に対して何かしら非難がましい口調になるのです。まるで自分達だけデスクイーン島で育ったとでも言わんばかりに。正直なところを申し上げると日本とスペインの違いがあまりに激しすぎて、帰国しても震災前後で日本が変わったとは僕にはあんまり分かりませんでした。だけど、帰国直後から僕が感じてる日本の住みにくさの一部は、もしかしたら震災以後にもたらされたのかもしれないですね。いや、そうであると願いたい。。

そして、アルジェリア人質拘束事件です。2013年の年明けに発生したこの事件のいきさつはについてはwebでいくらでも情報は入手できると思うのでそれを参照してもらうとして。僕が不思議に思ったのは犠牲になった日揮の社員に対する日本人の論調でした。当時首相(まぁこれを書いてる時点でも首相なんですが)の安倍晋三は7人の日本人が犠牲になった事に対して、企業戦士として世界で戦っていた人が命を落とし、痛恨の極みだ」と言っていました。僕は首相までがこんなこと言って大丈夫なんだろうかと思ったのですが、twitter等を見る限りでは当時大半の日本人はこの言説にほぼ「賛成、異議ナシ」状態でした。ここで「あれ?」って思ったわけです。
まず「企業戦士」という表現。これ、「企業戦士」とそれ以外では命の重さが違うと首相自らが言ってしまってるように見えるわけです。これは揚げ足取りでもなんでもなくて、日本政府としてパスポートを発給している限り、日本政府はすべての人を平等に扱うべきなのに、そんな意識がまるで無いことをあっさり宣言してしまっているわけですよ。さらに言うと、「戦士」という言葉が示しているように、この件を戦争とのアナロジーで取り扱うことを日本政府として公式に宣言しているわけです。
これはさすがにマズいだろう?と思ったのですが、twitter等では事件の犠牲者を「英霊」という言葉を使って美化するような人までいました。亡くなった方は「英霊」と呼ばれて祭り上げられるのを歓迎するのでしょうか?少なくとも残された我々にはそれを知る術さえありません。内田樹が言っているように、戦没者への供養の有り方は「我々は彼らがどのように供養されたいのか分からない」という謙虚さをまず持って臨むべきでしょう。

挙句、日本政府は政府専用機を出してまで彼らの遺体の回収に乗り出します。だけど、国外で亡くなった日本人なんてこれまでに沢山います。そのうちの何人かは不慮の事故だったりもするでしょう。今までそういった際に日本政府は亡くなった方の遺体回収のために何かをしたという前例は無いのに、なんでこのときに限って政府専用機を出したのでしょうか?
アルジェリアの事件で被害に遭った方はそれこそ「企業戦士」なので、彼らを送り込む側の日揮という会社もバカじゃないんだからそれ相応の準備は当然しているだろうし、彼らの遺体回収を実行するだけの能力が無いとは到底思えないし、日揮だってその責任があることくらいは理解しているだろうと思います。
例えばスペインという国では、学生ビザを更新する際でも「もしも死んだときには母国への移送費用をカバーする」という項目が契約に盛り込まれた保険に入ることが義務になっていました。海外への長期滞在者のための保険にはこのオプションが存在することを、海外に人を送り込んだりしている日揮という会社が知らなかったとは思えません。
かつて海外に在住していた者の率直な感想として、日本という国は僕が不慮の事故で死んだとしても絶対に政府専用機なんか出してはくれなかっただろうなと思います。そして同じ感想を「フリーランス」や「学生」、「芸術家」、「外国人と結婚した日本人妻」など、「企業戦士」ではない立場で外国に居住している日本人(僕の友達の大半がこのパターンでした)に与えただろうと思います。でも政府が本当に手を差し伸べるべき先は、遺体回収をする能力も資金も十分にある私企業の従業員ではなくて、何も頼れる物が無いまま海外で亡くなった力の無い日本人なんじゃないでしょうか?
その昔、戦時下のイラクにわざわざ出向いて行って人質になった日本人の開放のために日本政府が身代金を払った際には、人質になった日本人に対して非難の声が上がったのを覚えているのですが。人質になった人はともかくとして、少なくとも日本政府の対応としてはそれが正解だったと僕は思います。社会の論調はさておき、日本のパスポートを持っている以上、仮にどんな最低の人だったとしても助けるのが道理だと思います。

以上の通り、アルジェリア人質事件への日本人および日本政府の反応は僕には常軌を逸しているように見えました。だけど政府の対応を非難する言説はtwitterを見た限りではほとんどありませんでした。このときの僕の率直な感想は、「今、日本人は『悼む』という作業に熱中したいんじゃないだろうか?」ということでした。そして、そこまで彼らを駆り立てた物はなんなのかというとやっぱり原発事故なんじゃないかと思えたのです。
原発事故について振り返るときに、日本人は「原発の作る電気に依存する生活を享受してきた」とか「原発を推進している自民党が政権与党である世の中を許容してきた」といった自己批判に必ず直面せざるを得ません。しかも原発事故の直接のキッカケは地震と津波という自然災害です。相手が人ではなく自然災害だと具体的にそれを「悪」として憎むことができないんじゃないかと思うのです。つまり、津波や原発事故について振り返るときに、日本人は必ず自己批判を伴い、そして怒りを向ける先の犯人もはっきりしないのです。
それに対してアルジェリア人質事件の場合は、日本人は何の自己批判や痛みも伴わずに「悼む」という作業に没入できたのだと思います。イスラム原理主義なり、外国なりを「悪」として憎んで、そんな悪によって損なわれた被害者の方を、こういっては大変失礼ですが、日本人は「安心して悼める案件」として扱っていたように僕には思えるのです。
そして。繰り返しになりますが、彼らがここまで「悼む」という作業に耽溺したがった理由というのは、津波や原発で亡くなった人について「悼む」ということを自己批判の辛さのために十分に行えないままであることや、あれだけの災厄をもたらしたにも関わらずまた原発を動かそうとしていることへの罪悪感なんじゃないかと思います。


多崎つくるについてのネタバレ的考察
これは震災とそれに対する日本人の接し方を描くことを、少なくとも一つの意図とした作品だと思います。非の打ち所の無い美人でピアノの上手な「シロ=ユズ」は現代科学の粋を凝らして作られた原発そのものの象徴として描かれています。「シロ=ユズ」は最初から「全てが完璧なんだけどいつか壊れてしまうことが約束されている物」として描かれています。
そして、彼女はやがて誰なのかもわからない巨大な悪によって損なわれて、最後は殺されてしまいます。これは津波を象徴するものです。
彼女以外の残り4人は原発事故と日本人の関わり方を示しています。彼女がいつか壊れていく存在であることを薄々理解していたはずなのに5人組のグループを謳歌していた彼らが持つ罪悪感、壊れて行く彼女をなんとかしようと頑張ったけどどうにもならなかった無力感、などなど。特につくるとクロは罪悪感を募らせた先に自分がシロを殺したのではないか?という強い意識を持っています。彼らは原発という物がいずれ問題を起こすことをなんとなく分かりつつも原発に依存した生活を謳歌していた日本人であり、原発事故が起きた後に罪悪感や共犯意識を募らせながらもそれぞれなりに折り合いをつけて生きていこうとする日本人でもあります。

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