2016年5月3日火曜日

日本のヒーローはマンダラ的な宇宙を描きながら増殖する

ここ最近、一歳の子供がアンパンマンにハマっています。子供用のグッズって何かしらアンパンマンの絵が入ってることが多いですよね?うちの子供の場合も、アンパンマンのキャラが描かれたお風呂用の柄杓をやたら気に入ってしまったのをキッカケに、あれよあれよという間に気がついたらアンパンマンが大好きになってしまいました。
かくして、子供と一緒にアンパンマンをテレビで見てみたら、青いドキンちゃんみたいなキャラが増えていることに気づきました。「コキンちゃん」という名前で、ネットで調べて見たらコキンちゃんは「ドキンちゃんの妹分」なんだそうです。でも「妹分」であって血縁上の妹ではないんだそうです。大昔に「バタコさんとジャムおじさんは血縁関係に無い」というのを知ったときにもちょっと意外に思ったのですが、それと同じルールがドキンちゃんとコキンちゃんにも適用されているようなのです。
あそこまでアンパンマン側もバイキンマン側もファミリー化しているにもかかわらず徹底的に血縁関係が排除されているのは、飛躍しすぎかもしれませんがポル・ポトを連想させます。ポル・ポト政権下のカンボジアでは「親子」を廃止するために5歳以上の子供は強制的に親から隔離されたそうです。あらゆる階級を廃絶してフラットな原始共産主義へと改革する一環だったそうですが、ポルポト政権の是非はさておき、このユートピア観はアンパンマンの世界観に何かしら通じるものを感じます。

アンパンマンに限らず仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズ、プリキュア(もっと言うとAKBやジャニーズ)まで、とにかく日本のヒーロー物はマンダラ的な宇宙を描きながらキャラが増殖していくのです。これらの元祖はどうやらウルトラマンのようなのですが、こちらもファミリーでありながらウルトラの父母の実子はタロウのみだったりします。エースは孤児だったとか、セブンはウルトラの母方の親戚だとか、こういった設定はプレモダンな地縁社会、若しくはヤクザにおける「家」の概念を想起させます。
アンパンマンにしてもウルトラマンにしても、共同体のモデルは違えどもヒーローがファミリーを形成しながら増殖していくという点は共通していて、ここにはおそらくマンダラ的な宇宙観を持った日本人の宗教感覚がそのまま反映されているように思えるのです。別の言い方をすると、一神教の世界観だとヒーローが次々増えていくことが起きないのです。例えばスパイダーマンやスーパーマン、バットマンなどのアメリカンヒーローを考えてみてください。日本のヒーロー物のように次々とキャラが増えていくようなことはないですよね?

日本のスーパー戦隊シリーズは一作品ごとにタイトルからキャラクターまですべてリセットされますが、スーパー戦隊シリーズを海外ローカライズした「パワーレンジャー」では作品間の切れ目が無くすべてが1つながりの世界だという設定になっています。タイトルも一貫して「パワーレンジャー」です。例えば式年遷宮のようにリセットが大好きな日本人にとっては作品ごとに全部リセットされるのは別におかしなことではないのでしょうが、この感覚が欧米人にはどうしても受け入れられないんだろうと思います。5人の戦隊ヒーローがいて、生身で戦った後に巨大ロボットに乗り込んで戦う…というプロットが共通である以上、それらは1つながりの物語であるべきだと。だからこそわざわざ設定を後付けしてまで「パワーレンジャー」という一神教的な世界観に馴染む形にアレンジしたんだと思います。
一方で、日本のテレビ黎明期には月光仮面のようにアメリカンヒーローをそのまま導入したような事例もあったようです。wikipediaによると月光仮面の当初のコンセプトは「和製スーパーマン」だったそうです。このテレビ黎明期の「和製アメリカンヒーロー」は単にネタに困ってアメリカのヒーローの真似をしたというだけではなく、「アメリカを肯定的に受け入れなければならない」という日本人の集合的無意識が反映されているように僕には見えます。

以上でだいたい書きたかったことがまとまってしまったのですが、最後に「変わり行くアメリカンヒーロー」について少々。ここまでの下りでは「アメリカンヒーロー」というのは
・助手や相棒程度はいるが、基本的にピンで行動する
・誤解されたり非難されたりすることもあるけど、みんなのために一人で戦う
・つまり孤独
という、「世界の警察」としてのアメリカ合衆国のメンタリティを代弁するようなキャラクターを前提にしてきましたが。最近のアメリカンヒーローはMarvelの「アベンジャーズ」のように「ヒーロー連合」のような形態をとりはじめました。これは今までには無かったことです。そしてMarvelの最新作「civil war」では、とうとうキャプテンアメリカ組とアイアンマン組に分かれてヒーローが対決するそうです。そして、時を同じくして「バットマン vs スーパーマン」という映画も日本で公開されています。
日本のヒーローは今後もマンダラ的な宇宙を描き続けると思いますが、アメリカのヒーロー事情はアメリカという国の衰えとそれに伴う内省を代弁するように徐々に様変わりし始めているように見えます。「ヒーロー連合」は絵が豪華になる反面、一回それに手を出してしまうと今後アイアンマンやバットマン単品の映画を作ってもどこか寂しい絵になりはしないかと思ったりもするのですけどね。