2018年3月21日水曜日

「HUGっと!プリキュア」は女の子に過大な要求を突き付けてるんじゃないだろうか?

早いもので我が家の娘も春から幼稚園に入ることになりました。ここ最近は女子向けのアニメだけでなく仮面ライダーやスーパー戦隊、ウルトラマンなどの男の子向けの特撮まで見るようになって、ますますテレビっ子ぶりに拍車がかかってる感があるのですが。幼稚園に入ったら男の子とも一緒に遊べるようになるはずだと前向きに考えることにしたいと思います。
1月が娘の誕生日だったのでその時期に誕生日プレゼントに何が欲しいのか聞いたところ、「プリキュアのマスコットのぬいぐるみ」と言われました。しかし、その時点でプリキュアは2月から新しいシリーズに入ることが分かっていたので親としては「いや、先回りして次のプリキュアのマスコット買おうよ?」と言いたかったのですが。まぁ、子供にそんなこと言って理解してもらえるわけもなく、結局その時やっていたプリキュアアラモードのマスコットをAmazonでポチっとお買い上げしました。
この時点ではまだ放映が続いていたにも拘わらずAmazonではすでに半額くらいに値引きされていたので、「あー、もう在庫を売り切るモードに入ってるんだな」と思ったのですが。今おもちゃ売り場では2月までで放映が終了した旧プリキュア(プリキュアアラモード)と旧スーパー戦隊(キュウレンジャー)のおもちゃは残酷なほどに値引きされて叩き売られています。おもちゃ業界のこのあたりのフットワークの軽さと冷酷さには驚かされますが、なんでこうなるかもよくわかりました。というのも、子供達の関心も放映終了と同時に急降下して次の作品に移ってしまうみたいなのです。

さて本題の「HUGっと!プリキュア」なのですが。「子供達にとって一番身近なお母さんこそ女の子にとっての強く、優しく、カッコいいヒロイン像を体現している」というコンセプトを掲げているそうです。その点では過去のプリキュアとは少し一線を画すことを意図しているんだろうということは見ているこちらにも伝わってきます。プリキュア達は悪の組織に狙われている謎の赤ちゃんをお世話しつつも、悪の組織と戦っているという話になっています。まぁ、ここまではいいんですよ。プリキュアとしては新機軸なんでしょうけど、セーラームーンまで遡れば未来の子供(ちびうさ)が出てくること自体は前例がありますしね。
ところがこの一方で、この作品の掲げているコピーは「なんでもできる!なんでもなれる!輝く未来を抱きしめて!」なのです。ここからうかがえるように、「キッザニア東京」のように子供に将来の職業について啓蒙することもこの作品のもう一つのテーマのようなのです。だから、プリキュア達に色々な職業体験をさせるようなシーンが多く盛り込まれていますし、エンディングの歌なんて「将来アレにもコレにもなれる」みたいなことをひたすら羅列して歌ってたりします。
以上より。「HUGっと!プリキュア」は「母性」と「労働者としてのキャリアデザイン」という二つの要素を同時に子供に啓蒙しようとしているように見えるのです。この二つは決して対立する概念ではないので両立は不可能ではないし、両立することを求められる方向に日本の社会も向かってはいるのでしょう。でも、現状ではまだまだ両立なんて難しいわけで、その二つを同時に突き付けるのはなんだか子供が気の毒なように思えてしまうのです。

ちなみに、日曜日の朝のテレビ朝日はプリキュア→仮面ライダー→スーパー戦隊という流れになっています。つまり、プリキュアの後には仮面ライダーとスーパー戦隊が控えているわけですが、これらの男の子向けの特撮番組は、プリキュアとは対照的にこれといって子供に何かを過大な要求を突き付けているようには見えないのです。
これらの特撮番組が「強くてカッコいい正義のヒーローが戦ってる姿を楽しむ」という娯楽性によって成り立っているということは僕が子供の頃とさして変わっていないように思えます。スーパー戦隊に限って言えば、「5人という縛りをやめる:キュウレンジャー」→「スーパー戦隊が怪盗側と警察側に分かれて戦う:ルパンレンジャーvsパトレンジャー」という風に、むしろ既存のフォーマットを崩して柔軟に新機軸を導入しているようにさえ見えます。
そんなわけで、「HUGっと!プリキュア」とその後の男の子向けの特撮を比較すると、なんだか女の子は色々要求されていることが多すぎて気の毒なようにどうしても思えてしまうのです。