2021年1月3日日曜日

nikeのCMとアメリカ村の苦い思い出

あけましておめでとうございます。月に1回程度しか更新しないような開店休業状態を長年続けているこのblogに熱心な読者がいるかどうか、僕の知るところではないですが。もしいるとしたら、本年も月一くらいのペースで更新しますので、思いついた時にチェックしてください。
今年は僕の冬休みが一週間もないので、これを書いている現在は「明後日は仕事始めだ、やれやれ」という気持ちです。そんな状況なので、せめて去年からずっとここに書きたかったことを少ししたためてみようと思います。

このblogの端々で時折言及しているように僕は高校卒業まで大阪で育ちました。高校生くらいにもなるとそれなりに流行りの若者文化に触れたくなったりするもので、当時の関西の若者文化のアイコンでもあったアメリカ村にビビリながらも足を踏み入れたことが何度かありました。しかしながら、アメリカ村のショップ店員もその道のプロですから、「あー、イケてないグループの子が頑張ってアメリカ村に来たんやな」ということはすぐに気取られてしまうのです。それを察知するや否や、ショップ店員達は「君、このシャツで決まりちゃうん?」とタメ口でいきなりまくし立ててくるのです。そこには、イケてない高校生を見下すようなやや侮蔑的なニュアンスも含まれていたように思います。こちらとしては、「なんでナケナシの金払ってまでオマエの言いなりにならなあかんねん!選ばせろ!」と、著しく気分を害するのですが。入る店ごとに同じことの繰り返しになるので、金もない上にイケてない自分が悪いかのような気分を引きずりながら何も買わずに逃げるようにアメリカ村を後にすることが何度かありました。

高校生の時のアメリカ村の話がだいぶ長引いてしまいましたが、そろそろ本題です。ちょっと前にnikeのCMが色々騒がれていた件についてです。あれについて「日本に差別は存在しない」などと言って攻撃するネトウヨについては、今更どうこう言う必要もないと思うのですが。でも、僕も一周回ってあのCMがあんまり好きになれませんでした。理由は、高校生の時にアメリカ村のショップ店員から感じたのと同じような上から目線の態度をあのCMから感じたからです。
つまり、スポーツの持っている力をnikeが政治利用しようとしているのがどうしても鼻についてしまったのです。「スポーツや芸術にはしばしば人種や宗教や政治の枠を超える力がある。それに人は感動することがある。」これは事実だと思います。でも、それはあくまで受け手が選択するものであって、スポーツ用品を売っている企業が「ほら、スポーツすごいでしょ?感動するでしょ?」という押し付けがましい態度を取ってしまうと一転して興醒めするようなものだと思います。

故・ナンシー関は、90年代くらいから日本のTVのオリンピック報道が「感動をありがとう」といった感動ポルノの形になっていルコとを鋭く指摘していました。30年近く経った今も、日本という国は未だにスポーツを「感動ポルノ」の文脈でしか扱えない、いや、むしろ昔よりむしろひどくなってきているのではないかとさえ思います。繰り返し申し上げますが、スポーツが感動を呼ぶことは否定しないのです。でも、「感動」するかどうかについては受け手に100%の自己決定権が与えらるべきです。スポーツ用品のメーカーやテレビ局が勝手に受け取り方を強制する権利はないと思いますし、むしろスポーツによってもたらされる感動というのは、そういう社会的な押し付けによって一瞬で興醒めするような類の物だと思います。

言いたいことはだいたい終わりなので、冒頭のアメリカ村のショップ店員の後日譚を少々。その後、社会人になってそこそこ自由になるお金も手にした後に、僕は正月に実家に帰省しました。丁度これを書いている今くらいの時期でした。とはいえ正月に実家にいてもやることが特にないので、相当久しぶりにアメリカ村へ行ってみることにしました。そこで僕は積年の恨みを晴らすためのショップ店員撃退法を編み出したのです。店に入ってしばらく経つと必ず寄ってくるショップ店員に「何探してんの〜?」と聞かれたら、「微妙にダサい服ない?」と返すのです。
彼らは「カッコいい」を上から目線で客に啓蒙することには慣れている、というか、それ以外の可能性について考えたことがそもそもなさそうなのです。なので、「微妙にダサい服ない?」と返されると、彼らはほぼ思考停止状態に陥ります。そして、「え〜っと〜‥‥‥微妙にダサい服‥‥‥」と、困惑しながらも店の中の服をあれこれ探した後で「え〜っと、これとかどう?」と半分笑いながらヤケクソで言ってきます。ここで間髪入れずに「いや、それホンマにダサいだけやん。ぜんぜん微妙じゃない。」と返すと、彼らはグウの音も出なくなります。

かくして、アメリカ村のショップ店員を撃退する必勝法を編み出した僕は、高校生時代からの積年の恨みを晴らすため、アメリカ村のアパレル店に入っては同じことを繰り返して、ショップ店員を切って捨てて歩いたのでした。これももう15年も前の話なので今のアパレルで同じことが通用するかはなんとも言えませんが、アパレル店員との付き合いに困っている人は一度お試しください。もう干支一回り以上行ってないけど、アメリカ村ってまだあるのかな?