2018年11月10日土曜日

プロ野球選手の茶髪の是非については高校野球の丸坊主とセットで議論すべきでは?

日本シリーズが終わって、日本のプロ野球はオフシーズンに入ってしまいました。「入ってしまいました」という言い回しには、「もうちょっと長引いて面白くなって欲しかった」という思いが裏書されています。今年の日本シリーズはホークスが福岡で流れをつかんで、そのままの勢いで一気に押し切ってしまった感がありました。新井が有終の美を飾るために広島に勝たせてあげたかったとか、そこまでは言わないにしても、カープが広島でもう一勝くらいして粘って欲しかった気持ちはります。
一方、優勝したホークスですが、工藤監督のインタビューにはどうしても気になる一言がありました
就任時に「茶髪、ヒゲ、ガムなど禁止」と厳しい姿勢を打ち出したが、今年8月にはガムを解禁。茶髪、ヒゲも黙認している。だが工藤監督は「よくなかったかな。今は認めているけど、来年は締める。キャンプも厳しいものにする」と言った。
これを現役のプロ野球選手に求める理由が「ユニホームを脱いだ後の3年間で学んだ大事なことだからなんだそうです。つまり、現役の頃の自分が理解できなかったことを、現役のプロ野球選手に押し付けることに対して、彼は特に葛藤のようなものを感じてはいないんだろうということもこのコメントから読み取れます。

茶髪やヒゲがNGというのはスーツ着て働く人達の世界観で会って、僕みたいなエンジニアの職場ではそこまでは問題になりません。そして、そのしきたりの是非はともあれ、このルールは日本という国にローカルなものでしかありません。ヤクルトのバレンティンなんて腕にすごい刺青入ってるけど、あれはどうなんでしょうか?茶髪やヒゲよりも刺青の方がはるかに問題になりそうですが、おそらく「外国人は日本のローカルルールの適用外」というダブルスタンダードによって黙認されているんじゃないかという気がします。
海外のサッカー選手や野球選手は全身に刺青が入っているような人がたくさんいますが、海外でも一般市民であそこまで刺青が入っている人はあまり目にする機会がありません。彼らプロスポーツ選手の刺青は一般市民とはかけ離れた自由業の象徴のようなものなんだと思います。かといって彼らの刺青に対して一般市民が反感を持っているというわけでは…たぶんないんだと思います。プロスポーツ選手が「夢を与える職業=非日常の世界」なんだったら、刺青でも茶髪でもなんでもいいから好きにやっていいんじゃないかと僕も思います。

そもそも、茶髪ってひと昔前に比べて最近あまり流行らないですよね。茶髪が流行らなくなったことと日本の右傾向化は水面下で繋がっているような気がするのですが、それはさておき。なんで野球選手が茶髪にしたがるのかという理由を考えると
  • Jリーグなど他のプロスポーツへの対抗意識
  • 単純にヤンキー文化だから茶髪が好き
  • 高校でずっと丸坊主を強制されてきたことへの反動
こんなところでしょうか?特に最後の丸坊主の恨みというのは結構根深い問題なんじゃないかと思うのです。高校野球を見ると、未だに大半の球児は丸坊主です。高校球児の丸坊主も僕から見れば高校野球は旧日本軍を慰霊するために上演される能であるという文脈に連なっているように見えるのですが。ともあれ、思春期にずっと丸坊主を強制されて野球をやってきた彼らは、それに耐えて高校卒業後にプロ野球選手になって「ようやく頭髪の自由」を手に入れたのではないでしょうか。だから彼らはその自由を最大限行使するために茶髪にしたがるように思えるのです(あんまり長すぎると邪魔になるので、長さ方向に限界があるので色に向かってしまうという理由もあるのかもしれません)。

中島らものエッセイに、中学生くらいまで丸坊主を強制されていたことの反動で、高校生くらいになって服装や頭髪が自由化されたら途端に長髪で奇抜な服装になった…という話が時々出てきます。もしも野球選手の茶髪が問題だというのであれば、高校野球の丸坊主を見直すこととセットで議論すべきなんじゃないでしょうか?