2015年5月24日日曜日

90年代の70年代ブームと成熟できなかったおじさん達

いまから約20ほど前、90年代の中盤から後半に”70年代ブーム”というのがありました。この70年代ブームがある日突然やってきたのことは今でも鮮烈に覚えてます。例えば、ファンだという人に一人も会った事が無いMi-Ke(70年代風音楽のアイドルグループ)がやたらテレビの歌番組に出て来たり、裾の広いズボン(パンタロン)なんかがこの時期に流行ったり、ドパドパうるさいだけの貧相なアメリカンバイクのアイコラみたいなのが流行ったりしたのです。僕は80年代のズボンの裾がきゅっと締まっている文化を幼児期に刷り込まれて育ったので、あの70年代ブームというやつが生理的に受け付けなかったのです。たぶん、世の中と自分の感覚がズレていると初めて感じた時だったんだと思います。
さておき。今思えば90年代に70年代ブームを作っていたのは今の僕と同い年くらいの30-40代のおじさんだったのでしょう。で、20年たった今、その彼らは60歳前後の社長や部長や首相といったポジションに立っていて、20年越しにサラリーマンとなった僕は彼らと再び対峙しているように思えるのです。

彼らの表面的な特徴として、とにかく「おじさんとして成熟する機会を逸したまま、いつまでも気だけは若作りである」というのがあります。だってほら、70年代文化を10代の頃に刷り込まれて育ち、80年代にはバブルを謳歌し、90年代には70年代ブームを作り、その後の世代に向かって「俺はLed Zeppelinは中学生の頃に現役で聴いてたぜ」とかイキってられたりしたわけですよ。だから、「世の中からズレてるおじさん扱いされる」という局面を一切経験せずに気だけ若いまま60前後になれたんじゃないかなと思います
このおじさん達を評して内田樹先生は「60年代くらいにユースカルチャーが台頭してきて『若い事は素晴らしくて価値がある、老人は害悪だ』という風潮の中で育ち、その後『年を重ねることによる成熟』という道を放棄した世代」と半ば自戒を込めて言っていました
森毅先生の名言botに今までスタイルを作ってきて、そのスタイルに合わないものをうまく活かすといのが中年の自立でないといかんわけ、本来は。日本の会社の問題点は、中年の自立がないことよ、中間管理職に。かえっておじいさんの方がそういうことを気にしていたりするのね。経営者あたりが。というのがあったのですが。この発言がいつ頃かは分かりませんが、多分この時の中間管理職が今の60くらいのおじさん達なんじゃないかなと思うのです。

ちなみに。安倍政権を支持している人っていうのにもほとんど会った事がないんですよ。日本人ってそんなに政治の話を人前でしないから会った事があるのに僕が気づいて無いだけなのかもしれませんが。「安倍政権を支持している層」というのはMi-Keのファンと同じように「本当はいないんじゃないか?と時々思うのです。

2015年5月14日木曜日

日本のプロスポーツと外国人

プロ野球が開幕して一ヶ月になりますが、巨人がシーズン開始直後に連れてきたドミニカ人の新外国人がなかなかの問題児なんだそうです。太りすぎだし、打てない、守れない、さらに素行も悪いということで、来日していきなり一軍で試合に出たかと思えば、たった5日で二軍行きになったそうえす。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/397935/
この記事を読んだ限りで一つだけどうかな?と思ったのは、川相ヘッドが背後から「グッド・モーニング!」と声をかけたが、巨漢の“問題児”は、なんと背中を向けたままあいさつを無視。というくだりです。件のドミニカ人はどうか知りませんが、たとえばスペイン人だと必ずクラッチが噛み合った状態で目を合わせて挨拶するのが当たり前なのです。だから、背後から挨拶されるということが起こり得ると本人がそもそも思ってない可能性があるんじゃないかなと思うんです。
さておき、この人自身の資質や態度にも問題があるのは明らかですね。去年相手をしていたインターンの学生がまさにこういうタイプ(周りの空気を一切気にしない、人に迷惑かけてる自覚が無い、異文化に合わせようという気が無い)だったので他人事とは思えない反面、自分が被害を受けない距離にいる限りは「一人くらいこういう奴がいて、たまにすんごい場外ホームランとか打ったりするとプロレス的な面白さがあってプロ野球が面白くなるんじゃないかな?」とか思ったりするのですね(ちなみに去年のインターン生は残念なぐらい仕事ができませんでした)。

さておき、このニュースを見てから日本のプロスポーツに外国人はいつから登場するようになったのか気になってちょっと調べてみました。すると、日本のプロスポーツに外国人が加わるようになった時期は68-69年くらいの時期に集中していることが分かりました。


■プロ野球
戦前のスタルヒンなどの例外を除いて、1970年から外国人助っ人が日本でプレーするようになったようです。1970年は巨人のV9時代最盛期で、圧倒的な強さを誇る巨人とそれ以外の戦力格差の是正という趣旨もおそらくあったんだろうと思われます(巨人はV9終了までは外国人選手を使っていなかったようです)。

■相撲
高見山が幕内デビューしたのが1968年です。

■プロレス
終戦直後からしばらくは、力道山vsシャープ兄弟に代表されるように外国人は欠かせない存在でした。ただしこの時期の外国人レスラーはシャープ兄弟を筆頭にほとんどヒール(悪役)でした。この構図には敗戦国日本のルサンチマンが見て取れるわけですが、そこから逸脱して外国人レスラーがベビーフェイス(善玉)として人気者になったのはデストロイヤー、マスカラス、ファンクス辺りが最初で、やっぱり70年より1,2年くらい前の話です。

ここまでで列挙した外国人はざっくり言うとアメリカ人なんです(マスカラスはメキシコ人ですが、彼もアメリカのプロレス経由で日本に来てたので文脈としてはアメリカ人と言って良いでしょう)。一方で、この70年より数年前というのは全共闘や70年代安保の全盛期です。
自分が生まれる前の時代の話なので半分推測でしかないのですが、それまでの”外”にある絶対的な立場にあった戦勝国=宗主国であるアメリカとの関係がこの頃くらいから変わり始めたんじゃないかなと思います。そして、この頃になって日本人は敗戦国としての反米感情とそれなりに折り合いをつけて外国人(=アメリカ)を自分たちの側に受け入れ始めたんじゃないかなと思います。