2019年6月17日月曜日

プレゼンの時間を大幅に超過する彼らは何が問題かというと

ここ最近は、日曜のお昼ご飯を「NHKのど自慢」を見ながら食べるのが我が家の定番になってきました。年齢も社会階層も違う色々な人が「歌」で繋がっているのが面白いのです。この番組は全体としては日本社会の均質性を体現している一方で、その中で出演者が無自覚のうちに放っている日本社会の微細な多様性が垣間見えるのです。毎回必ず最低一人は「この人普段何してるんだろ?」と考えてしまうような不思議な人が出てくるんですよ。
しかし、のど自慢を見ていて時々「あーあ。。」と思うことがあるのです。歌い終わった後のアナウンサーのインタビューに対して、どうでもいいことを延々喋って尺を食ってしまう人が必ず一人はいるのです。たいてい年配のおじさんで、しかも、合格じゃなかった人。アナウンサーも「さっさと会話を切り上げたい」という空気を相槌の端々に匂わせているのに、空気を読まず(読めず)そのまま尺を食ってしゃべり続けるので、見てるこっちもハラハラ、イライラすることになるのです。

これと同じような気分になるのが、会社で限られた時間枠内で複数人がプレゼンを行う機会です。月に最低1回はこういう機会があるのですが、想定されている時間配分を守ってオンタイムで進行することなんてほとんどありません。最初からできるわけないと分かっているのに「質疑応答込みで一人10分で、終わりが近づいてくるとベルを鳴らしますから、時間厳守でお願いします」とか言うだけは言うんですよ。でも、場を主催している側も言うだけは言うけど本気で守らせるつもりが無いんですよね。
特に前に立って喋るのがエラいオジさんたちばかりなのにことごとく時間超過していると、「この会社は自分の喋る尺も管理できないようなオジさんでも管理職になれる会社です。しかも、場を主催する立場の人もそこそこのポジションのくせに、オジさんたちが尺を超過することを分かっていながらなんのリスクヘッジできません。というより、しようという気がありません。」ということをわざわざ下々を集めてプレゼンしてるだけにしか見えなかったりするときもあります。

先日、まさにそんな場で自分が最後に発表する立場だったのですが。最初の人がいきなり所定の時間の1.5倍も使ってしまったために、そのフォローのために自分の発表の内容をいくつか削ったり、巻きで話すために色々とせわしなかったり…というような目に遭いました。終わった後さすがに本人から「反省しました」というメールは届いたのですが、彼がこうやって時間超過した皺寄せを受けるのは今回に限ったことではありません。
この文脈で言いたいことはこのblogの初期の投稿「遅刻に厳しいけいど終わる時間には寛容な日本人」にも通じるところがあります。日本だと始まる時間には意味不明なまでに厳格ですが、尺を管理できずに時間を超過することにはなぜか寛容です。僕から見ると、仮に遅刻したとしても残り時間に応じてプレゼンの内容を適切に再構成して時間内に終わらせられる方が、終わった後の時間は予定通り進むのでマシだと思うのですが、なぜか日本人はそうは思わないみたいです。

この話を展開した先に到達する結論を一言で言うと「プレゼンの時間が守れない人は日本型マザコンの特徴である」になるのですが、この話を始めると長くなるのでそこは置いとくとして。プレゼン時間の尺を守れない人に共通しているのは、だいたい話を聞いててもつまらないということです。いつまでも聞いてたくなるような面白い話だったら、時間超過してもらってもまだ許せなくもないのですが。残念ながらプレゼン時間を過剰に超過する人の話が面白かったという事例はほとんど記憶にありません。
なぜこうなるかというと、彼らの本質的な問題点は「自分が分かっていほしいことを話している」からなんだと思います。わざわざこうやって書くのも躊躇するくらい凡庸でつまらない一般論ですが、プレゼンの基本としては「相手が聞きたいことを話す」だと思います。ところが、時間を超過して喋り続ける彼らはこのような受け手の視点から自分の話の内容を検討することができてないように思います。だから彼らは受け手から見ると「どうでもいい話」に時間を割いてしまうのではないでしょうか?僕にはそんな彼らは「自分をそのまま受け入れてくれるママ」に向かって喋っているように見えます。