2023年7月9日日曜日

山下達郎が「やらかしたつろう」になった件について

音楽プロデューサー松尾潔のTwitterでの発言に端を発した一連の騒動で、山下達郎がラジオを通じて釈明をしたけど、あまりに釈明にもなってなさ過ぎて炎上している…という2023年7月9日にこれを書いています。この件のいきさつについては、たとえ10年以上経っても何かしら掘り起こせるだろうと思うので省略します。もし何のことやらわからないという方がいらっしったら「松尾潔 ジャニーズ 山下達郎」くらいで検索してみてください。僕はこの件は10年経っても語り草になるくらいの事件だと思います。

本件に関する山下達郎の言い分の詳細を検証する前に申し上げておきますが、少しまで僕は山下達郎をどちらかというと好意的に捉えてきた側でした。以前、「騎士団長殺し」と佐野元春という投稿をしたことがありましたが、山下達郎も佐野元春と同様に「ヤンキー性がほぼ皆無である=自分が育った洋楽へのリスペクトをそのまま基本姿勢として貫く人」という文脈に属していると思っていました。山下達郎の場合は所謂「ブラックミュージック」への傾倒もあって、佐野元春ともかなりテイストは違っていましたが、だからこそ「ブラックミュージック」に伏流している「権力から搾取/差別される側の苦悩」に対して同情的な姿勢を期待してるところがありました。

しかしながら。。本件についてのラジオを通しての山下達郎のコメントは、あまりに納得感がなさすぎたと思います。強いて挙げるならこういうことかなと思います。

  • 「ジャニーさんの功績に対する、尊敬の念は、今も変わっていません。」と、業界人視点をチラつかせながら、一方で「音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情など、まったくあずかり知らぬことです」というダブルスタンダードは説得力に欠けるのではないでしょうか?
  •  本当に業界人ならば、一般庶民である我々でさえ昔からうっすら知っていた程度のことを知らないなんてことはまずないでしょう?
  •  「職人気質」というキャラを持ち出せば、政治的な責任を忌避できるかのように思っているのかもしれないですが、自分にかかった疑惑について公共の電波を使って都合のいいい釈明をしようとする態度そのものが政治的だと言わざるを得ない。

山下達郎のファンという層に対する勝手なイメージなのですが、「自分は世間の流行り廃りに流されない独自の価値観を持っている=自分はアホではない」という意識を持った人が多いのではないかという気がするのですが。もしそうだとしたら、山下達郎の今回のコメントは「細かいところにいちいちツッコまずに全部真に受けてくれるくらい、あなたがアホであることを願っています」と言ってるように僕には見えます。

これはかなり致命的にやらかしているのではないか?と僕は思います。彼が音楽を通して積み上げてきたアレやコレがかなり台無しになってしまったのではないかなと思わざるを得ないです。だからこそ今回の件については「やらかしたつろう」と言われても致し方ないのではないかと思います。

2023年7月2日日曜日

「Majiで引退する5秒前」でもいいんじゃないかな?

前回の続きで、ヒロスエの話です。タイトルが何のことだかわからない人は、「MajiでKoiする5秒前」でGoogleで検索してみてください。

 90年代後半のヒロスエの存在感は群を抜いていました。あそこまで誰もがMajiでKoiしちゃいそうな絶対的なアイドルはヒロスエの後に見たことがないです。あれからヒロスエはパッとしない男と結婚して子供を産んで、また再婚したりしてきましたね。その傍らで、特に演技が上手なわけでもないのにドラマに出て…四半世紀ほどの時間をかけて彼女は絶対的なアイドルから「普通の芸能人」のレベルまで降りてきたのではないかと思います。これは、きっぱり引退した山口百恵とも、いつまでも半端にアイドルでいようとし続けた松田聖子とも違うキャリアパスだと思います。言うなれば、ヒロスエは「人間宣言」をして特別なポジションを自ら降りることを選んだのです。

このヒロスエの四半世紀に渡るキャリアパスについては、日本のテレビも共犯関係にあると思います。今になってヒロスエを未だに四半世紀前の「絶対的な存在」だったことにして騒ぎ立てているのはズルいんじゃないかなー?と僕は思います。政治家の不祥事のマスキングなど、そこまでしなきゃいけない理由が何かしらあるのではないかと勘繰ってしまわざるを得ないですよね。猿之助を今更になって逮捕しているのもその文脈のような気がします。それでも、ヒロスエがこれを期に日本の芸能界から引退して鳥羽シェフと二人で幸せに暮らすなら、それでもいいんじゃないかな?という気がします。それはそれで四半世紀に渡る彼女の「人間宣言」の集大成と捉えることができるのではないでしょうか。

ヒロスエそのものについては以上で終わりなのですが、この件についてキッチュこと松尾貴史が非常にマトモなことを言っていました。
昔は「浮気」と言っていたのがいつの間にか「不倫」という言葉の方が一般的になったけれど、当事者にしかわからない状況や事情があるだろうから他人がその人の倫理についてとやかく言うことではないと思います。そして、秘め事の私信を世間に晒すということの方がよほど倫理に悖ることではないですか。
かつて日本のワイドショーは不倫なども含めて連日芸能人の恋愛などのネタを毎日のようにつつきまわしていました。あれはあれでどうかとも思いますが、当時は芸能人の存在自体がとても特別なものであり、「庶民が芸能人の恋愛をコンテンツとして消費している」という世界でした。

大昔の石田純一の「不倫は文化」発言も、「特別な芸能人」である石田純一の言動として話題になったと言えるでしょう。それなりの騒動にはなりましたが、だからといって石田純一は決定的にテレビから干されるようなことにはならなかったわけです(その後自民党にアンチな姿勢を出したところテレビに干されたのですが)。しかし、いつからでしょうかね?たぶんゲスとベッキーくらいからではないかと思いますが、この国では芸能人の不倫は「いじめコンテンツ」として庶民に消費されるようになりました。

ちなみに件の「不倫は文化」発言の際に、それについてビートたけしがコメントを求められたところ、「最後はカミさんに頭下げて『ごめんなさい』って言うようなもんだと思うけどな…」という趣旨のことを言っていたのを覚えています。今になって思うと、ビートたけしは「不倫」ではなく「浮気」の話をしていたのだと思います。両者の何が違うかと言うと、
浮気:可否を決めるのは当事者だけであり、なんだかんだで最後は許してもらえる
不倫:社会が断罪するものであり、許してもらえない(=いじめコンテンツ化する)
という事だと思います。

この国からはいつの間にやら浮気が姿を消して、不倫だけが残ってしまいました。