2023年5月7日日曜日

一神教 と 迷惑をかけない教

 会社という場所にいると、色々な人がいらっしゃるものです。面白い人、ケチな人、怖い人、喋らない人、時間を守れない人、仕事ができる人、仕事ができない人…。その中にはあまりお近づきになりたくないようなタイプの人も当然いらっしゃるわけです。これまでの経験上申し上げると、職場が問題のない人だけで構成されていたことはほとんど稀だったと思います。ただし、どちらかというとそういう人の実害が自分に及ぶという事はあまり少ない方だったのですが。去年からちょっと困ったタイプの人が僕に向かって文句を言ってくるようになりました。

彼に言わせると、僕がとにかく「うるさい」のが邪魔なんだそうです。「独り言、くしゃみ、キーボードがガチャガチャたたく音、コップを置く音…」など、具体的に彼が気に入らないポイントを列挙したメールが僕と僕の上司に数か月に一回送られてくるようになりました。まぁ、彼の言ってることは事実ではあるので、とりあえず「すいません」とは謝りはするのですが。。ちなみにこの人は過去に、「喫煙者がエレベーターに乗るとエレベーターが臭くなる。タバコを吸うのは自由にすればいいが、匂いをまき散らすな!」とお怒りになっておられたことがありました。

一応申し上げますと、誰でも知ってるくらい有名な超一流の日本の大学を卒業なさっていて、一人でパソコンに向かってやるような仕事については余人をもって代えがたいほどの能力を発揮される方です。彼は他人に文句を言った後に必ず「他人に迷惑をかけるな」とおっしゃるのですが。僕から見ると、こうやって「迷惑をかけない教」を振り回せる彼の方が、社会を不寛容でギスギスしたものにしていく分だけ、煙草の匂いよりもはるかに迷惑だと思うのですが。彼はそうやって自分が「他人に迷惑をかけている」とは全く思っていないのでしょうね。

「他人に迷惑をかけない」なんていうのはそもそも無理な話で、社会は「迷惑をかけあうこと」でしか成立しないことくらい、いい大人なんだから理解しようよ。。と思いつつも、こういう人って日本に沢山いらっしゃいますよね。正義感が暴走する老人なんかもこのタイプの人だと思います。

なぜこういう人が日本に多いのか考えてみました。人間の理解を超えた神を崇める「一神教」が日本ではあまり普及していないという事は結構大きな原因なのではないかと思います。一神教は神=絶対的存在に対して、人は圧倒的に非力で不完全であるという強烈な前提の上に成り立っています。だから、「どんなに優秀な人であっても、所詮神のように全能ではない」というコンセンサスが一神教文化の社会では共有されているように思います。お互いに不完全で非力だという合意が大前提になっているので、一神教文化の方が迷惑や不利益を許容し合って社会を形成するのが日本人より上手くいきやすいと思います。ただしこれも、「同じ神を信じているコミュニティの中では」という但し書きが付くことがあるので良し悪しもあるのですけどね。。

とりあえずここまでで今回の話は終わりなのですが、ちょっとした後日譚のような話を最後にします。 ここ1年ちょっとの間に、僕の職場のコップが無くなる事件が3回発生しています。先日その3回目が発生したところです。これまでは「もしかしたら、自分がどこかに置き忘れてしまったのかもしれない」と思っていましたが、3回目ともなるとさすがに偶然とは考えにくいです。つまり、誰かが僕のコップを意図的に隠すか捨てるか、そういうことをやっているんだと考えざるを得ないのです。しかしながら、ここまで話題に挙げた件の人物が犯人だとは考えにくいのです。「コップを置く音」とわざわざ明記したメールを僕に送り付けておきながら、そのコップを隠したり捨てたりするようなことを彼がやるとはちょっと考えにくい。とりあえず、3回目が起きた時に出張中だった職場のアイツとアイツは犯人ではないんだろうなという事はわかりましたが。。いろんな人にちょいちょい嫌われている自覚はあるので、この先もこういう事件は続くのでしょうね。はぁ。。

「推しの子」のアイは、「マリア+キリスト」という人類史上最高の偶像だと思う

世の中のブームから1か月遅れくらいになりましたが、子供が見たいと言うので一緒に推しの子を見始めました。まだ4話くらいまでしか見てないですけど、とりあえず今のところ面白いです。原作を読んだことも一切ないので、今後どう展開するのか全然わかっていないですが、初回の90分だけで何回も泣けてしまいました。なんだったら初回だけで終わってもいいくらいの出来でした。これで、「アイ=完璧な存在の喪失」という強烈な体験を見ている側と共有することに作り手は大成功したと思います。

アイというキャラクターは巫女的な素養を持ったスターという意味では、我が国におけるアイドルの典型例だと思います。ただしその巫女性は「誰かを好きになったりすることができない」というアイの抱えている空虚さとトレードオフによって成り立っています。そして、アイは死ぬ間際に、自分の子供達だけでなく、刺した相手も含めて世界全体を愛して亡くなることになります。アイの娘ルビーは自分達の父親についてアクアに聞かれた時に「処女懐胎」という言葉を持ち出しますが、この言い方を借りるならば、アイは出産によってマリアになり、死によってキリストになったと思います。この点において、人類史上最高の偶像となって死んだとも言えるでしょう。

日本では、アイドルは「好きになってもらうのが仕事」の世界です。だから、どんなに売れたとしてもお客様のために奉仕するというキャラクターで居続けることが求められます。だからこそ、「恋愛禁止」などという人権を無視したスローガンを平気で掲げていたり、それを破ったアイドルが頭を丸めて謝罪させられたりすることが実際に起こります。推しの子は見てる側に「こんなのちょっとおかしいよね?」という投げかけをしつつも、それと同時に「推し=偶像を崇める」という行為に耽溺せずにはいられない我々日本人の病も描いているように思いました。

他にもこの作品には
・リアリティのある希望は転生することくらいしかない(転生モノのアニメと同じ系譜)
・家族の間でもお互いに秘密がある(これはSPY FAMILYと同じ系譜)
など、端々に現代日本を象徴するような要素が散りばめられていると思います。これらも含めて、この作品は日本の病カルチャーを理解できる人にしか楽しめないだろうと思います。海外ではちょっと厳しいだろうな。。でも、YOASOBIはたぶん今年の紅白はこの歌で出るのは確実だろうという気が既に5月の段階でしています。

ところで、頭を丸めたAKBの子は去年YouTuberと結婚したのでしたっけ?