2013年7月21日日曜日

選挙の日に思うこと

以下、選挙について思ったことをつらつらと書いているだけです。模範的な駄文です。

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本日、参議院選挙の投票に行ってきました。その昔、20歳になって選挙権を得たときは面白半分で投票に行ってみたのですが。その後はぱったりと行く気が起きないので10年以上ずっと投票には行かなかったのです。理由はまぁ、よくある話です。特に入れたいと思える人がいるわけでもない上に、どの党が政権を取っても自分の生活は大して変わらないと思ってたからです。
そもそも、「選挙」という映画が描いているように、日本の選挙活動のクオリティがあまりに残念すぎるので選挙という物に関わること自体が嫌だったのです。典型的なドブ板選挙はとにかく候補者の名前を大音量で連呼したり、握手したり、手を振ったり。僕にとっては大音量で連呼されている名前にはますます票を入れたくなくなるんですけど、それでも一定の効果があるから彼らはきっとやってるんでしょうね。こういう、有権者をバカ扱いしてるとしか思えない選挙活動をする候補者ばっかりの選挙にわざわざ投票しに行く気にまるでなれなかったのです。そういう意味では一切選挙運動をせずに都知事になった青島幸男の選挙運動スタイルもっと評価されて欲しかったのですが、残念ながら彼の選挙運動スタイルを踏襲する政治家を僕は知りません。

そこから選挙に行くという習慣を定着させたのは民主党が政権を奪取した2009年の選挙からです。このときばかりはさすがに自民党は有り得ないと思って民主党に入れました。そして、僕がスペインに行ってる間に震災・原発事故が発生して、帰ってきたら2012年年末の衆議院選挙でした。僕としてはとにかく原発をさっさとやめて欲しいので原発に対して否定的な党に投票しました。けど、残念ながら自民党が大勝しました。
自民党があそこまで大勝したのは僕だけじゃなくて、たぶん当の自民党も含めてほとんどの日本人にとって意外だったんじゃないかと思います。もちろん民主党政権に国民が落胆したというのはあったとは思いますが、原発があれだけの事故を起こしたのにも関わらず原発を推進する政党にあそこまで票が集まった背景には、以前書いたように震災や原発事故について自己批判を伴う反省に疲れた日本人が「震災や原発事故を『無かったこと』にして、とにかく日本を昔あった状態に戻したい」という意識が働いたんじゃないかというのが僕の解釈です。

ともあれ、自民党が政権を握ってからTPPはどんどん本格化していくし、アジア諸国との関係は悪化するし、原発はどんどん再稼動させようとする、しかも何のために必要なのかよく分からないけど国民の自由や権利を制限する方向に憲法改悪を推進し始める(で、賛同を得るのが難しいと思ったらあっさり引っ込める。)。これらは僕から見ると、ほんとに「いらんことだけわざわざ選んでやってる」ように見えるんですけど。日本人のマジョリティにはそうは見えて無いのか、もしくはどうかと思うけどアベノミクスで経済がよくなり始めてるしまぁいいかと思ってるのか…どうなんでしょうかね?
「国破れて山河あり」って言いますけど、山河があれば国が破れてもまた別の国は興せます。ヘタすると日本の国土に人が住めなくなるような事態を招きかねない原発を、デカい地震が起こる可能性が極めて高いこの国でこの先も稼動していくというのはどう考えても損得勘定が合わないと思うのですが。そんなに目先の経済って大事なんでしょうかね?

その昔僕が「投票に行かなくても自分の生活はそんなに変わらないだろう」と思えたのは、もちろん若かったというのもありますが、それだけじゃないように思うのです。あの頃は「ほっといてもまぁこのまま可もなく不可もないままなんだろう」という空気があったのですが。ここ数年はこの国はどんどんひどい方向に向かってて、これはさすがにマズいという危機感を感じるのです。それに少しでも抗いたいというのが僕が投票に行くようになった動機なんだと思います。

最後に。ネット選挙が解禁になりましたが。これが今後”ネット政党”みたいな物を形成して、ドブ板選挙とは根本的に異なる選挙の有り方を示したり、多様な意見の受け皿になったりする可能性にはちょっと期待したい気がするのです。今、政治とネットの関係というとネトウヨくらいしか思いつかないけど、もうちょっと多様な可能性が出てきてもいいんじゃないかな。とか言ってると、「ホリエモンがネット政党をつくりました」とか、そんなオチになりそうな気もしてきた。

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