2018年9月15日土曜日

ネトウヨが北方領土に示す微温的な反応について

台風ニモマケズ、地震ニモマケズ、安倍晋三がロシアに行ってきた結果、北方領土問題について取り合う気の無いプーチンから「年内に平和条約締結を」と言われてしまいました。この件に対する安倍晋三の中途半端な対応については、安倍政権に対して追従的な発言が多い産経でさえ「ロシアにナメられている、断固拒否せよ」と言い出しました。産経や読売などの親ネトウヨのメディアが安倍政権を批判するというのはここ数年あまり見たことがありません。
共産党の志位議長は首相、「条件なしで平和条約」とのプーチン発言について、「プーチン氏の平和条約締結への意欲の表れだと捉えている」と。 違うでしょう。「領土返還をしない」という「決意の表れ」であり、首相、あなたを舐め切っているという「態度の表れ」ですよ。という、ごもっともな発言をしていたので、これをリツイートしたのですが。そしたら、僕のフォロワーのうち数少ないネトウヨ気味の人から「リアリスティックに言って、ロシアに北方領土を返せる訳がない。その中でどの将来を目指すのか? 批判は簡単だけど、政治家にはそこを提案してほしい。」というコメントが帰ってきました。

かつて、ネトウヨが登場する以前の右翼は、街宣車に「北方領土返還」というスローガンが書かれた横断幕を必ずと言っていいくらい掲げていました。しかし現代のネトウヨは中韓に対しては病的なまでに攻撃性を剥き出しにしてきますが、その一方でロシアや北方領土に対しては微温的な反応しか示しません。これはネトウヨとネトウヨ以前のauthenticな右翼との違いなんじゃないかと思います。
ネトウヨ以前の右翼が北方領土を目の敵にしていた理由の一つは「ソ連=赤=左翼」との敵対構造にあったのではないでしょうか。「右翼」という概念は対極にある「左翼」なくしては成り立たない、つまり、左と右という対立構造の中に当時の右翼のアイデンティティがあったのではないかと思うのです。この説明はある程度の説得力があるように思います。そして、この観点からするとネトウヨは「左翼亡き後の右翼」と言えるでしょう。

この「左翼亡き後の右翼」という観点は、ネトウヨとそれ以前の右翼とを分かつポイントなのではないかと思います。やや乱暴な言い方になりますが、
カネがあった時代のauthenticな右翼:攻撃対象はソ連=ロシア→北方領土
カネが無くなって斜陽化していく日本に生まれたネトウヨ:攻撃対象は中韓→尖閣、竹島
というイデオロギーの違いが両者にはあります。だからこそネトウヨは北方領土について「自分が反応すべき案件だと思っていない」のではないでしょうか。
かつて日本とロシアは歯舞と色丹の二島返還が実現する寸前までこぎつけていました。当時、日本とロシアの経済力の差は一番開いていて、日本もまだまだカネがあった時代だと思います。でも、結局二島返還は実現しませんでした。後から考えてみるとこの事件は、上述した「日本の斜陽化」と並んでネトウヨが日本に台頭しはじめる一つのキッカケだったのではないかと思います。

「北方領土問題」の問題を掘り下げていくと、その先は必ず「南方領土問題=沖縄の米軍」と繋がっています。これについては内田先生が折に触れて言及している通りだと思います。ロシアにしてみれば、北方領土の返還はアメリカ軍が沖縄から撤退することとセットじゃないと受け入れられないのです。つまり、「北方領土返還」の背後には「南方領土=アメリカという父」というトラウマが付きまとっていて、「父=アメリカ」に対して出ていけと面と向かって言えないので昔の右翼は「北方領土返還」だけを叫んでいたのではないでしょうか。
この「アメリカという父」に対するトラウマというのは現代のネトウヨとそれ以前の右翼の両方に共通しているテーマだと思います。旧日本軍の「英霊」の魂を慰めるためにせっせと靖国神社を参拝する割には、その「英霊」を殺傷したアメリカに対して「アメリカ憎し」と言っている右翼を僕は見たことがありません(いるのかもしれないですけど)。こうやって考えると、ネトウヨとそれ以前の右翼では表面的な攻撃対象がソ連=ロシアであるか中韓であるかという違いはあれど、一方で「アメリカという父」という共通項を認めることができます。

ちなみに件の僕のTwitterのフォロワー氏は今日見てみたら「勝てる見込み無いのになんで石破さんは選挙に立候補したのかな?玉砕?」というTweetをしていました。たぶんこの人は民主主義というシステムとか自分の信条なんかよりも、とにかく「多数派が正義」「勝てる見込みのない勝負はしない」という人なんでしょう。こうやって自分の意見を持つことを放棄して現実を容認している方が、この国では楽しく生きていきやすいんだろうとは思います。そして、そうやって知的負荷を減らしている自分は賢いとご本人はきっと思ってるんでしょうね。
なんで彼は僕をフォローしてるのかな?というのがずっと謎なのですよ。僕はtwitterではこのblogと大差ないことを言ってるつもりなんですが。

2018年9月8日土曜日

犠牲の物語としての高校野球

9月に入りました。まだ頭は夏休みボケの尾を引いたままなのですが、そうこういってる間にもだんだん涼しくなってきたので、これ以上話題の鮮度が落ちないうちに夏の高校野球の話をしたいと思います。今年の夏休みは奥様の妊娠中以来くらいで「泊りでのお出かけが無い夏休み」になってしまいました。どこかに泊りで行こうかと検討はするものの、どうしても「高い、暑い、混んでそう」なのはどこも一緒なので。だったら9月くらいの普通の土日にどこかに旅行に行った方がまだマシだろうと思うと、結局どこにも行く気になれませんでした。
そんなこんなで、どこにも行かない夏休みの間はほぼ毎日高校野球をぼんやり見ていました。僕は高校野球及びその頂点である甲子園については「どうかと思うことの方が多いけど、結局見ちゃう」のです。あんなに高校生を朝から晩まで毎日野球漬けにしたり、後の選手生命を台無しにするほどまで連戦で体を酷使するののが本当に「教育」なのか?とか、色々と思うのですが。でも、結局毎年見ちゃうのですね。

さて。決勝戦の金足農業と大阪桐蔭の試合は何から何まで好対照な両者の対決となりました。少年ジャンプのような金足農業の快進撃を期待しながらちょっとみんなワクワクしていたのに、蓋を開けてみたら大阪桐蔭の圧勝で終わって何か空虚な感じが残ってしまいましたね。あの決勝戦を見てて思い出したのは、小田嶋さんが昔言っていたように、高校野球は犠牲の物語であるという話です。まず見た目に「犠牲」が分かりやすいのは金足農業です。ピッチャーの吉田君はずっと連投で疲れ果てていたせいもあって、大阪桐蔭の打線を抑えることはできませんでした。これは「連投で体を酷使する」という犠牲の物語です。
一方の大阪桐蔭ですが。こちらは選手層も厚くてピッチャーも複数人いるようなチームです。はたから見ると金足農業に比べて余裕たっぷりに見えますが、大阪桐蔭、強さの秘密は過酷な寮生活 外出禁止、楽しみは月1の“コンビニ旅行”というウェブ上の記事を読んで納得しました。彼らも普通の高校生としての生活を犠牲にしているのです。コンビニさえ自由にいけないということは恋愛なんて尚の事無理なんでしょう。そんな生活を3年間も続けることで、彼らだって多大な犠牲を払っているのです。

大阪桐蔭(ワルモノ側)に金足農業が挑戦するという少年ジャンプ的な展開に対して日本人があそこまで盛り上がらずにはいられなかったことも、色々な示唆に富んでいると思います。昔から「判官びいき」という言葉に見られるように日本人が劣勢にある側を応援したがる心的傾向を持っていることはもちろん背景の一つとしてはあると思います。
しかし、どうもそれだけではないような気がするのです。以前から提唱している、「高校野球は旧日本軍を慰霊するために奉納される能である」という観点からすると、金足農業と大阪桐蔭の圧倒的な戦力差は第二次世界大戦における日本とアメリカの関係を再現しているように見えてならないのです。だからこそ「大阪桐蔭=ワルモノ=アメリカ」に「金足農業=日本」が挑む物語をどうしても日本人は応援したくなってしまったということなのではないでしょうか?

しかし話は「大阪桐蔭=アメリカ」という短絡的な話でもないんだと思います。大阪桐蔭はアメリカの代理表象というよりは「日本式メソッドで強力なアメリカみたいな軍事大国にのし上がった、架空の日本」なのではないでしょうか?こう考えると、あの決勝戦は「大阪桐蔭=あの時になりたかったけどなれなかった架空の日本」と「金足農業=あの時の日本」の戦いだったことになります。このように、あの決勝戦は精神分析的には非常に興味深い試合だったと思います。
以上、今回のblogは「こんな感じの事を誰かが書いてくれないかなと思って毎日twitterとかで検索してみたけど誰も言及しないから自分で書いてみた」というよくあるパターンです。そろそろこういうハッシュタグ作ろうかな。。