2015年9月23日水曜日

一番平和だった80年代と異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ

シルバーウィークも今日で終わりです。日本でサラリーマンをやってると、長期休暇はGWと夏休みとお正月くらいなので、中途半端な時期に中途半端に5連休もあると何していいのかよくわからないうちに過ぎてしまいました。とりあえず明日から会社に行くのが最高に面倒です(しかも2日行ったらまた土日だし)。祝日がやたら多い(中途半端な連休が多い)という日本の制度よりは、欧州みたいに夏休みだけは好きなときに長く取る方がいいなと未だに思ってしまいます。
さて。最近色々忙しくて本を読んだりこのblogを更新したりするような「こころのゆとり」がなかなか持てないのですが、久々の連休とあって数冊の本を読みました。この中には人生で影響を受けた人のトップ10に間違いなく入る菊地成孔の時事ネタ嫌いという本も含まれています。特に90年代後半から00年代前半(自分が大学生~会社員初期)の頃は彼は僕のアイドルでした。その後は一時期に比べたらやや熱は冷めたものの、久しぶりに読んでみたらやっぱり彼の文章は肌に合うというか、自分にとって血のようなものなんだなと改めて認識しました。

そんな菊地氏の本を読んでいて「一番平和だった80年代」という記述を見た瞬間に、氏の本の内容とはカスりもしない「異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ」の話をシルバーウィーク中にこのblogに書く決心をしました。この話は長らくぼんやりとした構想だけはあったのになかなか書くところまで至っていなかった話の一つなのですね。
というわけで本題に入りますが。自分がリアルタイムで見ていた範囲だけでも「NG騎士ラムネ&40」、「魔神英雄伝ワタル」、「天空戦記シュラト」…と、このプロットを採用した漫画やアニメは佃煮にして売れるくらい大量に反復生産されています。ちゃんと見たことないですが、今でもこのプロットは漫画やアニメの王道の一つのようです。
ではこのプロットの起源はどこにあるのか?と思って探してみたところ、どうやらウイングマン聖戦士ダンバインが元祖で、ともに83年初頭のほぼ同時期に連載/放映が始まっています。

アニメ・漫画だけに限らず、あらゆる芸術作品は不可避的にその時代の世相と切っても切れない関係にありますが、戦いをモチーフとする作品は特にあからさまにその傾向が強いのではないでしょうか。ハリウッド映画だって冷戦時代はソ連をはじめとする共産圏の国を悪役としたアメリカのプロパガンダみたいな作品ばかり作ってたわけですが、冷戦がひと段落した途端に「宇宙人が攻めてくる話」が増えたのを今でも覚えています。
日本のアニメも勿論同様に時代/世相と切っても切れない関係があります。「宇宙戦艦ヤマト」('74~)までは日本のアニメは「勧善懲悪」が原則でした。ところがヤマトの登場によって、アニメは初めて勧善懲悪から離れて「敵もそれなりに理由があって戦っている」という設定が導入されました。ちょっと前のasahi.comの連載でも言及されていたように、宇宙戦艦ヤマトという作品は敗戦国日本の怨念やルサンチマンが込められた作品なんだと思います。そして、この第二次世界大戦の怨念はその後のガンダム('79~)にまで引き継がれてやっとこさ昇華/供養されました。ついでに言うと、こうやって地ならしが終わった跡地に第二次大戦の影を一切引きずらない純粋なエンターテイメントとして最初に建てられたのがマクロス('82)なんじゃないかと思います。

やや脱線しましたが、こういう歴史的経緯を踏まえた上で「『異次元の世界の戦いに巻き込まれる』という漫画・アニメのプロットが83年くらいに登場した」ということを考えてみると、
・ヤマトやガンダムを経て第二次世界大戦の総括と超克がやっと一区切りついたところに
・冷戦終結の兆しが見え始めた
という時代の世相を反映しているのではないかと思うのです。つまり、戦前の日本と自分がつながっている感覚が希薄になり、冷戦は終結ムードとなってきたことによって、戦争に自分が巻き込まれるようなことが日本人にとってリアリティをもって受け入れられなくなったのでしょう。だからこそ「普通の現代人が異次元のファンタジー世界へわざわざ召還されて、そこでの戦いに巻き込まれる」というプロットがこの時期に発明される必要があったのではないでしょうか?

「エンターテイメントとして提供されている"戦い"をリアルな自分事としては引き受けないで消費する」という態度でコンテンツ(漫画・アニメ・ゲーム等)と接するのが当たり前になったのはちょうどこのウイングマンやダンバインの頃くらいからなんだろうと思います。
今となっては「そんなの当たり前じゃん。何をブリっ子してんだよ?」と思うかもしれませんが、それ以前の時代(ヤマトやガンダムくらい)までは「見てる側がそれなりに自分事として作品に移入する」ことが求められていて、その空気というのはその当時に幼稚園児か小学生くらいだった僕でもなんとなく感じていました。
ご存知の通り、その後はファミコンという強烈すぎるツールが登場し、さらにビックリマンやSDガンダムなどの登場によって、「戦い」のバーチャル化は徹底的に推し進められました。最近の「艦これ」なんて、バーチャル化が進んだ挙句に旧日本軍の戦艦さえも美少女キャラに昇華させてしまったように見えます。

こういう話をしているとすぐに安保法案に賛成する人達(彼らは自衛隊員の置かれている立場を自分事として考えられない)の話につなげたくなってしまうのですが。今日のところはこの辺でやめておきます。渋々ながら明日から会社もありますし。