2015年12月20日日曜日

「『やめないままでいる』ことをやめられない人」とリセット願望

12月も半ばになり、本格的に寒くなってまいりました。実は僕は小学校2年生の一年間だけなんですが「冬でも半袖半ズボン」をやってたことがありまして。今思い出してもなんであんなこと頑張ってたのか本当に不思議なんですが、当時のクラスには僕も含めて「冬でも半袖半ズボン」が3人いたのです。お互い口に出しては言わないけど水面下では何かしら意地の張り合いみたいな雰囲気があって、内心途中でやめてしまいたいと思いながらも結局春まで半袖半ズボンで通しました。
ゴン中山48歳で現役復帰というニュースを見て、真っ先にキング・カズのことを思い出して、そして半袖半ズボンのことを思い出しました。たぶん、カズが今まで現役続行していなかったらゴン中山は現役復帰なんて事はしなかったんじゃないかな?と思います。Jリーグが存続する限り50前後までプレーする選手はこの後も出てくるんでしょう。誰が最初に彼のことをキングって呼び始めたのか知りませんが、カズってほんとにJリーグのキングですよね。

他にも、引退って何度も言ったくせに結局復帰する宮崎駿とか、未だに現役続行に意欲を燃やす辰吉丈一郎とか…我々日本人ってつくづくこういう人達が大好きですよね。この対極には中田とか江川とか新庄のように「完全燃焼する前に自ら引き際を決めて引退」した人達がいるのですが、彼らが国民的に愛されているとは言い難いですよね。
小学校2年生の頃の僕と、ゴン中山やカズや辰吉に通じるものがあるとしたら、それは「『やめないままでいる』ことをやめられない」という少し病にも似たものなんじゃないでしょうか。どれも捉えようによっては「継続」として賞賛されることのようなのですが、「継続」という言葉がもたらす前向きさよりはどこかねじれてて何かしら病んでるような気がするのです。

この一方で我々日本人は「リセット」というのも大好きだったりします。これについては内田先生がこれ以上無いくらい的確な文章を残しているのでそのまま貼り付けておきます。
「リセット」の誘惑に日本人は抵抗力がない。
「すべてチャラにして、一からやり直そうよ」と言われると、どんなことでも、思わず「うん」と頷いてしまうのが日本人の骨がらみの癖なのである。
「維新」といわれると思わず武者震いし、「乾坤一擲」とか「大東亜新秩序」とかいうスローガンに動悸が速まり、「一億総懺悔」でも「一億総白痴化」でも「一億総中流」でもとにかく「一億総」がつくとわらわらと走り出し、「構造改革」でも「戦後レジームからの脱却」でも、とにかく「まるごと・一から・刷新」と聴くと一も二もなくきゃあきゃあはしゃぎ出すのが日本人である。
それはそれまでの自分のありようと弊履を捨つるがごとく捨てるのが「自分らしさの探求」であり、「自己実現」への捷径であると私たちが信じているからである。
繰り返し言うが、こんな考え方をするのは世界で日本人だけである。
私はそれを「属邦人性」と呼んでいるのである。
この文章は2007年に書かれたにもかかわらず、その後の未来を的確に予見していると思います。震災以降の日本人は原発事故が遺した途方も無いネガティブインパクトに対してこの「属邦人性」が大爆発してしまい、「全部無かったことにしてリセットしたい」という強烈な願望に駆動されて迷走しているように僕には見えるのです。たとえば、RIZAPなんてまさに「リセット願望」の最たる物で、今までの不摂生を短期間だけ必死で努力するだけですべてチャラにしようとしているわけですよね?

そして、政治の世界でも震災以降はリセット願望の暴走が相変わらず猛威を振るっています。上記の内田先生のテキストでは「一億総」や「戦後レジームからの脱却」など、現在の安倍政権のワーディングが予言されています。そして、「維新」という言葉も上記のテキストには含まれています。ご存知の通り、橋下徹率いる「維新」は既存の何かを敵としてつまみあげては「リセット」を叫びながら攻撃することの自転車操業をここまで繰り返してきました。
自民党はさておき、橋下徹の自転車操業はさすがにいつまでも続かないんじゃないかな?と思っていたら、「沖縄の米兵は風俗を利用してください」発言でボロが出て以降はさすがに下り坂になり、とうとう選挙で負けると、"ぜんぜんそんなつもり無いくせに引退宣言" → "なんかゴタゴタ内輪モメした挙句国政に打って出る" という、誰も予想さえしていなかった大仁田厚(何度も引退→復帰を繰り返したプロレスラー)みたいな手法で政治家としてまた復帰しようとしています。
橋下徹は自分自身ををリセットできたと思ってるのでしょうか?どちらかと言うと僕には「『やめないままでいる』ことをやめられない」人と同じ病の中に飛び込むことによって新たなポピュリズムの道を模索しようとしているように見えます。彼はこれまでひたすら「リセット」を叫ぶことの自転車操業を続けてきたわけですが、「『やめないままでいる』ことをやめられない」という病をも取り込んで「橋下徹2.0」とでも呼ぶべきより厄介な段階に入ったんじゃないでしょうか。

「『やめないままでいる』ことをやめられない」=「限界を超えているのにいつまで耐え続ける」ことと「リセット」の組み合わせは、「あるところまで延々粘ったかと思ったらある日突然極端から極端へと簡単に振れる」という日本人の気質を形作っていると思います。実際に、第二次世界大戦の末期には国家の体裁を維持できる限界を通り越しても日本国民は耐え続け、そして終戦とともにすべてをリセットしました。
この順番だったらまだ理解できるんですが、橋下徹の場合は順番が逆なんですよね。「リセット」の連発が先で、それがこじれた挙句に「『リセットって言いつづけることをやめないままでいる』ことがやめられない」ように見えるのです。別の言い方をすると、「『リセット』って言い続ける自分をいつまでもリセットできない」ということなんですが、なんかもうややこしいのでこの辺りにしておきます。

2015年12月6日日曜日

目に見えない物に対する感性と妖怪

水木しげる先生がお亡くなりになりました。おそらく説明の必要は無いと思いますが、ゲゲゲの鬼太郎や悪魔くんなどの数々の妖怪漫画を生み出した漫画界の巨匠です。水木しげるの訃報に対する日本人のリアクションは、岡本太郎が亡くなった時といかりや長介が亡くなった時の反応を混ぜたような不思議な空気に包まれていました。
水木しげる本人は超マイペースな方だったらしく、その人となりはたとえば岡本太郎みたいに「芸術家らしい風変わりな人」として日本人には受容されていました。一方で彼の一連の妖怪漫画は日本人にとって、「普段から大好きだとは誰も言わないけど、亡くなった途端にその存在の大きさにみんな初めて気付く=暗黙裡になんとなく普遍的に愛されていた」という点では、いかりや長介の存在に非常に近いと思ったのです。

水木しげるの幸せになるための七か条の最後には「目に見えない世界を信じる」とあります。妖怪という「目に見えない物」だけをほぼ一貫して描き続けてきたのは、彼が本気でそれを信じていたからなのでしょう。そんな彼の妖怪漫画がこれだけ日本人に「暗黙裡になんとなく普遍的に愛されていた」のは、「目に見えない物」に対する日本人のアミニズム的感性と妖怪が深く繋がっているからなんだと思います。
以前妖怪ウォッチの話を書いた際に言及しましたが、大人達が「おもてなし」やクールジャパンなど「ガイジン様(お客様)にウケそうな日本の伝統文化だけをつまみあげる」ことに血道を上げている中で、妖怪ウォッチに熱狂する子供達はそれを一足飛び越えて日本人独自の感性へと回帰しているように僕には思えるのです。なぜって、妖怪ウォッチはアンパンマンなどと同様に日本人のアニミズム的な感受性が無いと受容できないので、外国人にはたぶん理解できないからです。

内田先生も孔子の六芸の話の中で、「目に見えないもの」に対する感受性と開放性がなぜ必要なのかを説いています。武道家(合気道)でもある内田先生は「生き延びるための力の涵養」を目的としている武道の立場から、「現代人は現代社会に適応して生活するために見えないシグナルを受信するセンサーの感度を鈍化させている」と警鐘を鳴らしています。あんまり僕がくどくど書いてもしょうがないので上記のサイトから少しだけ引用します。
「六芸」の第一に挙げられているのが「礼」です。これは礼儀やマナーのことではありません。「鬼神に仕える」作法のことです。「この世ならざるもの」をただしく畏れ、ただしく祀(まつ)り、それがもたらす災いから身を守るための実践的な方法です。それをまず身につける。
現代人はもうこうした感覚を失いつつありますが、人類の歴史数万年のうち、「この世ならざるもの」との付き合いが薄れたのはほんのここ百年ほどのことです。それまで「鬼神に仕える」作法は人が生きる上で最優先で身につけるべきものでした。

「目に見えない物」が本当に存在するかしないかを追求するのは野暮というか、あまり生産的ではないと思います。「目に見えない物」はたとえば数学における虚数のように「あると仮定すると物事がうまくいく」という類のものであり、これは先人から受け継いだ人類の智慧だと思います。
何を信じていいのか分からない時代だからこそ内田先生の言うように「目に見えない物」に対する感度を磨く必要があると思います。妖怪ウオッチを見ている子供達は無意識のうちにそういうことに気付き始めているんだと考えれば、日本もまだまだ捨てたものではないとちょっと期待できるんじゃないでしょうか。
しかし、水木しげるの妖怪漫画がなかったらたぶん妖怪ウオッチも存在しなかったと思います。妖怪漫画というジャンルを開拓するとこから始まって、今日に至るまで「目に見えない物」を描き続けてきた巨匠の仕事は、もしかしたら妖怪ウォッチ世代が大人になった頃くらいに今より高く評価されるかもしれません。

2015年11月29日日曜日

市民のいない日本に蝶が舞う

先日、大阪に住んでいる大学時代の同級生と二人で飲む機会がありました。僕は(外国に行ったりで色々人生おかしくなったけど)日本の田舎企業のエンジニア、一方向こうは都会で外資の国内営業(でも英語なんてぜんぜん使わない)と、お互いにカスりもしない世界で暮らしているので、会ってみると普段の生活の中では(話せる相手がいなくて)誰にも話せないようなことまで含めて色々と話しました。こういう同級生の存在がありがたく思えるのは、なんだかんだいって歳をとったなぁと思いました。
その一方で、お互い40手前にもなると日本人どうしで意見の違いを真正面から議論するのがもう難しくなってしまったのも感じました。というのも、件の同級生の口から「SEALDsとかあんなことやってたって世の中は何も変わらないよ。」という一言が出たのです。このときは特に反論せずにそのまま流したのですが。彼の口からその言葉が出た瞬間に「あー、やっぱりそうなんだ。。」と少しうなだれてしまいました。

彼の言ってることはつまり、「自分の意見を持つということにそもそもこだわりが無くて、自分は多数派に同調していたい」と自己申告しているように僕には聞こえました。おそらく日本人の大半はこういう人達で、安倍政権がこれだけ続いているのもそれが理由なんだろうというのはなんとなく分かってはいたのですが。日本人は普段政治の話を人前でしないので、具体的に面と向かってそういう人に触れる機会が今まで全く無かったのです。だから、いざ実際目の前に現れると「あー、やっぱりそうなんだ。。」と少しうなだれてしまったわけです。
多数決による民主主義という制度は不可避的に「負ける人達」を作り出します。つまり、民主主義という制度は「負ける人達」になることを覚悟の上で自分の意見を主張する人達によって担保されているわけです。政治的立場の違いからSEALDsを批判するのはまだ分からんでもないですが、件の同級生も含めてSEALDsを批判する人達はSEALDsが政治的態度を社会に表明していることそのものを批判したがっているのではないでしょうか。

この話を簡単な一言に言い換えると、日本という国には「市民」がいないのです。いないって言ったら言い過ぎかもしれませんが、「市民」という意識が日本人にはそもそも希薄なのではないでしょうか。ここで言う「市民」というのは独立した個人として自分の頭で考えて政治的態度を決める責任を自身に課した人のことです。
とりあえず自分の知る限りの話ですが、欧州では市民としての意識がない人は大人としてみなされない風潮があります。たとえば、職場でお昼ごはん食べてるときのカジュアルな会話でさえ政治の話はごく当たり前のように出てきます。彼らの世界観では「人は意見が違って当たり前」なので意見が合わないことがほとんどですが、だからといってケンカになったりまではしません。そうやって市民が意見の違いをお互いに主張しあいながら社会を形成しているというコンセンサスがあるので、どこかしら意見の違いを楽しんでいるかのような雰囲気さえ感じます。

「負ける人達」を不必要だする社会を突き詰めると、中国のようにずっと一党(共産党)独裁の政体になります。ネトウヨなどの一部の人々は本気で自民党独裁の政治体制を願っているんでしょうが、日本人の大半は「多数派に同調していたい」のであって、「ずっと同じ政体が続いて欲しい」と思ってるわけではないんだろうと思います。
つまり日本では「『多数派に同調していたい人』が多数派である」のです。だからこの国では、2009年の民主党への政権交代の時のように突然雪崩を打ったように多数派の支持が逆転することがあります。カオス理論で言うところのバタフライ効果のように、蝶の小さな羽ばたき一つが大きな気象変化を起こすようなことがこの国の政治ではしばしば現実に起きてしまうわけです。
ある日突然に極端から極端に振れてしまうというのはあんまりよろしくない気がする反面、まだ振れ幅があるうちは民主主義というシステムがまがりなりにも機能しているとは言えるだろうと思います。これが機能しなくなると戦前の日本のように最後は壊滅的な結果をもたらすというのは歴史が教えているとおりです。

将来選択可能なオプションを残すためにも、いろんな蝶が必要だと僕は思いますよ。

2015年11月1日日曜日

ラグビーに学ぶ日本の国際化

10月中に一回くらいは何か書こうと思っていたのに、気がついたら10月が終わってしまいました。。毎度のことながら書こうと思うネタはいくつか思いつくのですが、大半は何かを批判したり文句言ってたかったりするような内容なので、こういう何かしらネガティブな要素を含む話を文章に書いてみるにはそれなりの勢いというかエネルギーというのが必要でして…ええつまり、ちょっと最近歳をとった自覚がでてきました。前向きな言い方をすると、「大人になった」って言うのかもしれませんね。
さておき、そんなわけで比較的明るい話題としてラグビー日本代表の話をしてみたいと思います。て言っても、気がついたらあの試合(優勝候補の南アフリカに対して歴史的勝利)からもう1ヶ月以上経っているのですね。。もう説明不要だと思いますがこの快挙によってラグビー日本代表、特にあのカンチョーみたいなキャッチーなポーズによって五郎丸という選手にスポットライトが当たりました。
あれだけ持ち上げられながらも、五郎丸という選手には浮ついたところが一つも見当たらないんです。彼のたたずまいはスポーツ選手というよりは武道家みたいに見えます。「紳士のスポーツ」であるラグビーという競技の性格と、どこかしら武道的精神と切っても切れない関係にある日本のアマチュアスポーツの風土が生み出した最高傑作なんじゃないかとさえ思います。

そんなこんなで五郎丸ばかりにスポットライトが当たりすぎのラグビーですが。そこに対して彼はこのようなコメントをしています。ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ。
もし仮にラグビーの日本代表チームが日本人だけで構成されていたとしても、たぶん五郎丸にスポットライトが当たっていただろうと思います。でも、彼にだけスポットライトが当たってる暗黙の理由の一つに「日本代表に外国人が多すぎる」というのもあるんだろうとは思います。なんとなくそれが分かっているからこそ五郎丸はこのようなコメントをしたのではないでしょうか。
代表選手31人に対して10人が外国人という日本代表のメンバー構成の背景についてはいくらでもネットで探せば出てきますが、つまるところラグビーは伝統的に「所属協会主義」という制度になっていて、外国人でも3年以上当該国に居住していれば代表としてプレーできるルールなんだそうです。

つまり、ラグビーという競技は人種や国籍、出自を問わず、居住している国の選手としてプレーすることが許容されているわけです。その昔、ラモス瑠偉はラグビーの日本代表に外国人が多すぎることに対して「日本代表になるなら自分のように帰化すべき」と言ったそうですが。ラグビーというスポーツに限って言うとこれは的を射た批判とは言えないのでしょうね。
かといって、一回どこかの国で代表になってしまったら、その後で他の国の代表になることはできないルールなんだそうです。だから、日本代表でプレーしている外国人は祖国の代表と日本代表のどちらかを選ぶかという葛藤の末に日本代表を選んでくれたわけです。そして、もっと遡ると、彼らの大半は(おそらく祖国での競争からはじき出された末に)学生時代に日本に留学してきてそのまま日本のラグビーで育ってきた選手なんだそうです。
以前このblogで言及したように、日本人の「グローバル化」はなぜか外向きにしか向かわないのです。例えば「おもてなし」とか言ってる人は日本を訪問してくる外国人に対してホメてもらう事には意識が高いのに、日本の「内側」にいる外国人が日本で快適に暮らせるように支援したり、普通に友達として仲良く付き合ったりすることに対してはほとんど関心が無いように見えます。
だから、色々な葛藤や苦労があった末に日本代表としてプレーしている外国人に対しても残念ながらやっぱり日本人は冷たいですよね。ラグビーに関しては僕は完全に素人ですが、もし仮に代表チームが日本人だけで構成されていたとしたら、日本代表のあそこまでの快進撃は無かっただろうと思います。本当に「おもてなし」するべきなのはまず彼ら「日本のために尽力してくれる外国人」だと僕は思いますし、五郎丸が言いたかったこともたぶんそういう事なんじゃないかと思います。

例えば他のスポーツだと、ラモスのように帰化しないと代表になれないとか、プロ野球やJリーグや相撲のように外国人枠に制約があったりと、外国人選手に関するルールの背景にある理念は「内と外」を区別した上での線引きを設けることのように見えるのですが。
ラグビーというスポーツは競技そのものの理念からして国籍や人種に対してこだわらないので、「外国籍のまま日本の代表としてプレーする」ということが許容されています。「内と外」を線引きするのではなく、「(違うところはあるかもしれないけど)どう混ざって共存していくか」を志向している点ではラグビーの制度こそ「グローバル」時代に沿っているように僕には思えます。

最後に、元ラグビー日本代表の平尾剛氏は本稿と同様のテーマについて論考した末にこのように結んでいます:
「日本人とは?」「国民国家とは?」「スポーツとは?」、これらの問いかけに面と向かって取り組まない限り、この問題の答えは見えてこないだろう。これを踏まえた上での僕の考えは、日本代表に外国籍の選手がいても何も気にしないし、そんなことよりもオフロードパスがどんどんつながる創造的で愉快なラグビーをするチームが見たいということだ。

2015年9月23日水曜日

一番平和だった80年代と異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ

シルバーウィークも今日で終わりです。日本でサラリーマンをやってると、長期休暇はGWと夏休みとお正月くらいなので、中途半端な時期に中途半端に5連休もあると何していいのかよくわからないうちに過ぎてしまいました。とりあえず明日から会社に行くのが最高に面倒です(しかも2日行ったらまた土日だし)。祝日がやたら多い(中途半端な連休が多い)という日本の制度よりは、欧州みたいに夏休みだけは好きなときに長く取る方がいいなと未だに思ってしまいます。
さて。最近色々忙しくて本を読んだりこのblogを更新したりするような「こころのゆとり」がなかなか持てないのですが、久々の連休とあって数冊の本を読みました。この中には人生で影響を受けた人のトップ10に間違いなく入る菊地成孔の時事ネタ嫌いという本も含まれています。特に90年代後半から00年代前半(自分が大学生~会社員初期)の頃は彼は僕のアイドルでした。その後は一時期に比べたらやや熱は冷めたものの、久しぶりに読んでみたらやっぱり彼の文章は肌に合うというか、自分にとって血のようなものなんだなと改めて認識しました。

そんな菊地氏の本を読んでいて「一番平和だった80年代」という記述を見た瞬間に、氏の本の内容とはカスりもしない「異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ」の話をシルバーウィーク中にこのblogに書く決心をしました。この話は長らくぼんやりとした構想だけはあったのになかなか書くところまで至っていなかった話の一つなのですね。
というわけで本題に入りますが。自分がリアルタイムで見ていた範囲だけでも「NG騎士ラムネ&40」、「魔神英雄伝ワタル」、「天空戦記シュラト」…と、このプロットを採用した漫画やアニメは佃煮にして売れるくらい大量に反復生産されています。ちゃんと見たことないですが、今でもこのプロットは漫画やアニメの王道の一つのようです。
ではこのプロットの起源はどこにあるのか?と思って探してみたところ、どうやらウイングマン聖戦士ダンバインが元祖で、ともに83年初頭のほぼ同時期に連載/放映が始まっています。

アニメ・漫画だけに限らず、あらゆる芸術作品は不可避的にその時代の世相と切っても切れない関係にありますが、戦いをモチーフとする作品は特にあからさまにその傾向が強いのではないでしょうか。ハリウッド映画だって冷戦時代はソ連をはじめとする共産圏の国を悪役としたアメリカのプロパガンダみたいな作品ばかり作ってたわけですが、冷戦がひと段落した途端に「宇宙人が攻めてくる話」が増えたのを今でも覚えています。
日本のアニメも勿論同様に時代/世相と切っても切れない関係があります。「宇宙戦艦ヤマト」('74~)までは日本のアニメは「勧善懲悪」が原則でした。ところがヤマトの登場によって、アニメは初めて勧善懲悪から離れて「敵もそれなりに理由があって戦っている」という設定が導入されました。ちょっと前のasahi.comの連載でも言及されていたように、宇宙戦艦ヤマトという作品は敗戦国日本の怨念やルサンチマンが込められた作品なんだと思います。そして、この第二次世界大戦の怨念はその後のガンダム('79~)にまで引き継がれてやっとこさ昇華/供養されました。ついでに言うと、こうやって地ならしが終わった跡地に第二次大戦の影を一切引きずらない純粋なエンターテイメントとして最初に建てられたのがマクロス('82)なんじゃないかと思います。

やや脱線しましたが、こういう歴史的経緯を踏まえた上で「『異次元の世界の戦いに巻き込まれる』という漫画・アニメのプロットが83年くらいに登場した」ということを考えてみると、
・ヤマトやガンダムを経て第二次世界大戦の総括と超克がやっと一区切りついたところに
・冷戦終結の兆しが見え始めた
という時代の世相を反映しているのではないかと思うのです。つまり、戦前の日本と自分がつながっている感覚が希薄になり、冷戦は終結ムードとなってきたことによって、戦争に自分が巻き込まれるようなことが日本人にとってリアリティをもって受け入れられなくなったのでしょう。だからこそ「普通の現代人が異次元のファンタジー世界へわざわざ召還されて、そこでの戦いに巻き込まれる」というプロットがこの時期に発明される必要があったのではないでしょうか?

「エンターテイメントとして提供されている"戦い"をリアルな自分事としては引き受けないで消費する」という態度でコンテンツ(漫画・アニメ・ゲーム等)と接するのが当たり前になったのはちょうどこのウイングマンやダンバインの頃くらいからなんだろうと思います。
今となっては「そんなの当たり前じゃん。何をブリっ子してんだよ?」と思うかもしれませんが、それ以前の時代(ヤマトやガンダムくらい)までは「見てる側がそれなりに自分事として作品に移入する」ことが求められていて、その空気というのはその当時に幼稚園児か小学生くらいだった僕でもなんとなく感じていました。
ご存知の通り、その後はファミコンという強烈すぎるツールが登場し、さらにビックリマンやSDガンダムなどの登場によって、「戦い」のバーチャル化は徹底的に推し進められました。最近の「艦これ」なんて、バーチャル化が進んだ挙句に旧日本軍の戦艦さえも美少女キャラに昇華させてしまったように見えます。

こういう話をしているとすぐに安保法案に賛成する人達(彼らは自衛隊員の置かれている立場を自分事として考えられない)の話につなげたくなってしまうのですが。今日のところはこの辺でやめておきます。渋々ながら明日から会社もありますし。

2015年8月9日日曜日

ド根性ガエルと寅さんと少年漫画における「父」の存在

昨日から会社員の僕も夏休みになりました。とはいえ、乳幼児のいる我が家ではこれといった特別にどこかに旅行するわけでもないので、とりあえず高校野球を見たりしてぼんやりしてたら一日が終わりました。
そんなこんなで一日過ごして、あることに気がつきました。僕が小学生の頃には当たり前のようにやっていた「夏休みの午前中に3時間くらいまとめて古いアニメの再放送をする枠」がなくなっているのです。
こういう再放送枠が無かったら見る機会が無かったであろうアニメって結構たくさんあると思うのですよ。たとえば海のトリトンとかバビル2世とかサイボーグ009(最初のカラー版)とか、未来少年コナンとかハクション大魔王なんていう作品は子供心に「(絵もなんか古いし)明らかに10年以上前の作品なんだろうな」というのが分かりつつも夏休みのアニメ再放送枠でぼんやり見ていた思い出があります。
本稿で取り上げるド根性ガエルも僕にとってはそういう作品です。あの漫画が放っている高度経
済成長末期の雰囲気(みんな裕福というわけではないけど、食べるのに困るほどの貧乏はいない)
は、バブル期に小学生だった僕から見ると「ふた昔以上前の日本」に見えたのでした。

さて。そんなド根性ガエルなのですが、最近になって「原作の16年後」という設定の実写ドラマがテレビで放映されているのです。まだちゃんとテレビで見たことはないのですが、日テレのサイトで「30歳ニートのひろし(松山ケンイチ)」「バツイチ出戻りの京子ちゃん(前田敦子)」などの設定を見てまず最初に思ったのは「なぜ、誰が、今このタイミングで原作の16年後のド根性ガエルを作ろうと最初に考えたのか?」でした。
ド根性ガエルは70-76年に連載されていた漫画で、上述したように高度経済成長末期の時代の空気を色濃く反映しています。その16年後ってことは遅くとも92年とかになるわけですが。「ニート」という言葉が出てくるところからも分かるように、ドラマの時代設定は原作の16年後からさらに20年以上経った現代なのです。これはなんか無理があるんじゃないか?と誰しもが思うでしょう。
一番ありえる可能性としては、ド根性ガエルをリアルタイムで直撃していた世代が会社で一番権力を持つ50-60代になったので好き放題やってるということなんじゃないかと思ったりします。

改めて申し上げますが、僕は本稿を書いている段階ではこのドラマを一話たりとも見たことがありません。それを前置きした上で本稿の結論から先に申し上げると、「30歳ニートのひろし」等の諸所の設定からして、この実写ドラマは「寅さん」を目指しているんじゃないかと思うのです。
その結論にたどり着く前にどうしても必要なので少しだけ脱線して少年漫画における「父」の役割についての話をします。というのも、ド根性ガエルという漫画は少年漫画にしてはかなり珍しく「母親だけが出てきて父親が全く登場しない漫画」であり、それがアニメの歌詞にもあるような「泣いて、笑って、ケンカして…」の人情味あふれるドタバタコメディーを成立させている重要な要素なのです。
一番分かりやすいところで巨人の星にはじまり、北斗の拳、ろくでなしBLUES、ONE PIECE、ハイスクール奇面組…挙げてたらキリが無いのですが、たいていの少年漫画作品は関わり方(設定だけの存在~巨人の星みたいな親子鷹まで)の差はあれど何かしら父親が登場します。そして、母親はほとんど登場しないか、登場したとしても物語にダイナミズムを生み出すような存在ではありません。
少年漫画における父親の存在は、少年が非常識な戦いに巻き込まれざるを得なくなる動機であったり、時には少年に試練を与えて鍛える存在であったりします。また、ギャグ漫画に常識的な母親を登場させても特に面白くならないのでギャグ漫画は父子家庭設定で「ちょっとヘンテコな父親」が出てくるパターンが多いです。結果として、少年漫画雑誌というのはことごとく「母親不在で、父親ばかり出てくる」作品が多くなってしまうのだと思います。フロイド風に言うと「父の超克」、ラカン風に言うと「父なる者によって世界に秩序が与えられている」なんて言えるんじゃないかと思います。
脱線ついでに言うと、「父なる者」さえ登場しない少年漫画もいくつかは存在するのですが、例えばアストロ球団、あしたのジョー、風魔の小次郎、男塾、男坂、デビルマン、特攻の拓…と、このように父親が不在の少年漫画はあまりに荒唐無稽だったりどこか破滅的だったりします。

だいぶ脱線しましたが、「寅さんとド根性ガエル」の話に戻ります。
「寅さん」には寅さんの父親は出てきません。wikipediaによると寅さんと妹のさくらは異母兄弟(寅さんは芸者の子で、さくらは本妻の子)なんだそうです。そのせいか寅さんと父親は折り合いが悪くて、寅さんはある日家を飛び出してフーテンとなった…という設定が裏書されているそうです。
ともあれ、寅さんの世界では「とらや」の面々が全体として寅さんに対して「母親」として機能していて、この「母なる庇護者に守られた世界」は「人情物語」の舞台として機能します。なぜって、母親はとにかく子供に対する要求水準が低くて、極論すれば「生きてさえくれればいい」と思ってるので、いつまで経ってもうだつの上がらないフーテンが巻き起こす騒動を暖かく見守ることができるからです。
これは例によって内田先生の受け売りになりますが、少年漫画の下りで言及したように父親というのは子供を鍛えて相対的強者に育てようとするのに対して、母親というのは他人との優劣には関心がなくて、「弱者でも平凡でもいいから生き延びてくれること」だけを願っているんだそうです。だから、「父なる者の競争社会」から落ちこぼれたフーテンやニートを暖かく受容できるのは「母なる庇護者に守られた世界」になるわけです。
以上まとめますと。「母なる庇護者に守られた世界」という観点ではド根性ガエルと寅さんは繋がっているように見えます。時代背景などを無視してまでド根性ガエルの後日譚を作ろうと思った人が見せたかったのは母に見守られた世界で繰り広げられる寅さんのような人情劇のようなものだったんじゃないでしょうか?

というわけで、勝手な想像ばっかりでも失礼なので一回くらいはドラマ見てみますね。。

2015年7月25日土曜日

夏の高校野球は太平洋戦争の戦没者を慰霊するために奉納される能である

更新を2ヶ月もサボってたら、すっかり夏になってしまいました。いや、書こうと思うネタはいくつかあって実際に何個かは書き始めたのですよ。でも、途中で収拾がつかなくなって止まってしまったのです。で、そうこうしている間に2ヶ月も経ってしまったので、とりあえず以前から暖めていた「夏の高校野球は戦没者を供養するための能である」という話をまず書いてみようと思います。

7月の終盤ともなると、夏の甲子園の出場校がちらほら決まり始めました。毎年のことながら真夏に汗だくになりながら妙に笑顔を絶やさない高校球児を見てると「この暑い中にご苦労様です」と頭が下がる思いになります。そして、毎年のように必ず「高校生の健康に配慮して延長戦の時間をもっと制限するべきだ」とか「そもそもあんな真夏にやる必要があるのか?」といった議論が起こります。確かにごもっともです。春の選抜くらいの気候ならまだしも、一年中で一番つらい時期にわざわざ毎日のように試合をしなくてもいいんじゃないかなと僕だって思っちゃいます。
「夏休みでもないと遠い甲子園で毎日野球するのは無理」とか「お盆の時期なら親御さんも応援に来やすい」とか色々理由はあるんでしょうが。そういう現実的な制約条件とは全く別に「高校野球は太平洋戦争の戦没者を慰霊するために奉納される能」であり、お盆と終戦記念日をまたぐように日程が組まれていることにはそれなりの必然性があるのではないか?というのが本稿の趣旨です。

そもそも夏の甲子園というのは優勝する1校以外は最終的には敗者になるようにできています。つまり、普通に考えたら最後は負けるのです。ところが甲子園に出てくる高校球児達は徹底的に「負け方」というのを教育されていないように見えるのです。
甲子園に出るくらいの強豪校ともなると普段から「負け慣れていない」上に、指導者もたぶん「最後の瞬間まであきらめるな」とかいつも指導してるんじゃないかと思います。だけど「最後の瞬間まで諦めずに頑張った後」のことは誰も教育してないんじゃないでしょうか。だから高校野球は「試合終了の最後の瞬間まで全力で頑張る→試合終了と同時に泣き崩れる→泣きながら土を持って帰る」という光景を毎年のように再生産しています。

彼らの姿は70年前に終戦の玉音放送に泣き崩れるモンペ姿の日本人と重なります。高校球児達と同様に、「負け方」や「負ける可能性」について考えることそのものが当時の日本では徹底的に忌避されていました。そして、太平洋戦争当時の旧日本軍の兵士は「負ける可能性」を一切考慮しない無謀な計画の下に海外に送り込まれ、そのうちの60%の兵士は戦病死(直接戦闘ではなく病死や餓死によって従軍中に亡くなる)だったそうです。
例によって内田樹先生の話ですが、内田先生によると「強さ」というのは「連戦連勝する能力」のことではなく、「負けしろ」の大きさによって計量されるべきなんだそうです。こういう観点で見ると戦時中の日本軍の「連戦連勝して現地で次々と都合よく物資を調達できること」という牧歌的な前提の上に立案された計画には負けしろなんて一つも無かったわけです。そして、実際に負けしろの大きかったアメリカ相手に最終的にはボロ負けしました。これが太平洋戦争です。

今年も甲子園に負けしろを持たない高校生が集まります。彼らが負けて泣き崩れている様は、負けしろを全く持たなかった旧日本軍の兵士を慰霊/呪鎮するために上演される「能」として機能しているのではないでしょうか。そう考えると終戦記念日とお盆の時期をまたぐように夏の甲子園の日程が組まれていることにはそれなりの意味があるように思えるのです。
終戦記念日の正午には甲子園にサイレンが鳴り響き、しばらくの間試合を中断して黙祷が捧げられます。なぜ高校野球の試合を中断してまでサイレンを鳴らして黙祷するのか?と昔は思いましたが、高校野球と旧日本軍の戦没者は「負けしろ」の無さで繋がっていたのです。

2015年5月24日日曜日

90年代の70年代ブームと成熟できなかったおじさん達

いまから約20ほど前、90年代の中盤から後半に”70年代ブーム”というのがありました。この70年代ブームがある日突然やってきたのことは今でも鮮烈に覚えてます。例えば、ファンだという人に一人も会った事が無いMi-Ke(70年代風音楽のアイドルグループ)がやたらテレビの歌番組に出て来たり、裾の広いズボン(パンタロン)なんかがこの時期に流行ったり、ドパドパうるさいだけの貧相なアメリカンバイクのアイコラみたいなのが流行ったりしたのです。僕は80年代のズボンの裾がきゅっと締まっている文化を幼児期に刷り込まれて育ったので、あの70年代ブームというやつが生理的に受け付けなかったのです。たぶん、世の中と自分の感覚がズレていると初めて感じた時だったんだと思います。
さておき。今思えば90年代に70年代ブームを作っていたのは今の僕と同い年くらいの30-40代のおじさんだったのでしょう。で、20年たった今、その彼らは60歳前後の社長や部長や首相といったポジションに立っていて、20年越しにサラリーマンとなった僕は彼らと再び対峙しているように思えるのです。

彼らの表面的な特徴として、とにかく「おじさんとして成熟する機会を逸したまま、いつまでも気だけは若作りである」というのがあります。だってほら、70年代文化を10代の頃に刷り込まれて育ち、80年代にはバブルを謳歌し、90年代には70年代ブームを作り、その後の世代に向かって「俺はLed Zeppelinは中学生の頃に現役で聴いてたぜ」とかイキってられたりしたわけですよ。だから、「世の中からズレてるおじさん扱いされる」という局面を一切経験せずに気だけ若いまま60前後になれたんじゃないかなと思います
このおじさん達を評して内田樹先生は「60年代くらいにユースカルチャーが台頭してきて『若い事は素晴らしくて価値がある、老人は害悪だ』という風潮の中で育ち、その後『年を重ねることによる成熟』という道を放棄した世代」と半ば自戒を込めて言っていました
森毅先生の名言botに今までスタイルを作ってきて、そのスタイルに合わないものをうまく活かすといのが中年の自立でないといかんわけ、本来は。日本の会社の問題点は、中年の自立がないことよ、中間管理職に。かえっておじいさんの方がそういうことを気にしていたりするのね。経営者あたりが。というのがあったのですが。この発言がいつ頃かは分かりませんが、多分この時の中間管理職が今の60くらいのおじさん達なんじゃないかなと思うのです。

ちなみに。安倍政権を支持している人っていうのにもほとんど会った事がないんですよ。日本人ってそんなに政治の話を人前でしないから会った事があるのに僕が気づいて無いだけなのかもしれませんが。「安倍政権を支持している層」というのはMi-Keのファンと同じように「本当はいないんじゃないか?と時々思うのです。

2015年5月14日木曜日

日本のプロスポーツと外国人

プロ野球が開幕して一ヶ月になりますが、巨人がシーズン開始直後に連れてきたドミニカ人の新外国人がなかなかの問題児なんだそうです。太りすぎだし、打てない、守れない、さらに素行も悪いということで、来日していきなり一軍で試合に出たかと思えば、たった5日で二軍行きになったそうえす。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/397935/
この記事を読んだ限りで一つだけどうかな?と思ったのは、川相ヘッドが背後から「グッド・モーニング!」と声をかけたが、巨漢の“問題児”は、なんと背中を向けたままあいさつを無視。というくだりです。件のドミニカ人はどうか知りませんが、たとえばスペイン人だと必ずクラッチが噛み合った状態で目を合わせて挨拶するのが当たり前なのです。だから、背後から挨拶されるということが起こり得ると本人がそもそも思ってない可能性があるんじゃないかなと思うんです。
さておき、この人自身の資質や態度にも問題があるのは明らかですね。去年相手をしていたインターンの学生がまさにこういうタイプ(周りの空気を一切気にしない、人に迷惑かけてる自覚が無い、異文化に合わせようという気が無い)だったので他人事とは思えない反面、自分が被害を受けない距離にいる限りは「一人くらいこういう奴がいて、たまにすんごい場外ホームランとか打ったりするとプロレス的な面白さがあってプロ野球が面白くなるんじゃないかな?」とか思ったりするのですね(ちなみに去年のインターン生は残念なぐらい仕事ができませんでした)。

さておき、このニュースを見てから日本のプロスポーツに外国人はいつから登場するようになったのか気になってちょっと調べてみました。すると、日本のプロスポーツに外国人が加わるようになった時期は68-69年くらいの時期に集中していることが分かりました。


■プロ野球
戦前のスタルヒンなどの例外を除いて、1970年から外国人助っ人が日本でプレーするようになったようです。1970年は巨人のV9時代最盛期で、圧倒的な強さを誇る巨人とそれ以外の戦力格差の是正という趣旨もおそらくあったんだろうと思われます(巨人はV9終了までは外国人選手を使っていなかったようです)。

■相撲
高見山が幕内デビューしたのが1968年です。

■プロレス
終戦直後からしばらくは、力道山vsシャープ兄弟に代表されるように外国人は欠かせない存在でした。ただしこの時期の外国人レスラーはシャープ兄弟を筆頭にほとんどヒール(悪役)でした。この構図には敗戦国日本のルサンチマンが見て取れるわけですが、そこから逸脱して外国人レスラーがベビーフェイス(善玉)として人気者になったのはデストロイヤー、マスカラス、ファンクス辺りが最初で、やっぱり70年より1,2年くらい前の話です。

ここまでで列挙した外国人はざっくり言うとアメリカ人なんです(マスカラスはメキシコ人ですが、彼もアメリカのプロレス経由で日本に来てたので文脈としてはアメリカ人と言って良いでしょう)。一方で、この70年より数年前というのは全共闘や70年代安保の全盛期です。
自分が生まれる前の時代の話なので半分推測でしかないのですが、それまでの”外”にある絶対的な立場にあった戦勝国=宗主国であるアメリカとの関係がこの頃くらいから変わり始めたんじゃないかなと思います。そして、この頃になって日本人は敗戦国としての反米感情とそれなりに折り合いをつけて外国人(=アメリカ)を自分たちの側に受け入れ始めたんじゃないかなと思います。

2015年4月19日日曜日

イデオンを見てたおじさんがGのレコンギスタを語ってみる

このblogにアニメの作品の感想をそのまま書くなんていうことは一回もやったことがないのですが。今回は3月末で放映が終了した「Gのレコンギスタ」というアニメをやっとこさ先日最終回まで見終わって、その感想を書き残しておきます。僕にとってはロボットアニメは血のようなものなので、ましてや富野監督が15年ぶりに直々にガンダムを手がけるとなると、「逆襲のシャア以降の富野監督はガンダムという名前の作品で今までのガンダムとは違うものを作りたがってるのはわかるんだけど、なんだかなー」とかなんとか文句言いつつ、子供が生まれてからテレビを見れる時間も限られていつつ、それでも結局は見ちゃうんですよね。

■エネルギー=欲が宗教によってコントロールされた世界
この作品では地球を含めて全人類の利用するエネルギーは金星で作られるフォトンバッテリーによって賄われています。そのフォトンバッテリーを地上へ運んでくる軌道エレベーターを神聖視するスコード教にすべての人類が帰依していて、科学技術を発展させることはおろか、太陽光パネルを地上に設置することさえもスコード教によって「タブー」として禁止されています。こういう世界になった背景には「欲に任せて拡大路線を続けた結果、人類が一度滅びかけた」という設定が裏書されています。
この作品での「エネルギー」というのは日本における原発がどうこうとかいうよりは「人間の欲」とそのまま直結していて、「限られたエネルギーで可能な範囲に欲をコントロールしながら世界と調和しなければ人類は滅びてしまう」「欲のコントロールを可能にするのは宗教くらいなのではないか」というメッセージを僕は感じ取りました。もっと深読みすると、「社会主義は頭でっかちな理屈でしかなかったので欲のコントロールができなかったけど、宗教ならばそれが可能なのではないか?」と言ってるようにも思えました。

■イデオロギーが違う ≠ 敵
ガンダムという作品が確立したのは「イデオロギーによって世界はいくつかの陣営に分断され、それぞれの陣営の理念や理想を演説しながらロボットに乗って戦う」「リアルな戦争を描いているので、敵陣営とは個々人では理解し合えることはあっても、組織としては反目しあうだけ」という図式で、これはその後のリアルロボットアニメの多くにもそのまま受け継がれたんじゃないかと思うのですが。Gのレコンギスタでは富野監督がこの図式(と、基本的に変わらない現実の社会)に対して意図的に「そうじゃない世界」を描こうとしたんじゃないかと思うのです。
Gのレコンギスタの登場人物は、全員がスコード教という宗教の信者です。別々の陣営に分かれて戦争をしている一方で、お互いにまったく相容れないわけではなく、共通の宗教感は共有しているわけです。なので、ついさっきまで宇宙でロボットに乗って殺し合いをしていたかと思うと、地球へのエネルギー(フォトンバッテリー)供給源のご機嫌を損ねないために突然一緒に協力して宇宙のゴミ拾いを始める…なんてことが起きたりするのです。このくだりは見てる側には「はぁ?」としかならないわけですが、たぶん富野監督の意図はまさに「はぁ?」って言わせることだったんじゃないかなー?と思います。

■特定の組織の利害だけに囚われるキャラクターは全員死ぬ
死亡していくキャラを列挙しようとしてひとしきり疲れたところに、便利なまとめ動画がありました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25928085
この作品で死んでいくキャラクターに共通するのは、「特定の組織やの利害だけに囚われている」ということです。こうやって死んでいくキャラクターの大半は悪そうなキャラ(先々死ぬのがなんとなく予想できる)として描かれているのですが、中にはそうでもないキャラクター(例えばアイーダの父やキア隊長)も含まれています。特に初期にあっさり死んでいったカーヒル大尉とドレンセン教官などは、周囲の人望も厚い人物として描かれています。この二人はかつてのガンダムであれば主人公の頼りになる兄貴分的な位置付け(初代ガンダムで言えばリュウとかスレッガー)で活躍しそうなのに、初期の数話であっさり死んでしまったのはこの作品のルール(「特定の組織の利害に忠実=模範的な軍人タイプは死ぬ」)を示すためだったんじゃないでしょうか。
最後にクリム中尉が自分の父親を殺そうとするのはまさにこのルールの実践なんだと思います。

■メガファウナ(海賊船)は出自を問わず人を受け入れる箱舟
元々キャピタルガードだったベルリ少年がふんわりと敵だった海賊船に所属するところから始まり、メガファウナに集まって定着するキャラクターはラライアとリンゴ(トワサンガ)、マーニィ(キャピタルアーミー)、ケルベス中尉(キャピタルガード)と、悉く出自がバラバラです。そして、定着にいたる経緯とか葛藤といったものは一切描写されていないので、見ている側としては「あれ?なんかよくわかんないけどアイツも仲間になったんだ」とか思ってるうちにいつの間にやら当たり前のように一緒に戦ってるわけです。
例えばZガンダムでエマ中尉がエウーゴ側に寝返った直後には、「監視カメラの無い部屋にエマ中尉は入れない」といった描写がされていました。だけど、Gのレコンギスタではそういう軍隊としてのリアリティみたいなのを描くことにそもそも富野監督自体が関心がなさそうに見えるのです。そんなことより「はぁ?」って言わせたかったんじゃないかなと思うのですね。

■Gセルフ / クレセントシップ / ベルリとアイーダの両親  =  イデオン / ソロシップ / イデ
結局のところベルリとアイーダの両親は何の意図を持ってGセルフやクレセントシップを作ったのか、その意図はよくわからないのです。ひとつだけ確かなことは、ベルリやアイーダがGセルフに乗ってやってくるのをクレセントシップはずっと待っていたということです。その後、「ベルリとアイーダの両親 = イデ」の意思を乗せたGセルフとクレセントシップに導かれてベルリ達は地球に帰っていく…いろんなことを端折ってまとめるとそういう話のように見えるのです。
どうしてもGのレコンギスタとイデオンと比較したくなるおじさんとしては、Gセルフとクレセントシップはイデオンとソロシップそのもののように見えちゃうんですね。最終的にはクレセントシップは生き残った(上記の死亡ルールに該当せずに仲良しになった)人達を全員乗せた箱舟として旅立ちます。イデオンみたいに皆殺しにはなってないですが、イデオンのラストとどうしてもカブるんですよ。

以上、ネット上での評判を見た限りでは、Gのレコンギスタは「世界観の説明が不十分」「キャラクターの心情の描写が不十分なのでキャラクターの行動が突飛で不可解に見えて感情移入しにくい」、つまり簡単な一言で言うと「意味がわからない」と、酷評されているように見えます。そう言いたくなる気持ちはものすごくよくわかるんですが、富野監督は「人類が一度滅びかけた後に宗教戒律によって欲をコントロールして生き延びた後の、今より何千年後の世界には現代人に理解できないことが沢山あって当たり前。」と半ば割り切っているようにも見えます。
そして、「そんな今までの常識では理解できないような新しい世界観にこそ、人類の抱えるあらゆる問題(環境、エネルギー、戦争…)を解決する可能性があると期待してみてはどうか?」という問いを投げかけているようにさえも見えます。

と、これだけ好意的に評価しておきながらどうしてもこれだけは気に入らないということが一点だけありまして。それなりにスペイン語やってた立場から申し上げますが、「レコンギスタ」はどう考えてもダサいっていうかセンスを感じないです。このタイトルはこの作品において一番致命的な欠点だと思うということは最後に申し上げておきます。

2015年3月24日火曜日

今更ですいませんが、AKBについてちょっと

2012年8月。2年間スペインに滞在した後に日本に帰ってきました。そのときはスペインと日本のギャップが大きすぎてそりゃまぁ色々つらかったのですが。帰ってきたときに驚いた事の一つに、僕の歓迎会を開いてくれた三十代半ばの同期が全員「AKBの押しメン」について一家言あって、その話題で結構な時間盛り上がってたことなのですね。いや、AKBの存在はスペインでも認知できていましたが、そこまでと浸透しているとは思わなかったのです。

AKBというグループを日本に帰ってきて最初に見た感想は「なんでこの人達は必ず全員一緒に歌うんだろうか?」だったのです。これまでのアイドルグループはそれぞれのソロ歌唱パートが曲のどこかにありました。これは、恒常的なメンバーチェンジという概念を導入したモーニング娘でさえも継承してきた伝統なんですけど、AKBはそれをあっさり捨ててしまったかのように見えたのです。
この「全員で一緒に歌う」というスタイルはおそらく「総選挙でメンバーが格付けされて入れ替わる」というシステムと不可分の関係にあるのでしょう。個々人のソロパートなどが存在しなければ、総選挙でメンバーが入れ替わっても以前の曲をそのままレパートリーとして使い続けられるわけですから。

こういうこと言ってると自分が本当におじさんになったなぁとしみじみ思うのですが、つまるところAKBは
・お客様=市場原理の格付けに対して従順である
・全員が入れ替え可能な部品である
・基本横並びの扱いの中でのローカルな差異や格付けに心血を注ぐ
といった具合に、日本の若者に期待されるロールモデルそのものなんじゃないかと思えるのですね(たぶん同じ事を言ってる人がすでに100人くらいいそうですが)。
だけどこうやって列挙してみるとAKBは日本ローカルでしかウケなくて、日本人以外に受容される可能性は極めて低いんじゃないかと僕は思うのですが。なんで秋元康はAKBを海外に輸出できると思ったんでしょうかね?実際に秋元康はAKBをクールジャパンのコンテンツとして海外に輸出しようとしてJKT(ジャカルタ)とか作ってましたけど、結局は鳴かず飛ばず(のように僕には見える)ですよね?しかも、それでも未だに秋元康はクールジャパンの推進委員会だかに名前を連ねていて、安倍晋三とも仲良さそうなのがどうも不思議なんですよね。。

AKB商法というのは「総選挙に投票するためにCDを買う」というお客さんを作ったことで、音楽=CDの存在意義をビックリマンチョコのチョコ部分程度まで落としめたと思うのです。この歴史的意義はあと10年くらい経ったときに何かしらの評価を受けるでしょうが、ビックリマンのシール(だけじゃなく、食玩やペットボトルのキャップなど)を集めるのに熱中する文化もたぶん日本人以外にはなかなか理解されないかなー?と思うのですよ。

2015年1月26日月曜日

イスラム国人質事件と戦後の終わり

これを書いている現在、イスラム国に二人の日本人が誘拐されて身代金を要求された事件は「タイムリミットの72時間を過ぎ、どうやら湯川さんだけが殺害されたようだ。」という状況です。
本件に関連して、イスラム国と日本の間をつなぐことが可能と思われるイスラム法学者の中田考先生(http://blogos.com/article/104005/)は、公安に押さえつけられて身動きが取れなくなっている立場を押して会見を開きました。彼の会見からは「日本人に理解されるとはそもそも期待してないけど、それでもここで何もしないよりはマシ」という、諦めが大前提にあった上での切実で真摯な空気が感じ取れると同時に、安倍晋三および日本政府の外交がいかに中東情勢を理解しない素人の立ち振る舞いであるかを静かに糾弾しているように見えました。
この事件に対する安部晋三及びその支持者であろう右寄りの方々の反応を見てると、この国の国民やってるのがどんどん嫌になってくるのですが、まぁその辺の話を順を追って。

まずネット上のニュース等でよく見かける「自己責任」という言葉を使う人々について。
自己責任という言葉の根底にあるのは以前取り上げた恥の文化という日本独自の心性なんじゃないでしょうか。わざわざ危険な場所に出向いてイスラム国に人質になるようなことは「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦前の戦陣訓と同じ「恥の感覚」に基づいて人質になった二人を非難しているように思えるのです。
この件に対する反応はアルジェリア人質拘束事件のときと極端までに正反対のように見えるのです。あの当時の日本の論調は「イスラム過激派に襲われて不慮の死を遂げた企業戦士の英霊」みたいな形で、亡くなった方々を悼む作業に過剰なまでに日本全体が熱中しました。そこに乗った安倍晋三は遺体回収に政府専用まで出すお手盛りぶりで犠牲者を遇したのでした。当時、細々ながらネットに「ハイリスクハイリターンの油堀りに自分から行って死んだんだから自業自得だ」みたいなことを言う人もいましたが、ものの見事に叩かれていたのを覚えています。でも、職業的必然性によって危険な場所に赴いたという点では今回人質にとられた二人とアルジェリア人質拘束事件の被害者は何も変わらないんじゃないかと僕は思います。
彼等の評価を分けた要因は「生きて虜囚の辱めを受けた挙句に身代金を要求される事態に至り、日本政府を含む多くの人に迷惑をかけた」か、「テロリストに問答無用で殺害されて非業の死を遂げた」かの違いでしかありません。つまり「生きて虜囚の辱めを受けず」を守ったかどうかの違いでしかないのです。もしかしたら現代の日本では人様に迷惑をかけない教の支配がもしかしたら戦前以上に強いんじゃないかとさえ思います。
さらに何が問題かというと、「自己責任」という言葉を使う人の頭の中では「わざわざそんな危険な場所に自分から出向いていったのが悪い」ということと「殺されても仕方がない、身代金なんて払う必要はない」が何の躊躇もなくイコールで結ばれてしまっているように見えるのです。
二人の日本人がイスラム国に捕らえられて人質になったのはだいぶ前の事ですが、殺人予告ビデオに引っ張りだされて身代金を要求された挙句に殺害される結果になったのは安倍晋三が中東の西側寄りの国を外遊して不用意にイスラム国を刺激したり「戦う」なんていう言葉を不用意に持ち出したからです。
「自己責任だから殺されても仕方ない」と言っている人たちは僕の想像ではネトウヨなどに代表される安倍晋三支持層なんだと思いますが、この人達は二人の日本人が殺害予告の対象になるような結果を招いたことが御自身の支持する安倍晋三にある、翻って自分にもわずかながら責任があるという意識が全く無いんだろうと思うのです。

そして、安倍晋三の「テロには屈しない、戦う」と向かって言い張る姿勢を評価する人達って、「テロは許されるべきでない」と「戦う」が何の躊躇もなくイコールで結ばれているように見えるのです。テロは許されるべきではないのは誰だってわかります。だからって不用意に「戦う」なんて言うと尚のこと日本および日本人がテロの標的になってしまいます。この辺りを「煮え切らない態度の末にやりすごす」という一昔前までの日本の政治のような立ち振る舞い方が安倍晋三には致命的にできないのです。わざわざイスラム国の反感を煽るような言動の後に「卑劣なテロの被害者」という被害者の立場を先取して自身を正当化しにかかるという外交政策は、日本を大東亜戦争へと導いた戦前の日本の外交政策のロジックそのものです。
現在の中東情勢の背景には中東のイスラム教徒が西側諸国に振り回されて不当に扱われてきた歴史があります。こういう歴史的背景をわきまえずに不用意に西側諸国の側について「戦う」とか言ってしまうと、イスラム教徒の立場からは「十字軍に参加した」と見做されて、積もりに積もったイスラム教徒の西側諸国への恨みまで一緒に引き受けてしまうことになってしまうわけです。そのことがもたらす災厄を安倍晋三およびその支持者は過小評価しすぎているんじゃないかと思います。
もっと言うと、外交というのは「僕ちゃんの正義」が最初から通用しない相手と交渉することだという感覚が彼等には無いんだろうと思います。あんまりこういうこといいたくないけど、これこそが「島国根性」という心性(分かり合いたがりすぎる、分かり合えると期待し過ぎる)のように僕には思えます。

しかしながら、日本政府というか安倍晋三が目指していたのって最初から今回のような結果になることだったんじゃないかなと思うのです。つまり、西側諸国と同じように「テロの標的になる」「テロと戦う態度を示す」「イスラム国と交渉する」ことこそ彼らが望んでいたことなのではないかと。だから中田考氏のようなイスラム国の側の考え方を理解できる人材を人質解放の交渉に活用するなんて彼は最初から望んでいないんだろうと思うのです。
繰り返しになりますが、かくして「相手のことを考えない、相手の土俵に乗ろうともしない」という稚拙で一本調子な外交の末に「悪のテロ組織によって貴重な人命が失われた」と、被害者の立場を先取して自身を正当化することは、日本を大東亜戦争へと誘導した戦前の日本政府と何も変わりません。政治に携わる人は「僕ちゃんの正しさをわかってもらう」ことよりも国民の生命、自由、権利といった「国民の利益」に重点を置くべきですし、そもそも「僕ちゃんの正しさ」だけ吠えてればいいんだったら政治なんて必要ありません。

かくして日本という国は戦後70年にわたって平和憲法と煮え切らない外交によって維持してきた「他国から敵と見做されない立場」をとうとう捨ててしまいました。この状況は別の言い方をすると「戦後」が終わり、新たな戦争の「戦前」かもしくは「戦中」に入った事を意味しています。というような事を誰かが言ってたのを読んだ気がするのですが、誰だったか思い出せないので参照もせずにそのまま使わせていただきます。若しくはこうやって戦争に巻き込まれに行くことが安倍晋三の言う「戦後レジームからの脱却」なんでしょうかね?
今度の戦争においては従来型の戦争のように明確な戦場という場所がたぶんありません。テロは当たり前のように市民生活が営まれている場所で発生します。日本でテロ事件が発生したときに被害に遭うのは、今回のイスラム国による人質事件の被害者を「自己責任」と断罪した方々かもしれませんし、僕なのかもしれません。「自己責任」や「卑劣なテロ」という言葉を使って事態を「正義」と「悪」のような簡単な図式に落とし込むことで知的負荷を減らしたがる方は、一度その事について考えていただけないかなぁ。と、日本国民の一人として思うわけです。

2015年1月3日土曜日

ヨルタモリは能に見える

30歳になったときに「そこから40になるまでびっくりするくらい早いよ」と職場のおじさんに言われたのですが。これ、本当にその通りで、気がついたら四捨五入して余裕で40歳になってしまうような年頃になりました。こうやっておじさんへの道を着々と歩んでいると、新しい何かを自分に取り入れるのがどんどん面倒になってくる反面、これじゃいかんという危機感も相まって、新しい何かに出会うとすごくうれしく思えるようにもなりました。
そんなこんなで、昨年新たに自分の興味の対象に「能」が加わったときにはなんだかすごくうれしかったのですよ。興味を持ったきっかけは例によって内田樹先生です。内田先生はフランス現代思想と合気道に加えて趣味として能をやっていて、能に関する講演や著作活動もしています。その影響で去年は何度が能楽堂まで実際に見に行ったのですが、そしたらこれが面白かったんですよ。あれはオーケストラなんかと一緒でテレビではなくライブの場で見るべきだと思います。

能の何がいいのかと聞かれると明快な答えはなかなか見つからないのですが、いろんな人に言われているように能は「祈りの芸能」なのです。あらゆる芸能は源流に遡ると大なり小なり宗教儀式という性格を持つのですが、中でも能は宗教儀式という側面をそのまま色濃く残している芸能なのです。だから、能を見に行くというのはお芝居を見に行くのと神社に参拝に行くのを混ぜたような不思議な感覚なのです。
そんなこんなで能や能に関する本ばっかり見てたら日本人のつくる物は妖怪ウオッチまで含めてなんでも能に見えてしまうようになりました。例えば、「千と千尋の神隠し」はあからさまに能の影響が見て取れます。川の神様(顔が能の神の面そのもの)を浄化する浴室の壁には老松が描かれていて能舞台を意識していますし、なにより話の構造自体が「ワキ(千尋)が異界へ引き込まれる→そこでシテ(川の神様、ハク、カオナシ)の苦しみを、ただ聞いて寄り添ってあげることによって浄化する」という、典型的な能の曲の構造になっています。

で、ようやく本題のヨルタモリなんですが。これも見事なまでに能の構造をしているように見えるのです。ざっくり番組について少し説明しますと、舞台は宮沢りえがママを務めている東京の架空のバーです。そこでゲストとタモリ扮する架空のキャラクターによるトークを基本として番組は進行するのですが。30分の番組の進行を時系列をおって記述するとだいたいこういう構成になっています。

  1. 宮沢りえとゲスト出演者とのトークで始まる
  2. しばらくするとタモリ扮する架空のキャラクターが登場する
  3. トークを繰り広げた後にタモリ扮する架空のキャラクターがトイレに行く
  4. トイレに行ってる間はタモリが別のキャラクターに扮する架空のテレビ番組が流れる
  5. 架空のテレビ番組が終わるとタモリ扮するキャラクターがトイレから戻ってくる
  6. しばらくトークして、タモリ扮するキャラクターがお金を払わずに帰っていく
能でいうと、宮沢りえ=ワキ、タモリ=シテです。
タモリが架空のキャラに扮して登場して、さらに途中で別のキャラクターになって架空のテレビに出てくるというフラクタル的な虚構の構造は能のシテが途中で正体(妖怪とか神とか)を現すのと同じように見えます。
そして。実は宮沢りえも暗黙のうちに「芸能人:宮沢りえ」と「架空のバーのママ」の間を行き来するのです(これは能のワキには普通見られないのですが)。宮沢りえが上記の1の場面では「芸能人:宮沢りえ」として昔話をしていることが多いのですが、タモリ扮する架空のキャラクターが出てくるといつの間にやら「架空のバーのママ」のキャラになります。その後また「芸能人:宮沢りえ」との間を暗黙のうちに行ったり来たりするのですね。
能の面白いところの一つは、同じ演者のキャラクターがいつの間にやら変わっていたり、時間がいつの間にやら何十年も後になってたり、場所が全然違う場所になってたりと、時空間が能舞台の上で変容していくところだと思うのですが。こういう観点からするとヨルタモリはとても能と共通する印象を受けるのです。


蛇足ですが「時空間の変容」という観点からすると、「ハウルの動く城」もとても能に近い印象を受けます。ソフィーが少女と老婆の間を行き来することや、城の中のいくつかの扉が全く違う世界に繋がっていることなんかが能っぽく見えるのですね。「千と千尋」と「ハウルの動く城」は製作時期も確か繋がっていると思うのですが、この二作は宮崎作品の中でも特に能に近い感性を感じるのです。

2015年1月1日木曜日

マニュアル本信者とスピリチュアル

だいぶ間が空きました。気がついたらもう年が明けてしまいました。そんなこんなでこのblogもほとんど文句ばっかり書いてる割には気がついたら一年半も続いてしまいました。昔から、一度始めたことを延々と続けることに妙に固執する性癖があるのです。小学生二年生のときには「冬でも半袖半ズボン」をやせ我慢の末に達成し、20代の頃はお正月に注連飾りを車につけてそのまま一年間走り続けたことがありました。というわけでこのblogも案外このまま続くかもしれませんし、突然ぱったりやめちゃうかもしれませんが、ともあれ今年もよろしくお願いします。
さて、例によっていきなり結論から入りますが、今回言いたいことは以前ネタにした「ビジネス書に対する態度がモテるためのマニュアル本信者と変わらない人達」ジェーン・スー女史が言うところの「スピリチュアルにハマる女子」はほとんど一緒なんじゃないかなと思ったという話です。
上記の両者のどっちらも根底にあるのは自身のポテンシャルと「特別な自分になりたい」という願望の間にギャップがあるということです。で、それを埋めるために女子の場合はスピリチュアルにハマり、男子の場合は何かしらのビジネス書などをマニュアル本として信仰する結果につながっているように見えるのです。いずれにせよ、願望と現実のギャップを埋めるための手段が「信仰」になってしまうということはこの両者に共通していると思います。

なんでこうなるかというと、小田嶋隆氏が小保方氏の事件に際して指摘していたいように、この国では「女子力」や「コミュ力」のような「虚力」によって実力が水増しできるというよく分からない信憑があるからなんじゃないかと思うのです。もちろん所詮は虚力なのでいざとなると役に立た無かったり、それだけに頼ってると小保方氏みたいになっちゃうんですけどね。
もうちょっと飛躍した話をすると、「全員が神に愛された特別な人間である」という前提でできているキリスト教文化から中途半端に表面的な教育制度をコピペしてしまったのが問題の出発点なんじゃないかと思うのです。結果として日本の教育って「虐げられる者として収奪される庶民として生きること」と「特別な自分になるための自分探し」という矛盾したテーマを同時に突きつけていて、これが「誰でも特別な自分になれる」という信仰に傾倒する人々を生んでるように思えるのですね。
こんなことにならないためにどうしたらいいかというと、だいぶ説教臭いんだけどやっぱり教養というのはすごく重要なんじゃないかと思います。教養って、それを知っているからといってお金が儲かるとかモテるとかそういう実用的な価値はまるで無いけど、それを知っていることで人生が豊かになるような物だと思います。そういう資質が育てば、虚力によって実力不足を補おうとするのがどれだけカッコ悪いか生理的な反応のレベルで理解できるようになると思います。最近読んだ天才数学者岡潔の本に書いてあった言い方を借りると教養というのは「物の良し悪しがわかる」ということなんだと思います。

しかしながら、自称「未婚のプロ」であるジェーン・スー女史の本を読んでると、まだスピリチュアルにハマる女子のほうがマニュアル本信者の男子よりもマシなんじゃないかと思うのです。だって、スピリチュアルにハマる人はそれが虚力であるということをある程度わかってますが、マニュアル本信者ってマニュアル本によって自分に新たな力が加わったと本気で思ってるみたいですから。
そして、女子のスピリチュアルは身体性を伴うのに対して、マニュアル本信者の男は身体的要素が欠落していてたいてい脳的な快楽の追求だけを志向しているように見えるのですね。またしてもだいぶ飛躍しますが、女子って「自分が子供を生むか」について子供の頃からずっと意識的なわけで、自分が身体性と不可分な関係にあることを生まれながらに理解しているように思えるのです。一方、自分の身の回りの経験からの話でしかないのですが、「特別な自分になりたい」と言ってマニュアル本信者になる男子は子供を持ちたがらない人が多いように思います。
彼等の好きな"純粋に脳的な快楽"の対極にある「自然そのもの = 当たり前の手順で当たり前のように育つ(セックスしたら妊娠して普通にお腹が大きくなって血まみれで生まれてきて、ちっとも言うこときかない) 」として生まれてくる子供が彼等は怖いんじゃないかと思うのです。子供が生まれる=「自分にとって世界で一番大事な存在を人類が累々として積み重ねてきた当たり前の手続きで得る」ということは、自分が人類全体の営為の一部として生きているという実感を得る機会になるんじゃないかと思うのですけどね。

でもこれって、マニュアル本信者が志向する「特別な自分」という自意識と相反する感覚だから彼等は子供を忌避するんじゃないかと思うのです。もしくは、マニュアル本信者は「特別な自分」の実現(どうせできないんだけどね)という物語に夢中で子供なんて邪魔にしかならないと思ってるのかもしれません。でも子供ができるのって「特別な自分」という執着から自由になれるせっかくのチャンスなんじゃないかと思うのですけどね。
別の言い方をすると、子供ができるという経験によってはじめて男性は人類が累々と積み重ねてきた時間方向の営為の連鎖に取り込まれていくのではないかと思うのです。例えて言うなら、(ベタな例え話としてSNS等にように)同時代的に横方向にしか繋がっていなかった人が、子供の誕生によって縦方向に何万年と続く人類の時間の流れに接続されるわけです。女性はこうやって命が連鎖していることを誰に教わるでもなく最初からなんとなく理解しているように思えるのですけどね。

うーん。気がついたら、なんか消耗品として20世紀末に消費されつくした村上龍の本みたいな話になっちゃったぞ。