具体的に例を挙げます。彼は職場のコミュニケーションを可能な限り部署内のローカルSNSのようなもので行うべきだと考えているようで、先日彼がそのローカルSNSの運用ルールについての提言をまとめてきたのですが。なかなかすごいことが書いてあったのです。例えば、
- 対面での会話が必要ない限り、極力ローカルSNSでコミュニケーションを取る
- 他人の投稿を読んだらとりあえず「いいね」を押すこと
この人の致命的な問題の一つは、「コミュニケーションというのはそもそも面倒くさいものである」ということを理解していないということだと思います。そもそもコミュニケーションがなぜ必要なのかというと、人それぞれ考えていることや価値観が違っているので、それを埋めるためにあるのではないでしょうか?しかし、彼は「自分と価値観の違う人間とはコミュニケーション取る気がないので、相手にしたくないです。だからアンタ達は自分と同じ価値観を共有してください。」と言ってるわけです。
ご本人の表面的な自意識としては「自分はコミュニケーションを促進したいと思っている」のだろうけど、実際には彼は職場内でのコミュニケーションを放棄しているのです。でも、そこに全く気付いてていないのです。むしろ、彼の放っているメッセージは「ボクちゃんと同じ価値観を共有してくれる人とローカルなSNSで毛繕い的なコミュニケーションを展開することを『コミュニケーション』だと思っていますが、何か問題でも?」とさえ言ってるだけに見えてしまうのです。
あんまりこんな言い方はしたくないのですが、一回でも欧米に出て生活してみれば職場内のツールの運用方法程度のことでA42枚分のルールを他人に向かって提案したりはしないと思います。「人それぞれ考えていることが違うのは当たり前なので、その中でお互いに可能な限りの自由を保障するために最低限の約束事を共有する」というコンセプトでできている欧米の世界観に一回でも触れたら、ルールは必要最小限のシンプルなものに留めようとするでしょうね。
ついでに言わせていただくと、
- 「単なる情報の共有」と「コミュニケーション」の区別がついていない
- 「自分がいいと思っているものは説明すれば理解してもらえるはずだ」という根拠の不明な思い込みはどこから出てくるんだろう?
- 本人は「道具を使いこなしている」つもりなんだろうけど、こちらから言わせていただくと「道具に使われている」ようにしか見えない