2023年12月31日日曜日

過去の栄光を振り返ることの方が日本人にとってリアリティがあるのではないか?

気が付けば2023年も最後の日となりました。先日冬休みになったと思ったのに、もう31日になってしまったので、せめて今年最後の悪あがきにこのblogに一筆したためようと思います。2023年を振り返ってみると…あんまり後ろ向きな事ばかり言いたくないのですが、今年は日本の劣化と没落がいよいよ目に見える形になって表れた年だったのではないかと思います。ダイハツ、宝塚、ジャニーズ、ビッグモーター、自民党…数々の不祥事が明らかになっただけでなく、急な円安が進んだ影響で物価の高騰が庶民の生活を直撃しました。

そんなご時世に丁度合わせたかのように「葬送のフリーレン」の放映が今年の秋から始まりました。この作品は長寿のエルフである魔法使いフリーレンが、亡くなった勇者ヒンメル達との過去の冒険の足跡をたどりながら「人の心を知る」ための新たな冒険を始める…という話です。これまでの少年漫画だったら、魔王を倒すための現在進行形の冒険物語なのですが、フリーレンは魔王を倒したかつての旅の思い出を振り返る旅をしています。

この「過去の栄光の日々を振り返る」という作業こそが、今の日本人にとって最もリアリティがあることなのではないかなと思うのです。少し脱線しますが、何年か前からアニメやラノベでは異世界転生モノの作品が人気を集めていて、今も毎シーズン必ず一つは転生モノのアニメが作られています。これが結構長い間続いているのは、今の日本人にとって「転生する」ということにリアリティがあるからだとずっと思っていたのですが。。フリーレンは日本人にとってのリアリティが「(斜陽化する現実から脱出するための)転生」から「(斜陽を真正面から認めて)過去の栄光を振り返ること」に移行しつつあることを示唆しているように見えるのです。

東京オリンピックが総括されずにウヤムヤに終わったまま、今も大阪万博や札幌オリンピック(こっちはやめる方向らしいですが)などの「過去の栄光」の再生産に日本の政治家は躍起になっています。ここには建設業界や広告業界等との利権の問題もあるのでしょうが、単にそれだけというわけでもないのではないかと僕は思います。「クールジャパン」がウヤムヤでどこかに行ってしまった今となっては、日本人には世界(=外向き)に向けて誇れる(と思える)自国の存在意義が見えないのではないでしょうか?だから、日本人は内向きに「過去の栄光」を反復再生産しようとする事くらいしかやる事がないのだと思います。

なんだか救いの無い話になってしまいましたが、フリーレンに救いがあると思えるのは、エルフであるフリーレンには「名誉」とか「お金」といった人間らしい欲がほとんど無い事です。魔法を使えばお金を稼ぐ方法はいくらでもあるはずなのに、フリーレンはそういう事には関心がありません。そして、フリーレンの旅の目的は「魔法の収集」と「死んだ仲間にもう一度会う事」だけです。フリーレンは斜陽国日本の若者に対して「世間の価値基準にとらわれずに、自分の好きな事と、自分の大切な人との繋がりを大事にする」というロールモデルを提供しているように見えるのです。そこには何か希望があると思いたいです。

2023年12月2日土曜日

進撃の巨人の完結に寄せて

このblogに進撃の巨人について書いたのは、もう10年も前になります。あれから10年間、何度となく続きが気になって仕方がなかったのですが、それでも漫画を読まずにアニメでだけ見るという事を続けてきました。漫画を買うお金や買った後のスペースの問題もさることながら、どうせアニメで見るんだったらそれまで漫画は読まないという大人のスタンスを10年間続けたのです。この10年間、エレンも僕も頑張りました。終わってみての感想がどうこうというよりも、長く続いたものが終わったという喪失感のようなものの方が大きかったです。

まず、最初に言うべきこととしては、当初の予定通り伏線をしっかり回収して「終わり切った」ということです。どれだけ最初にストーリーを考えているのかよくわからないですが、かなり最初からストーリーをちゃんと設計されていた作品だったのでしょう。原作の漫画はちゃんと読んだことないのですが、時系列が頻繁に入れ替わったりしていて、地ならしのシーンも割と早い段階で断片的に描かれたらしいです。行き当たりばったりで話を作っていたらさすがにこんなことはできないと思います。

そして、アニメの最終話は狙いすましたようにパレスチナ情勢とリンクする時期に公開されたと思います。現在のパレスチナ情勢は、(1)かつてナチスを含めて世界中で迫害されてきたユダヤ人がイスラエルを建国し、(2)今度はユダヤ人がパレスチナ人を迫害する…という歴史によってもらされました。かつてユダヤ人がかつてやられた迫害をそのままパレスチナ人にやり返しているようにも見えますね。

話は戻って進撃の巨人ですが。この作品におけるマーレ人とエルディア人の関係はナチスのユダヤ人迫害をモデルにしているらしいです。その結果として、エレンは地ならしで人類の8割を踏みつぶしてでも、エルディア人が国際社会から攻撃されずに存続できる世界を作ろうとします。これは(1)のイスラエルの建国になぞらえることができるのではないでしょうか?しかし、実際にはその計画は成就せずに、パラディ島も最終的には対外強硬派が勢力を伸ばして、(2)のような排外主義に向かうのをアルミン達が説得しようとする…というところで話は終わりました。

その先のエンディングでは、エレンの眠るパラディ島にも最終的には文明が発達し、最後はその文明も戦火によって壊滅する…という非常にペシミスティックなエピローグが展開されます。これには、未来少年コナンや風の谷のナウシカにおける宮崎駿の文明観に近い物を感じました。そもそも、巨人が炎の中を歩き回る「地ならし」は、絵面だけ見ると「火の七日間」そのものですよね。

物語の終盤でマーレ軍の司令官が地ならしに立ち向かう兵士に向けてこのように語りかけます。この言葉を発した司令官とアルミン達エルディア人が最終的に和解するところには少しだけ救いがあるようにも思いました。

この責任は我々すべての大人たちにある。
我々が至らぬ問題のすべてを悪魔の島へ吐き捨ててきたその結果あの怪物が生まれ憎悪を返しに来た。 
もしも再び未来を見ることが叶うなら二度と同じ過ちは犯さないと誓う。再び明日が来るのなら・・・。
 皆もどうか誓ってほしい。憎しみ合う時代との決別を互いを思いやる世界の幕開けを。
ここで私達の怪物との別れを・・・と。