2016年11月6日日曜日

核家族の元子役の育児

気が付けば2ヶ月以上このblogを放置しておりました。時々思いつくことはあって、ネタ帳にちらほらメモはしているのですが、だいたいそこまでで止まってしまうのです。なぜこうなるかって、まぁ、一言で言うと育児が忙しいのです。このblogは主に土日の夜に書いてることが多いのですが、子供がどんどん外出したがるようになって一回の外出あたりの時間も長くなってきたりすると、夜にわざわざblogを書く気になかなかならないのですね。。
というわけで今回は育児の話なのですが。度々このblogでも言及しているように、日本って育児が大変な国だと思うのですよ。文化的にマザコン国家であるために育児に親がかけるコスト(労力)が高すぎるとか、行政がちっとも育児を本気で支援しようとしないとか、まぁそりゃ色々と理由はあるのですが、今回は「育児に苦労している日本の子育て世代(≒団塊Jr.世代)は、高度経済成長の時代に核家族化を進めたツケを払っているのではないか?」ということについて考えてみます。

僕が育ったのは都会の郊外にある典型的なニュータウンでした。4歳のときにそこに両親がマイホームを買い、高校卒業までの14年くらいニュータウンで育ちました。近所にいくつかは「おじいちゃん、おばあちゃん」が同居している家庭もありましたが、ニュータウンの多くは古い地縁社会から離れて都会に出て結婚し、子供が増えて手狭になってきたところで郊外にマイホームを手に入れた団塊世代で構成されていました。だから、僕が育ったニュータウンでは近所に赤ちゃんが生まれたという話を聞いた記憶がありません。
ニュータウンはあまりに典型的すぎるかもしれませんが、高度経済成長以降の日本は大なり小なり核家族化し、また地縁社会も解体されてしまいました。勿論、嫁姑問題などに煩わされないで済むとか、色々といいことだってあったのでしょう。しかし、育児は完全に個々の家庭の中に隠蔽されてしまい、結果として高度経済成長以前の日本人なら当たり前に持っていたであろう最低限の育児リテラシー(首の座ってない子供の抱っこのしかたとか、おむつを替えるとか)さえも身に付けないまま大人になってしまう人を量産してしまったのではないでしょうか?と、自分を含めた団塊Jr.世代が子育てに苦労しているのを見てて思うのです。

僕に子供が生まれたときに、僕の友達で最初に子供を見に来てくれたのはメキシコ人でした。彼は独身で子供はいないし、普段の彼の立ち振る舞いからするとあんまり子供が好きそうには見えないし、ましてや生まれたての首のすわってない赤ちゃんの扱い方なんて全然わからないだろうと思っていたのですが。いざ我が家に来るなり、手慣れた手つきで子供を抱っこし始めたのです。正直なところびっくりしました。その段階での育児技能に関しては僕よりもたぶん上だったと思います。
なんでそんなに手慣れているのかと聞いてみたら、「だって俺は17人兄弟の末っ子なんだぜ?だから昔から甥っ子や姪っ子の面倒はさんざん見てきたから、これくらいのことは当たり前にできるよ。」と答えました。17人兄弟という、ビッグダディみたいな家庭が彼の世代のメキシコで当たり前なのかは判別しかねるので、彼をメキシコ人独身男性の標準モデルとするには早計なのでしょうが。核家族化する前の日本では、周りに子供が身近にいて、子供の面倒を当たり前のように見て育っていたので、男性でもこの程度の育児リテラシーはあったのではないかと思うのです。

繰り返しになりますが、高度経済成長期以前の日本ではRPGでいうとレベル7程度の最低限の育児リテラシーが独身男性でもあったのではないかと思うのです。しかし、団塊世代が作り上げた核家族の中で育った団塊Jr.世代の大半は親族の子供の面倒を見ることも無ければ、近所の子供の面倒を見る経験も全く無いまま大人になってしまいました。だから、いざ自分に子供ができてみたら本当に全部レベル1から始めることになってしまったのではないかと思うのです。この状況をやや自嘲的に言うと、タイトルにあるように僕も含めた団塊Jr.世代の育児は「核家族の元子役の育児」なのではないかと思います。みんなレベル1から始めることになる上に、「ちょっと見てて」ができる地縁社会なんてとうの昔に無くなっているので、そりゃ大変なわけですよ。
「じゃぁどうすればいいの?」と言われると、そう簡単にクリアカットな答えなんて返せないのですが。少なくとも「マザコン国家」である日本では、欧米とは子供や育児に対する文化的背景が全く違うということを勘定に入れて議論するべきだと思いますよ。よく、「フランスでは育児休暇が3年で…」とか言う人いますけど、ああやって個別の課題について外国との差異を論じるだけでは「木を見て森を見ていない」のではないかと思います。日本では子供の夜泣きや甘えに親が根気よく付き合う分だけ育児のコストが欧米より遥かに高いと思います。別の言い方をすると、欧米人の育児には「一人で生きていけるようにしてあげる」というコンセプトが徹底していますが、日本人はそのように教育されません。

少子化の話を突き詰めると最後は社会のあらゆる問題を論じることになってしまうのでキリが無いのですが。育休や保育園などの表面的な対策をいくらやったところで、「経済=金のために人が生きている」という国ではなく「人が幸せに生きるために社会や国家がある」という国にならない限り、少子化傾向そのものはこの先も避けようがないのではないでしょうか?