2019年12月19日木曜日

東大王と大学入試問題

大学入試問題がいっこうに収束する気配がありません。英語民間試験の導入見送りが決まったところで話が収束するかと思いきや、今度は新共通テストにおける国語と数学の記述式問題の導入が見送りになったそうです。マスコミは安倍政権の不祥事についてかなり及び腰な報道しかしない印象があるのですが、それに比べるとこれら一連の大学入試関連の問題についてはマスコミも割と積極的に切り込んでいるように見える気がするのは、たぶん気のせいではないんだと思います。

さっきテレビ見てて、なぜそうなるのか少しだけ分かった気がしました。「東大王」などの学歴クイズ番組はある時期を境にテレビで頻繁に見るようになり、いい加減みんな飽きてもよさそうなのに結局今に至るまで結構長く続いています。たかだが18歳くらいのときのテストの点数だけで人の価値は決定づけられ、その格付けが生涯に渡って有効であるという信仰がこの国には広く共有されているわけです。だからこそ、その格付けの基準が迷走することは日本人にとっては看過できないことなのではないでしょうか。

学歴に限らず、日本人はとにかく点数をつけられて序列されるのが好きというか、そうでないと安心できないのというところがあるのではないでしょうか。例えば東大王と同じくらい、早く世の中から無くなってほしいと僕が思っている物の一つに「点数の出るカラオケの点数を競う番組」というのがあります。この手のテレビ番組も、なんだかんだでここ数年に渡って廃れずに盤石のポジションを築いていますよね?「ヘタウマ」なんて言葉もあるように、歌の上手い下手なんて機械で判断できることには限界があるのくらいみんな分かりそうなものなんですけどね。

日本の大学システムの話に戻りますが。日本の大学システムについて「今すぐこうすればよい」という分かりやすい提言はできないですが、せめてその対極にあると思われるスペインの大学の事情について少しだけ紹介しようと思います。まず。スペインでは大学というものの数が日本で言うところの国立大学くらいの頻度でしか存在しないため、大学に行くということ自体がそこそこエリートだけになります。そして何より、スペインでは大学の間に明確な序列がありません。スペインでは成績のよい人ほど学部・学科の選択の自由度が高いので、成績の良い人が特定の学部・学科に集中しやすい傾向はあるそうですが、大学単位での序列という概念がほとんどありません。

率直な感想として、日本の大学もスペインみたいな感じでいいんじゃないのかな?と思います。スペインでは大学自体がそのように学力レベルの異なる人が一緒に学ぶ場になっているわけですが、日本だって会社に入ったら学歴の観点では一流大学から三流大学まで色々な人がいるでしょう?だったら、大学そのものにも序列を作らないスペイン方式でいいんじゃないでしょうか?