2014年4月13日日曜日

なぜロボットアニメは外国人にウケないか?

我が家はほぼリーガ・エスパニョーラを見るためだけにWOWOWに入っているのですが。WOWOWはたまにシリーズ物のアニメを10話ずつくらいに分けて集中的に放映するのですね。3月は「伝説巨人イデオン」を全話放送してたのですが、いやはや、すっかりこれにハマってしまいました。
ガンダムやマクロスくらいなら少なくとも名前くらいはみんな知ってると思いますが、イデオンって決してメジャーではないし、子供が見ても面白いと思えるような内容ではないのですよ(まぁ実際に不人気過ぎて放映が途中で打ち切りになったのですけどね)。でもこの歳で大人目線で見てたらすごく面白いんですね。例えば、主役ロボットが滅びた古代人の遺跡であるという設定とかすごくシブいのですよ。
方々で言及されているようですが、イデオンはエヴァンゲリオンにも明らかに影響を与えてると思います。例えばロボット自体が意思を持っていて、それをある時期からパイロットが恐れるようになるところとか。そしてなにより結末が…

そんなわけで、僕はロボットアニメはやっぱりいくつになっても見てて面白いのですね。もうこれって、幼児期からの刷り込みなので老人になってもたぶん僕はロボットアニメを見てるんじゃないかと思うのですが。ロボットアニメって不思議なことに外国人にはあんまりウケないんですよ。例えば僕と同年代の日本人の男子だとアニメを語るとなるとガンダムは外せないと思うのですが。「海外で人気の日本のアニメ」の中に、ロボットアニメはほとんど含まれてないと思います。強いて含めるならエヴァンゲリオンはそれなりに人気あるみたいでしたけどね。
これは、バルセロナのアニメ・漫画フェスティバルに行ったときのコスプレの人気キャラの印象と附合していると思います。男子だとドラゴンボールとかONE PIECEやナルトなどの少年ジャンプ的な漫画のコスプレは沢山見る(女子だと初音ミクとかセーラームーンとか)んですけど、ロボットアニメのキャラのコスプレやってる人ってほとんどいなかったのですね。。
なぜ日本以外でロボットアニメが受けないのか?についての考察として、検索してみたらこんな記事がありました。まぁベタベタではありますが、やっぱり宗教の影響は無視できないというのはその通りだと思います。前回の投稿で言及したように、神道のようなアミニズムでは見えない物や無生物にも魂が宿るという考え方があって、無生物と生物をあまり分けて考えていません。一方、西欧人にとっては無生物に命を吹き込むというのは神の所業であって、人間がロボットを作るということ自体が、例えばフランケンシュタインやゴーレムなどのような禍々しい魔術、呪術的な営みになるわけです。確かにそう考えると、日本人ほど気楽にロボットアニメが理解される風土ではないだろうとは思います。

しかしロボットアニメというのが海外に全く無いというわけではないのですよ。僕が自分で見たことがある唯一の事例として、アメリカ産ロボットアニメのトランスフォーマーがあります。このシリーズのテレビ放送は日本でもやってて、僕も子供の頃見ていました。ところがこのトランスフォーマー、ロボットが人間のように喋ったりするんですけど、中に人が乗っているわけではないのですね。だから何って、このアメリカ産のアニメにはひたすらロボット同士の戦いだけが描かれていて、人が出てくる印象がまるで無いのです。
一方わが国のロボットアニメは、最初こそ鉄人28号みたいに少年が遠隔で操作する方式でしたが、マジンガーZあたりからは「巨大ロボットに少年が乗り込んで操縦する」というスキームが確立されて、その後は基本的にこのパターンですよね。実は上述のトランスフォーマーの話にも続きがあって、アメリカ産アニメの放映が終わった後に日本オリジナルの続編がつくられたのですが。日本版トランスフォーマーでは最終的には人間がロボットに変身するという形態になってしまったのです。
なんで日本人がつくるロボットアニメは必ず「人間がロボットを操作する」のか。そして、その大半はなぜ「少年がロボットに乗り込む」のか。これについて例によって内田先生を引用するのですが、今回ばかりは内田先生の説に僕はあんまり納得していません。内田先生が言ってるのは「武力(ロボット)を無垢な心を持った少年がコントロールする」という話形に戦後日本人の集合的無意識が反映されているということなんだと思うのですが。僕は太平洋戦争や米軍による日本占領などが無かったとしても日本人はロボットアニメを作り出していたはずだと思うのです。

まず、少年がロボットを操縦するのは、単純に見ている子供にとって感情移入しやすいからなんじゃないかと思います。以前も指摘したように、日本という国は子供の子供らしい振る舞いに寛容な国であるので、漫画やアニメのように「子供」という消費者層に特化した文化が醸成されたのだと思うのです。だからこそ、ターゲットである子供がより感情移入しやすいように、アニメでは少年が主人公なんじゃないでしょうか。別にロボットアニメに限らず、日本のアニメってだいたい少年が主人公ですから。一方、欧米では子供というのは大人への過渡段階だと考えられているように思えるのです。だから、子供のための娯楽である漫画やアニメのような文化は発達せず、子供達は大人向けのコンテンツであるサッカーに登場する大人のサッカー選手に憧れるわけです。
そしてロボットに乗り込むという形式には、「巨大ロボットという母の胎内で守られる」という母胎内回帰願望と関係があるように思います。エヴァンゲリオンなんて、本当に母親の魂がロボットの中に宿ってますからね。「巨大なお母さんに乗る」というのは龍の子太郎みたいな昔話にも出てくるモチーフでもあります。なんで日本人がこのモチーフを好むかといえば、日本的=天皇的=女性原理という説明にやっぱり行き着くのではないでしょうか。
あと、養老猛司氏が言うところの「脳化」もこれと関係あるように思えるのです。氏曰く、日本人の身体感覚は江戸時代くらいに急速に「脳化」して、身体性を喪失してしまったらしいのです。これはつまり、我々日本人の身体感覚というのは身体というロボットを脳というパイロットが操縦している感覚に極めて近いということなのではないでしょうか?だとすると、人型の巨大ロボットに人が乗って操縦するというロボットアニメを受け入れる素地が我々日本人には備わっているのではないかと思うのです。

以上、ここまでの話では一環して「日本のロボットアニメは海外ではウケない」と言ってきましたが。実は例外がありまして。スペインではなぜかマジンガーZが国民的な人気アニメなのですよ。少なくとも30-40代の男子の大半はマジンガーZを見たことがあるのですね。かといって、ガンダムとかマクロスみたいなリアルロボット系もウケるかと思いきや、そっちにはほとんど関心を示さないのです。つくづくスペインは不思議の国ですね。