2016年8月18日木曜日

サッカーとバレーボール

やっとこさ岸田秀の話を書いたので、オリンピック開幕以降ずっと気になっていたサッカーとバレーボールについての話を書こうと思います。本稿を書いている現在、リオデジャネイロオリンピックは過去に例を見ないくらい日本がメダルを獲得しています。こうなってくると、日本のテレビの中継も必然的にメダルが取れそうな競技(水泳、柔道、卓球、体操、レスリングなど)にどうしても注力されがちな気配があります。
この是非はさておき、そんな中でも男子サッカーと女子バレーボールだけは何か浮いて見えるのです。というのも、お世辞にもメダルが期待できるわけでもなさそうなのに、その割にはメディア(にある程度ドライブされている国民)の注目度が高い気がするのです。オリンピック以外(ワールドカップなど)でもこれらの競技に対して日本人は定常的に何かしらの病のようなものを帯びた情熱を傾けている気がするのですが、それについて思いついたことを書き連ねてみようと思います。

■男子サッカー
まず歴史的背景から考えてみますと。日本のサッカーは実質的に93年のJリーグから始まりました。この時期の日本はバブルが弾けた直後で、「バブルが弾けた」とみんな口をそろえて言っていたものの、庶民の生活にはまだその影響が明確には実感されていないような時代でした。また一方で、Jリーグ誕生までは国民的スポーツのポジションはアメリカからやってきた野球がほぼ独占状態している状態が長く続いていました。
こういった時代背景を鑑みた上で、前回の岸田秀の「日本はペリーによって強姦されて以来、内的自己と外的自己とに精神分裂したままである」という視点で考えると。Jリーグというのは「アメリカ以外の外国と関わるためのチャンネルを持つ」、別の言い方をすると「 アメリカ以外の外国を持つ」ことで、ペリーショック~敗戦に至るまでのアメリカに対するコンプレックスを解消する試みだったのではないのでしょうか。
Jリーグは、少なくともその初期の頃には、「地域密着型のクラブ組織の対抗による国内リーグ」という箱庭でのコンペティションと同時に、「日本代表が世界と戦う」という構図を両立させてきました。これはたとえて言うなら、普段のTV放送ではケンカばかりでお世辞にも仲良いとはいえないのに、大長編ドラえもんになると途端にチームワークがよくなるような、あの感じを両輪で回しているようなイメージでした。
ところが、偶然か必然かはさておき、発足のタイミングがちょうど日本の経済が傾きはじめた時期と重なったためにそれまで経済成長に注がれていた「内向きナショナリズム = 内的自己」の発露の対象としてJリーグはすっかり磐石のポジションを獲得してしまいました。結果として、国内リーグの試合よりも「日本代表vs外国のチーム」の方が「国民的関心」を集めてしまったのではないでしょうか。たぶん、ナカタ以降の「海外で活躍する日本人プレイヤー」への熱狂もこの文脈の延長上にあるんじゃないかとおもいます。
野球もWBCのような国際大会をやっている昨今では当たり前のように思えるかもしれませんが、Jリーグ以前は「日本代表vs外国のチーム」という絵はオリンピックを除いてほとんど無いに等しかったのです。だから、サッカー日本代表は当時はそれなりに新鮮だったんだと思います。Jリーグ以前にもメジャーリーグ代表vs日本のプロ野球代表みたいな試合はあるにはあったのですが、その雰囲気はシーズンオフに行われる親善試合とかエキシビジョンマッチのようなもので、今のWBCとは大きく異なるものでした。
最近ではオリンピックやWBCなどサッカー以外の競技でもサッカー日本代表のあのユニフォームを着た人が客席にちらほら見受けられます。「サムライブルー」という名称が示すとおり、最早あのユニフォームは単なる男子サッカー日本代表のユニフォームではなく、「日本人の内的自己のシンボル」としてすっかり定着したのではないでしょうか。男子サッカーの日本代表が勝ったり負けたりすると渋谷で暴れる人達がいますが、あれは男子サッカーだけが日本人の内的自己と結びついていることを示していると思います。だってほら、オリンピックで体操や柔道の選手が金メダル取っても、同じサッカーのなでしこJAPANが勝っても、誰も渋谷では暴れたりはしないですよね?
なでしこJAPANに言及したついでに少し脱線すると、「ナントカJAPAN」というあまりセンスを感じないテンプレもたぶんJリーグ発足当時の「オフトJAPAN」が始まりだと思います。あそこでサッカーの日本代表に外国人の監督(オフト)が就任したところから、「ニッポン」ではなく世界に向けた「JAPAN」という自意識に日本人は目覚めたのだと思います。外的自己のフリをした内的自己のセルフ接待という意味で、「クールジャパン」や「おもてなし」に連なる系譜の出発点はここにあるように僕には思えてなりません。
今回のオリンピックのサッカー日本代表は、「冷静に考えて他国にチームと比べたらお世辞にも強いとは言えないのは分かってる。でも、そういう冷静な判断とは別に、何だか分からないけどみんな気になっている。」という点で、その昔の「決定力不足」とか言われてた頃の日本代表を思い出させて、少しホッとするような懐かしい気分になりました。ラモスとか井原とかがいた、あの頃の日本代表ってそんな感じだったように思います。
たとえば今やってるリオデジェネイロオリンピックではネイマール擁するブラジル相手にどう考えても勝ち目なんてまずあるわけもなく、実際にオリンピック前の親善試合でブラジル相手にボロ負けしたのですが。あの試合の前には「かつてアトランタオリンピックでブラジルに勝った、あのときの奇跡をもう一度」という前煽りのVTRをメディアが散々流していました。あれには「神国ニッポンに神風よもう一度」と言っていた戦前の日本に似た、病のようなものを感じずにはいられませんでした。

■女子バレー
ワールドカップだとかグラチャンだとか、とにかくほぼ毎年のようにバレーボールの国際大会が日本で開催されます。しかも、必ずと言っていいくらい試合前にジャニーズが唄ってて、(最近はやってるのか知らないけど)赤坂泰彦がヘンテコなMCで選手を紹介するなど、国際大会とは思えないくらい民放の好き放題ぶりが炸裂しています。こんなヒドい有様でもバレーボールの国際大会が毎年のように日本で開催される理由は「日本以外の国ではバレーボールはマイナー過ぎてお金が集まらない」からなんだそうです。いきなり脱線しますが、これはサッカーのクラブW杯が「安全な中立国 である日本 : 日本人は特定のチームに対する妨害などは行わない」でずっと開催されていたいたことと、おそらく間逆の関係にあります。
しかし、だからといって「バレーボールの日本代表のファンで、日本で開催される国際大会の度に必ず応援に行く」という人の話は、まぁそりゃいるにはいるんでしょうが、聞いたことありますか?少なくとも僕はないです。サッカーのワールドカップを応援するために会社休んで航空券勝ってブラジルまで応援に行った人の話は聞いたことあるのに不思議だと思いませんか?これは、「ラジオの電リクにわざわざ電話する人が本当にどれだけいるのか?」という問題と一緒で、バレーボールを熱心に応援している日本人というのは実はほとんど居ないのではないかと僕は思ってます。
これについての僕なりの仮説としては「日本人にとって東京オリンピックでの女子バレーボールの金メダルは特別な成功体験だったので、それをいつまでも捨てることができない」からなのではないかと思います。サッカーと違って、自分が生まれる前の話なので当時の日本人にとって東京オリンピックでの女子バレーボールの金メダルがどのようなインパクトを与えたのかは、ある程度事後的な想像になってしまうのですが。おそらく、「なでしこJAPANの金メダル」とか「女子ソフトボールの金メダル」などの昨今の事例よりも更に大きくて特別なインパクトを与えたのだろうと思います。
東京オリンピックのメダル受賞者のリストを見ると、女子で金メダルを受賞しているのはバレーボールだけです。そもそも、この当時は女子のレスリングや柔道などは存在しなかったので女子が出場する種目自体が現代のオリンピックに比べて少なかったようです。そして、この女子唯一の金メダルを獲得した「東洋の魔女」こと日本代表チームについてネットで検索すると判で押したように鬼の大松監督、猛練習という逸話ばかりが出てきます。僕も子供の頃にテレビのドキュメンタリーで2,3回くらいこの話を見たような気がします。「猛練習、努力、根性」という日本人好みの逸話は、その後のアタックNo.1などの女子バレーボール漫画にもそのまま受け継がれていますが、果たして当時の日本人を熱狂させた理由は単にこのスポ根美談だけなのでしょうか?
ここでさらに仮説なのですが、当時の日本人がそこまで熱狂した理由は、「東洋の魔女が旧日本軍を供養した」からなのではないかと思うのです。上記のリンクにあるように東京オリンピック女子バレーボールの大松監督は旧日本軍の兵士でした。しかも、旧日本軍の作戦行動の中でも狂気と言っていいほどの無謀な作戦によって多数の日本兵が餓死した、かの悪名名高い「インパール作戦」の生存者です。彼によって戦前の日本を彷彿とさせる精神論の下にシゴかれた「東洋の魔女」達は旧日本軍の怨念を背負っていた存在だったのではないでしょうか。そんな彼女達が外国チームに勝利してついには金メダルを獲得したことは旧日本軍に対する供養になったんだと思います。そして、それを見ていた高度経済成長期の日本国民も同様に「ガダルカナルの日本兵はもっと苦しかったはず」と自らに鞭打ってがむしゃらに働いていたわけですから、日本国民は彼女達の姿に自らを重ね合わせていたのではないでしょうか?
以上、あくまで自分が生まれる前の話なのでどこか自分でも確信が持てない仮説でしかないのですが。しかし、こう考えると女子バレーに対する日本人の「持続的な微熱感」が少し理解できるような気がするのです。日本人にとって女子バレーボールは旧日本軍の「供養碑」であり、旧日本軍の戦没者を供養するための能である高校野球と同様に無くてはならない存在なのではないでしょうか。


サッカーとバレーボール、どっちにも共通していえることは団体競技だということです。これはなにも日本だけに限った話ではなく、アメリカ人にとっての野球やカナダ人にとってのアイスホッケーなんかもそうです。国民的な思い入れを背負うスポーツは必ず個人競技ではなく団体競技であるということは、人類普遍なのでしょうかね。書き終えてから気付きましたが、体操や卓球の団体種目は厳密な意味での団体競技ではないとすると、東京オリンピックで団体競技でメダルを獲得したのがバレーボール(女子:金、男子:銅)だけだったということもバレーボールに対する日本人の「持続的な微熱感」の理由なのかもしれません。

2016年8月17日水曜日

岸田秀の日本論:内的自己と外的自己

かなり更新が滞っておりましたが、気が付いたら夏休みになりました。今年の夏休みはテレビをつけたら昼は高校野球、夜はオリンピックをやっているので、もし子供にテレビのチャンネル権を独占されていなかったら、一日テレビの前で廃人になって過ごしていたことでしょう。
さて、ここのところなぜ更新が滞っていたかというと、自分にとって"それなりに人生変わる"ほどの影響を受ける作家と出会って、それについてこのblogに書こうと思って次々とその人の本を読んでたら、すっかりとっちらかって何をかいていいのだか分からなくなってしまったのです。とはいえ、夏休みで時間もできたことだしぼちぼちそれについて書いてみようと思って思い腰を上げた次第です。

というわけで今回は岸田秀という作家について思うところをとりあえず書いてみようかと思います。岸田秀はフロイドの精神分析のコンセプトを日本という国家そのものに対して適用する試みによって80年前後の所謂「ニューアカデミズム」がブームだった時代に脚光を浴びた人物です。岸田秀の思想、主張の概略は「分かりやすく説明する名人」である内田先生のblogをご参照ください。そこまで内田先生に乗っかるのかと思われるかもしれませんが、重要なエッセンスをコンパクトかつ的確にまとめている記事が内田先生のblogくらいしかネット上に見つからなかったのです。。
一応自分の言葉で岸田秀の一番有名な著作である「日本近代を精神分析する」の趣旨を言い直してみると、日本という国は「長年の鎖国によって数百年に渡って平和に自閉してきたところを、ペリーによって強姦されたことで精神分裂状態に陥った」のだそうです。このとき日本人は「外的自己 = 他者や社会との折り合いをつけるための表面上の振る舞いを担当する役」と「内的自己 = 外的自己とは反対の妄想的な自己愛、ナルシズム」に分裂しました。幕末における「開国派」と「攘夷派」の対立構造はそのままこの外的自己と内的自己の関係に符合しています。

この岸田秀の「内的自己と外的自己への精神分裂」という観点から見ると、三島由紀夫の自決、吉田松陰の無謀で過激な行動、真珠湾攻撃から始まる対米戦争はすべて「内的自己の暴走」という一言で説明されます。また、「日本近代を精神分析する」が著された70年代半ばの日本ではまだ顕在化していなかったのでしょうが「ヤンキー」も、内的自己の顕在化の一つであると言えるでしょう。
そして、「日本近代を精神分析する」には「抑圧された日本人の内的自己は、戦後においては経済成長に表現の道を見出した」とあります。つまり戦後の日本は、内的自己と外的自己に分裂したままでありながらも、内的自己が経済成長によって程度満足されたおかげで、精神分裂の症状がそれなりに緩和されてきた平和な時間が長く続いていたということです。しかし、「抑圧された物は必ずいつかは回帰する」と同著で預言されている通り、バブル崩壊以降経済が失速した日本では内的自己がナショナリズムの台頭という別の形(というよりもこちらが本来の形なのですが)で顕在化して今に至っています。

この他にも、岸田秀の「内的自己と外的自己への分裂」というモデルが現代の日本の有り様を適切に説明できる事例は枚挙に暇がありません。たとえば昨今の「おもてなし」「クールジャパン」やテレビの「日本スゴい番組」は「外国からの目を気にする = 外的自己」のフリをした内的自己へのセルフ接待だと言えるのではないでしょうか。
こういった事例は未だに日本人が「内的自己と外気自己」の分裂状態の中にあって、そこから抜け出せないどころかむしろ症状が悪化していることを示しているように思えてなりません。特に3.11の震災のときから、明らかに日本は致命的に何かが変わりました。何がどう変わったのかうまく説明できる的確な言葉がずっと見つからなかったのですが、岸田秀を援用して考えると、3.11の震災は日本人を「内的自己の暴走」へと駆り立てたのではないでしょうか?それが現在のように安倍政権が暴走しているにも関わらずここまで支持されていることにも繋がっているとすると、「内的自己と外気自己」モデルはペリー来航から現在までの日本の歴史を的確に総括出来てしまうと思います。

昨今のナショナリズムの台頭に「日本は戦前へと回帰している」と警鐘を鳴らす人に対して、右寄りの人は判で押したように一笑に付すような態度に出る人が多いように思うのですが。日本がペリーの来航以来ずっと精神分裂状態であると仮定した上でこれまでの歴史を俯瞰すると、問題の根幹は戦前と同じ「内的自己の暴走」だと言えます。これを踏まえた上で考えると、「日本の右傾向化が再び太平洋戦争と同じ規模の災厄をもたらす可能性がある」という危機感を持つのは極めて合理的だと僕は思いますよ。

岸田秀は他にも色々面白い事を言ってるのですが、書き始めると収集がつかなくなるので今日はとりあえずこのへんで。。