2024年2月28日水曜日

必要悪とは?

4月に管理職になってから、とりあえず1年が経過しようとしています。しかし、管理職とは言っても僕の場合は、実態としては「定額働かせ放題」に近いです。実務としてやることは変わらないどころかむしろ増えて、そこにマネジメント的な仕事も乗っかってきました。だけど、残業代は出ないのでどんなに働いたところで給料は定額です。

そんな一方で、管理職になったのと同じくらいの時期から医療機関と一緒に協業をする仕事に関わることになりました。いやー、やっぱり医療ってすごいですよね。一歩間違えば人の命が簡単に吹き飛ぶような世界を生きているので、彼らの負ってる責任というのは僕たちサラリーマンとは違うな―、と思うわけです。

人の生死にかかわる責任を伴うんだから、そこで責任を負っている医療従事者は相応の見返りがあっていいと僕は思います。一般企業の管理職も一応責任は負ってることにはなっているけど、失敗したところで誰も責任を取らない。というより、取れない。サラリーマンの世界の責任というのは「事後に責任を取ることができない」という暗黙の了解があって、責任という概念は「責任を問われるような状況に追い込まれないように立ち振る舞う=予防」という文脈においてしか意味を成さないのです。

でもそれって、結果責任という観点では何も責任を取ってるようには見えないんですよね。。若い頃は、そうやって(結果)責任を取らないおじさん達がいい給料(と言うほど実は良くもないんだけど)をもらってるのを苦々しい思い出見てきました。それに比べたら、医療従事者の世界はまだマトモそうだなと思ったりもするわけです。

医療従事者に対して色々と引け目を感じる一方で、医療と管理職に共通していることも発見しました。医療も管理職も「必要悪」なのです。みんな健康なら医療なんていらないし、ほっといても組織が回るならば管理職もいりません。どちらも、本来必要ないことが理想のはずの職業なのです。でも必要だから存在する職業なのです。

いつも思うのですが、例えばセロテープの台とかクリップなどの文房具は不要になった物がちゃんと循環して必要な人の所にに届けられるならば、新規に生産しなくてもそれなりに社会は維持できると思うのです。だけど、実際はそんなに社会がうまく回っていないからこそセロテープの台やクリップは新たに生産され続ける必要があるわけです。そして、そうやって社会がうまく循環していないことから利益を引き出している人達が世の中にはいるわけです。

文房具の話に脱線してしまいましたが、こうやって考えると「本来必要ないことが社会として理想であるもの=必要悪」というのは世の中に結構ありますよね。例えば、軍事力なんてその最たるものだと思います。必要悪という立場を生きていくには、その疚しさを引き受けることと、なるだけ人に何かしら奉仕したり還元したりする意識が大事なんじゃないかと最近は思うようになってきました。

ここまで書いてみて気づいたのですが、一年前の自分だったらこんな凡庸でつまんない結論の話をblogにわざわざ書こうとは思わなかっただろうと思います。「立場が人を育てる」という言い方はありますが、自分に関して言うと「立場が人をつまらなくしていく」という方向に向かっているような気もするんですよね…。