2013年9月24日火曜日

a nice cup of espresso

我が家に念願のエスプレッソマシンが来たので、最近は毎日家でエスプレッソば三昧です。というのも、ちょっと前に家を新築した友達が新居にエスプレッソマシンを置こうとしたら奥さんから許可が出ずそのままになっているので、いるならあげるよといわれて大喜びでもらわせていただいたのです。かくして我が家にようやくエスプレッソマシンが導入されたのですが、これに至るまでには帰国から一年に渡る紆余曲折があったのです。というわけで今回はエスプレッソの話を。

およそ一年前。日本に帰った直後は、生ハム食べたいとかワイン飲みたいとかボカディージョ(スペインのサンドイッチ)食べたいとか、そりゃアレ食べたいコレ食べたいの連続だったのですが。その中でも比較的なんとかなるようで、案外そうでもないのが「エスプレッソが飲みたい」でした。
スペインというか南欧のラテン国家ではコーヒー=エスプレッソです。何も説明せずにコーヒーを注文するとほぼ間違いなくエスプレッソが出てきます。日本人が考える普通のコーヒーをスペインで飲もうと思ったら、「カフェ・アメリカーノ」と明示的に頼む必要があります。で、たぶんカフェの店員に嫌そうな顔されます。
渡西当初はあんまり得意じゃなかったのですが、すっかりエスプレッソに慣れてしまった後で日本に帰ってくると、日本のコーヒーは無駄に量だけ多くて薄いと感じてしまうようになりました。そして、帰国後一年経った今でもどっちがいいかといえば断然エスプレッソです。
しかしながら日本ではエスプレッソを飲むのはそんなに簡単なことではありません。スタバとかドトールならエスプレッソが飲めますが、普通の喫茶店でエスプレッソなんて飲めません。休日ならわざわざスタバとかドトールまで出かけることもできますが、普段の生活で「今ここでエスプレッソ飲みたい」というときにエスプレッソが飲めるようにするにはエスプレッソマシンを自宅に買うしかないわけです。
かくして帰国から一年の間、エスプレッソマシンを買うか何度か悩んだ末に結局最後は決め手が無くて買わずじまいでいたのですが。結果としては上述の通り、たまたま友達から譲ってもらえたのでようやく我が家にエスプレッソマシンが手に入りました。

さて。エスプレッソマシンは手に入ったものの、思ってた以上にいろいろと面倒くさいのです。まずは豆をどこで買っていいのかちょっと困りました。日本だとエスプレッソ用の豆はもちろん、カフェイン抜きのエスプレッソ用の豆なんて尚のこと買うのが難しいんですよね。。スペインのスーパーだとどっちも普通に売ってるんですけどね。
そして、家にエスプレッソマシンを買ってみて意外と面倒だと思ったのは日本で売ってるコーヒーフレッシュじゃエスプレッソに対してあんまり有効なミルクにならないということです。今までぜんぜん知らなかったんですけど、ほとんどのコーヒーフレッシュって乳製品じゃなくて植物由来の脂肪と乳化剤の混ぜ物なんですね。。おかげで、2個くらいエスプレッソに入れてみてもミルクが入ってるような味がまるでしませんでした。スペインだと牛乳は高温殺菌されているので、まずいですが常温で長持ちするのであんまり日持ちを気にせずに買えたのですが。日本の牛乳は数日しか持たないので普段牛乳飲まない僕としては「コーヒーのためだけに牛乳を少量買う」というのがちょっと面倒なのです。
あと。僕は砂糖一切入れないのでこれは完全なうんちくになりますが。スペイン人は日本人が見たらドン引きするほど大量の砂糖をちょっぴりの量のエスプレッソにこれでもかというくらい入れます。それも、たぶん最低でも10gは入ってると思われる砂糖袋を丸ごと全部入れてしまいます。途中までとかほどほどに加減するとか、そういうことが彼らの発想にはたぶん無いのです。さらにうんちくついでに言うと、スペインにはアイスコーヒー用のガムシロップもありません。アイスコーヒーを頼むとエスプレッソとは別に氷の入った別のカップが出てきて、エスプレッソに狂ったように大量の砂糖を入れてかき混ぜた後に氷の入ったカップにコーヒーを全部注ぎます。

単にコーヒーがエスプレッソというだけでなく、スペインでは食事とコーヒーの関わり方自体がだいぶ日本人の感覚と違います。例えば、どんなレストランでも食事の後にはほぼ「デザートとコーヒーはどうする?」と聞かれます。このとき、どちらか一方だけ頼んでもいいのですが、両方頼んだとしてもデザートを食べながらコーヒーを飲むことは基本的にできないのです。いや、頼めば両方同時に出してくれるのかもしれないですけど、両方頼んだらまずデザートが先に出てきて、その後にコーヒーが出てきます。日本人の感覚だと同時に出して欲しいと思うのですが、彼らは必ずこの順番なのです。
そして、ファストフードのセットメニューのドリンクの選択肢にコーヒーはありません。もしコーヒーが飲みたいならそれはセットメニューとは別に注文するしかないのです。が、当然出てくるのはエスプレッソです。その代わり、南欧のファストフード店ではセットメニューのドリンクの選択肢にビールがあります。ファストフード店でビールが飲めるというのは不思議に感じるでしょうが、南欧ラテン諸国ではこれが当たり前なのです。すっかりそれに慣れてしまった頃に、ヘルシンキだったかどこか北欧の街で夜中にマクドナルドでビールを買おうとしたら「は?ビール?そんなもんマクドナルドに買いにくんなよ?」という顔をされたことがあったなぁ。。

2013年9月19日木曜日

「海外で大活躍の日本人」「海外で大人気の日本文化」という大本営発表

ここ最近はほとんどオリンピックとかクールジャパンとかの文句ばっかりですが、残念ながら今回もそんな話です。というのも、オリンピックが決まってから「おもてなし」をはじめとするメディアの国威高揚ムードのしつこさに本気でイラついてきたからです。もう十年以上前から、「世界で大人気の日本文化」や「世界で大活躍の日本人」を報じる際の日本のメディアは「都合のいいところだけ誇張とつまみ食い」の大本営発表を執拗に繰り返しているのですが。これは「国威高揚のために都合のいいことだけ誇張したりつまみ食いしたりする」という態度が日本人の日常的習慣として定着してしまったことと決して無関係ではないと僕は思っています。

じゃぁまずクールジャパン=「世界で大人気の日本文化」から。
「クールジャパン」の話になると、いつも判で押したように「日本の漫画・アニメは海外で大人気で、数万人規模の漫画フェスが開かれている。書店にも日本の漫画がたくさん置かれている。」ということになっています。この文言自体はスペイン及び南欧諸国に限って言えば僕の実体験とそんなに違ってはいません。
でも以前の投稿で言及したように、ヨーロッパでも日本の漫画やアニメの受容に関する態度が国によって違う上に、漫画やアニメに対して親和性の高いスペイン人でさえみんながみんな漫画やアニメが好きなんてことはさすがにありません。そういう人がある一定量いるのは事実ですが、フェスにコスプレで参加するような積極的な人はどう考えてもごく一部の少数派です(日本でだってそうでしょ?)。クールジャパンの企画などに絡んでいる電通などの「ビジネス」の立場からみれば、たとえマイノリティでも世界中のオタク全部を相手にして商売ができるなら十分な「市場規模」ではあるのかもしれないですけどね。
さらに、日本人が相手だと外国人も気を使って漫画やアニメの話を話題として振ってくることが多かったり、日本語や日本に興味を持つ外国人は大体入り口が漫画やアニメであることが多かったりするので、「ガイジンはみんな漫画やアニメが大好きなんだ」という錯覚に陥り易い傾向もあるんじゃないかと思います。
しかしながらメディアが繰り返すのは上述したとおり「世界で大人気のクールジャパン」という大本営発表であり、結果として日本人は「インド人はみんな数学が得意」とか「スペイン人はみんな昼寝(シエスタ)している」なんかと同じレベルで「漫画やアニメは日本を代表する文化として世界中の人々に好意的に認知されている」と実態以上に過剰に思い込んでるんじゃないでしょうか?

次に「世界で大活躍の日本人」ですが。
宮崎駿や北野武がカンヌやヴェネツィア映画祭に出るときに「試写会の後、場内からは拍手が鳴り止まず、スタンディングオベーションが起きました。」って言うの、もういつものパターンですよね?彼らの映画は公開される前からすでに「素晴らしい作品」だったということになっていて、彼らの作品に対する辛辣な見解を大手メディアが報道することはほぼありません。
海外サッカーの報道でも「香川率いるマンチェスターユナイテッド」とか、どう考えても控えの2番手以下の香川がマンUを率いてるかのような言い方を日本のメディアはときどきしますよね。キャプテンとかよほどの中心選手じゃない限り「擁する」という日本語の方が妥当なんでしょうが。単に日本語運用能力の問題ではなくて、「プレミアリーグ随一のクラブであるマンUで日本人の香川がプレーしている」という事にだけしか関心が無いのが分かりやすく顕在化しているように思います。

といった具合に、戦前の大本営発表に一喜一憂してた頃や、戦後に力道山がシャープ兄弟を空手チョップで倒すのに熱狂していた頃と日本人は大して変わって無いんじゃないかなと思うのですが(変わって無いからダメだとか言ってるつもりも無いんですけどね)。こうなったのは単にメディアだけが悪いというわけではなく、国民もある程度共犯関係にはあるとは思います。
そして、こうやって「日本人にとって都合のいいところだけを誇張したりつまみ食いする」ということを延々と続けたことで、「国威高揚のためには都合のいい物を何でも誇張したりつまみ食いする」という習慣が日本に定着するのを後押ししてしまったように僕には思えるのです。

具体例としてその中でも一番最悪だと思う「なんちゃって武士道」の話をしますね。武士って江戸時代に人口の数パーセントしかいなかった特殊な支配階級です。毎日腰に刀を差して歩いて、もし鞘が当たったらそれだけでも切り合いになりかねないような状況を日常としてきた人々です。ご存知の通り、責任をとるためには切腹する覚悟も持って生きていたのでしょう。
武士の存在及びその倫理規範である武士道がわが国固有の文化であるということは否定しないですし、武士道に現代の日本人の心を打つものがあると言いたいのは分かります。でも、あまりに何もかもが違いすぎる現代に例えば「いじめの解決に武士道を!」とか言って、うわべだけの武士道を導入したところで「都合の良いつまみ食いのなんちゃって武士道」別の言い方をすると「コピペ武士道」にしかならないんじゃないですかね?本当に武士道に取り組むならば、毎日心身の鍛錬を行い、刀をさして歩き、責任を取るとために切腹するとか、それくらいの覚悟がいると僕は思いますし、それくらいの覚悟を持って生きる人でなければ哲学としての「武士道」は意味を持たないんじゃないでしょうか?
「いじめの解決に武士道を!」とか安直な事を言う人は武士道に敬意を持っているフリをして実はものすごく失礼なんじゃないかと思うのです。こういう人達って当時の武士という人達の置かれていたであろう立場や日々の生活の隅々に対する想像力が致命的に欠如しているんじゃないかと思います。いじめがここまで深刻な問題になった一因として「他人の痛みに対する想像力の欠如」というのが挙げられてますけど、そうだと仮定すると「いじめの解決に武士道を!」とか言ってる人は問題の解決法を示しているつもりで、「想像力の欠如」という同じ根っこの問題を違う言葉で再生産しているだけのように見えるのです。
「いじめの解決に武士道を!」以外にも「国家の品格」なんかもこの「なんちゃって武士道」の文脈に含まれると思うんですけど、我々日本人はつくづくこういうの大好きですよね。そのうち「汚染水処理に武士道を!」とか「沖縄の基地問題を武士道で解決!」みたいな勢いでなんでも武士道で解決できると言い出す人が出てきたらどうしよ。

以上、ここまでに書いたことについてこれでもかというくらいに分かりやすく書いた例を見つけました。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130913/art13091303130000-n1.htm


文句ばっかりになってしまったので最後にわが国のいいところも褒めておきますが。メディアが徹底的な自国びいきになるのは日本だけに限ったことでは有りません。というより、日本のほうがだいぶマシです。外国のテレビなんてスポーツの国際大会の時には自国選手をひたすら持ち上げて相手の選手をボロクソに言ったりする国もあるそうですから。その点では日本のテレビって最低限の中立性に配慮した中継をしますし、日本人の観客もフィギュアスケートの大会で日本選手のライバルが演技を終えた後もちゃんと拍手したりと、丁寧ですよね?こういうところは日本の良い所だと思いますよ。

2013年9月15日日曜日

滝川クリステルの合掌は「日本文化の自己wok化」に見えた

このblogも開始からすでに4ヶ月を超えましたが、あらためて読み直してみると「日本はダメで外国はいい」と単純に言ってるスペインかぶれのように見えてしまうことに気づきました。その昔、大橋巨泉がたまに「来日」して、単純にアメリカを持ち上げて日本をダメ出ししているのをテレビで見るのが心底嫌いだったんですけどね。

で。くどいようですがまたしても前回に続いてオリンピックの話です。とりあえず東京での開催が決定してから一週間、テレビはこれでもかというくらい「オリンピック招致決定バンザイ!」一色でした。今更テレビが商業主義だとか政治に対する批判能力が無いとかそんな可憐なことは申しませんが、あの「汚染水とかとりあえずもういいから、とりあえずはしゃいどけ」というのは、市井の人々の感覚に本当に沿っているんでしょうかね?
そして、特に滝川クリステルの「お・も・て・な・し」がマスコミにすごく持ち上げられているわけですが。あれはさすがに太田光じゃなくてもみんな怒るでしょう。あの手話みたいな手の動きでの「お・も・て・な・し」の後にタイ人みたいな合掌は日本人から見ると明らかにヘンですよね。あんなこと日本で誰もやらないのは、当の滝川クリステルはもちろん彼女にあんなことやらせたプレゼンのブレーンみたいない人達も勿論分かってるんだろうと思います。あれを見た僕の直感的な印象は"wok"でした。

wokというのは、日本ではあまり馴染みが無いかもしれませんが、海外(とりあえず僕の知る限りヨーロッパではどこに街にもある)に行くと頻繁に見かける形態のアジア料理店です。wokのお店は寿司とか中華料理とかカレーとかタイ料理とか、ヨーロッパ人から見て「アジアっぽいアレとかコレとかそんな感じの食べ物」をごちゃ混ぜにした料理を提供しています。こういうお店はだいたい中国人がやっていて、ヘタに和食を注文しようものならヘンテコな食べ物が出てきてガッカリするのが目に見えてるので在住日本人は「とりあえずwokって書いてあるところには行きたくない。行ったとしても和食は注文したくない。」と思ってる人がたぶん多数派です。

滝川クリステルのスピーチは、「プレゼンとしての効果を最大化するためにガイジンから見てグッとくるように、日本の文化や習慣を意図的に歪めてタイ人みたいな合掌を取り入れる=wok化」ということを国際的な舞台で日本という国を挙げてやっちまったように僕には見えました。それとも、わざわざ自国文化を毀損してまで「ガイジン=お客様」の都合に合わせて差し上げる事そのものが滝川クリステルや五輪招致ブレーンの考える「お・も・て・な・し」なんでしょうかね?自国の文化の有り様を「お客さん=ガイジン」の都合に合わせるという意味では、クールジャパンとか言ってる人達とたぶん根っこは一緒なんじゃないかと僕は思います。

さらにメディアでの取り扱いは「日本独自の文化『おもてなし』の勝利」みたいになっていますが、僕の知る限りでは英語だとhospitalityとかそんな単語が「おもてなし」にだいたい対応しています。ほかにもhospitalidad(西語)とかhospitalité(仏語)なんかもだいたい似たような意味の言葉です。もちろん、これらの単語は日本語の「おもてなし」と必ずしもイコールではなくて大なり小なり意味は違うんでしょうが、「おもてなし」が日本独自の文化っていうのはちょっと言いすぎなんじゃないかと思います。ここには、外国人に比べて自分達日本人が特殊であると思いたがるという日本人の辺境民性(例によってこれは内田樹の受け売りです)が強く反映しているように思えるのです。

もし仮に本人が納得してやってなかったとしても、滝川クリステルは「日本人」という自己認識の下に外国人をもてなすときには死ぬまであのタイ人みたいな合掌ポーズをする責任を御自身に課して欲しいと思いますし、あのプレゼンを肯定する人も今後少なくとも2020年のオリンピックの際にはあのタイ人みたいな合掌で外国人を迎えて欲しいと僕は思います。
最後に、これは別に僕がそう願ってるつもりは無くて単なる空想ですが。もし今「毛唐のアイノコの分際で世界中が注目している場で日本の文化、習慣を意図的に辱めた」として滝川クリステルが右翼に暗殺されでもしたら、それこそ彼女は国葬とか国民栄誉賞とかのお手盛り付で日本政府に「お・も・て・な・し」されるんでしょうね。そのとき、日本国民は彼女がプレゼンで見せたような合掌で彼女を見送るんだろうな。。

2013年9月10日火曜日

東京にオリンピックが決まりましたが

毎年この時期になるとうちの部署では外国人のインターン生がやってきて、僕は面倒見るのを振られることが多いのですが。いや、ガイジンの面倒見るのは別にいいし、特にスペイン語で話す機会が増えるのは歓迎なのですよ。でもね。一番めんどくさいのはガイジンが来たからといってハシャぐエラいおじさん達に振り回されることなのですね。そりゃまぁ田舎の製造業のなんちゃって研究職の職場は変化に乏しいのでおじさん達がハシャぎたいのも分からんでは無いのですが。金曜日にそのうちの一人の、一番マイルドでまだ話の分かりそうな人に「酸味げる君のおかげで無事に導入がうまくいったよ。ありがとう。」とか言われたので、ついうっかり「そりゃありがとうございます。でも、貴方があんなことやこんなことをしなかったらもっと効率よく済んでたんですけどね。」と、文句言っちゃいました。我ながらこういうのって、審判に抗議してイエローカードをもらうサッカー選手みたいな余計さですね。

で本題のオリンピックですが。安倍や猪瀬を見てるとウチの職場のエラいおじさん達と全く一緒に見えるのです。
「東京は福島から250キロも離れているから安全」
「日本の安全は私が保証する」
「港湾内0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」
「Fukushima situation is under control」
「健康問題は『将来も』まったく問題ない」
とか、明らかにウソが混ざってる上に日本国民に対して今まで言ったことも無いような楽観的かつ威勢のいいこと言い切っちゃいましたね。今回のオリンピック招致では、復興途上の被災地の状況や未だに危険な状態の原発への対応よりも、ガイジン相手にカッコつけることやオリンピックの経済効果の方が優先だとはっきり示しただけでなく。さらに。日本国民もIOCの委員も、そして言ってる本人さえも真に受けないようなウソを国際的な舞台で自信満々に言ってのけるという、今まで日本の政治家が超えなかった一線を安倍晋三は踏み越えました。「ガイジンにアピールするためには自信満々でプレゼンしてください」みたいな事をブレーンに言われて、いわれたとおりにやったんだろうと思うんですけど。これ、たぶん後々高くつくと思いますよ。今後安倍晋三は「外で調子に乗って奥さんの悪口言ったりして亭主関白なフリをしてたのがバレて後で奥さんに平謝りする」ようなことを強いられるだろうと思います。またお腹壊さないように祈っててあげてください。

直感ですが、安倍晋三ってここから下り坂に向かうだけなんじゃないかと思います。いや、おなかだけじゃなくて彼の存在そのものが。日本人は「日本を元あった状態に戻して、震災そのものをなかったことにしたい」という願望に駆動されて自民党を支持してきたというのが僕の仮説なのですが。安倍晋三の発言は「ただちに健康に影響は無い」とか「基準を10倍の何ミリシーベルトまで引き上げる」とかいう震災直後の民主党政権の対応に日本人が感じた失望と憤り(日本人は震災にまつわる負の記憶を民主党に背負わせて葬ったと僕は思っています)を再び思い出させたんじゃないでしょうか。しかも国民の頭越しにオリンピック招致の場で急に言い出したことでさらに強い反感を買ったんじゃないかと思います。

散々指摘されている通り、今回のオリンピックには前回のように「焼け跡からの復興」みたいな国民と共有された物語が全くありません。たぶん東京に決まって諸手を挙げて喜んでる人はオリンピックでお金が落ちる広告会社とか建設会社とか、そんな一部だけだろうと思います。東京とコールされた瞬間に招致委員が泣いて大喜びしている姿に大半の国民は距離を感じずにはいられなかったんじゃないでしょうか。招致委員の彼らにとってはこれまでの招致活動の「物語」があるんでしょうけどそんなのわからない国民は、彼らが泣いて喜んでるのを見せられても全然知らない人の結婚式や葬式に紛れ込んでしまったような気分にしかならなかったんじゃないでしょうか。

まぁでも、東京に決まったことで汚染水や原発の処理に関しては前向きになれる材料もあることはあると思うのです。だって、おじさん達はガイジン相手になるとカッコつけたがるし、海外のジャーナリズムは日本と違って批判することはちゃんと批判するので、今までよりはちゃんと汚染水や原発の処理をやるようになるだろうとは期待しています。
なんだけど。ネットでの反応を見てると「日本が選ばれなければ良かったのに」と怒ってる人がかなり多数いるように見えます。たぶん、上述の通り
・元々オリンピック自体にそこまで積極的じゃなかったところに
・国民の頭越しに安倍晋三が外で放射線の問題について調子のいい事言ってしまった上に
・しかも結果東京が勝ってしまったことでかえって怒りの持って行きようがなくなった
んじゃないでしょうか?あれだけ調子のいい事を言ってしまった後となっては、むしろ負けて罵倒されてた方が自民党や安倍晋三には得だったんじゃないかとさえ僕は思います。

散々税金使って招致活動したんだから日本に決まった方がまだ良かったはずじゃないか?というのは僕だって頭ではわかってるのですが。でも今回はどうしても肯定的な気分にはなれないんだよな。。