2016年6月26日日曜日

ナンシー関とヤワラさん

下記の投稿の後にヤワラさんはまさかの「やっぱり参院選には出馬しない」宣言をしました。。

ナンシー関が亡くなったのはちょうど今のような梅雨の時期でした。2002年、当時まだ学生だった僕はナンシー関の訃報にかなりの衝撃を受けたのを今でも憶えています。あれから干支一回り以上の時間が経って、気がついたら僕自身が彼女の享年と同じくらいの歳になってしまいました。それだけ時間が経っておじさんになってしまった今でも、ナンシー関は人生で影響を受けた作家のトップ5には入るんじゃないかと思います。
消しゴム版画家・コラムニストとしての彼女の業績については僕がくどくど申し上げるよりもネット上にいくらでも情報があるので検索していただければと思います。よく体型やコメントの鋭さなどからマツコ・デラックスにたとえられることもあるけど、まぁなんとなくの雰囲気として近いところはあるでしょうか。テレビの画面を通して見える日本の「トホホ、マヌケ、ヘンテコ」を誰よりも的確に拾い上げて言語化するセンスは、80年代~90年代の日本の社会風俗の資料として後世に語り継がれる価値があると思います。

ナンシー関が川島なお美や神田うの等と並んで欠かさずウオッチしてはネタに取り上げていた物件の一つに「ヤワラさん」こと、谷(田村)亮子がありました(たとえばこことかここ)。ナンシー関はヤワラさんの一見穏当な口ぶりの中に潜んでいる傲慢さを的確に指摘していた上で「10年後、ヤワラちゃんは選挙に出ていると思う。」という予言を残して亡くなりました。そして、その何年か後に実際にヤワラさんは小沢一郎に担がれて選挙に出て参議院議員となりました。
そんなヤワラさんが先日記者会見を開いて「次回の選挙は生活の党からではなく自民党から出馬する」と宣言しました。マスコミが舛添要一を全力で叩いている時期だった上にマスコミと蜜月の自民党への移籍ということもあって、世の中的には大して騒がれなかったんですが。これは日本の政治では今まで有り得なかった一線を越えてしまった事件なのではないかと思います。しかもそれをやっちまったのが「ヤワラさん」となると、ナンシー関に影響を受けた一人としてどうしても黙っちゃいられないのです。なんだろ、この力の入り方。

これまで政治の世界というのは「政策・理念・イデオロギー」をそれぞれの政党が掲げて、所属議員は政党が掲げている方針に順じた政治理念を持っている…というのが少なくともタテマエとしてありました。政党に投票する比例代表なんてこの前提がないと成立しないわけですよね。このタテマエに即して考えると、理念のかけ離れた「生活の党→自民党」という移籍は有り得ないわけです。
「移籍」という言葉をつかってみましたが、実際にヤワラさんの口ぶりからはFA宣言した野球選手が「複数のオファーの中から一番高く評価していただいた球団を選びました」と言ってるような印象を受けました。そして、おそらくご本人の意識もこれと大差ないのでしょう。つまり、ヤワラさんにとって自身の政治家としての存在意義は自分が「ヤワラちゃん」であることによってのみ担保されているので、政治理念の整合性とか政党なんていう物は最初から気にもかけていないわけです(この点において議員としてのヤワラさんはアントニオ猪木とほとんど変わらない)。かくして、ヤワラさんはナンシー関が生前指摘していた持ち前の「傲慢さ」によって、政治における「理念」を完全に無視して政党を移籍して見せました。ここまで開き直られると、「八紘一宇」とか言って吼えてた三原じゅん子の方がまだマシなんじゃないかとさえ思えてきます(あの人が振り回す「八紘一宇」という言葉からはヤンキーの特攻服の刺繍のようなテイストだけしか伝わってこなかったのですが)。

とはいえ。何でもかんでもヤワラさんの個人的資質だとするのはちょっとやりすぎな気がするので少しだけ弁護してみます。というのも、彼女を育てた日本の柔道の有り方と「多数派でいたい=勝ち組でいたい」という日本人のマジョリティの感覚は同じ方向を向いていて、だからこそヤワラさんの「移籍」は非難されないのではないかと思うのです。
「多数派でいたい日本人」と[「ヤワラさんを含めた柔道のオリンピック代表選手」の両者に共通しているのは全く「負けしろ」が無いということです。オリンピックに出場する日本の柔道の選手は「日本のお家芸、柔道」「勝って当たり前」というプレッシャーに晒されていて、負けることが最初から許されていません。この「負けしろ」の無さたるや、高校野球や旧日本軍とほとんど同じレベルだと思います。もう一方の「多数派でいたい日本人」についてはほとんど説明不要だと思いますが、彼ら「少数派、負け組」にならないように立ち振る舞うことを最優先する理由は自分に「負けしろ」が無いことが分かっているからなのではないでしょうか。

2016年6月1日水曜日

アメリカという父

オバマ大統領の広島での演説を見た一週間後にこれを書いています。オバマの演説は原爆で犠牲になった人々が現代に生きるアメリカ人の彼と同じような人類的な営為を生きていたこと、そんな人達を何万人も一瞬で吹き飛ばした原爆があまりにも危険であることについて言及し、その上で原爆をなくすのは「今すぐにはできないけど努力を続けることが必要」という言葉で結ばれていました。こうやって要約だけ書いてみてもほぼ何も伝わらないですが、動画で見ると彼のスピーチは非常に洗練されていて見てる人に深い印象を残したことが分かるかと思います。
さて。オバマの後にわが国の首相も演説していたのですけど、彼が何をしゃべっていたのか記憶に残っている人がいるのでしょうか?僕は途中まで首相の演説をみていたのですが、オバマにくらべてあまりに中身が無さ過ぎて耐えられなくなって途中でチャンネルを変えました。改めてネットで首相の演説の全文を読み返してみたら、オバマとは対照的に文字だけで読むとテレビの中継よりはまだマシに見えます。というのも、文字だけ読んでる限りでは、日本の官僚が得意とする当たり障りの無い作文に現首相が好みそうな「とこしえの哀悼」「あまたのみ霊」などの「美しい国ニッポン」的な安いポエムを散らしただけに見えるからです。しかし、テレビの中継で現首相の演説を見ていたら「首相も作文担当の官僚も、この演説を誰に聞いてもらいたいとか、何を伝えたいとか、そいういう意識が最初から何も無い。何よりも、そのことが問題だという意識がそもそもない。」ということだけしか伝わってこないのです。それで耐えられずに途中でチャンネルを変えてしまったわけです。

結論として言いたいことを先に申し上げると、この広島での演説によって「アメリカという父」、ひらたくいうと日本はアメリカの従属国であるという事実を改めて思い知らされました。外交、国防などのあらゆる面で従属国としてアメリカの意思決定に従うのが戦後70年にわたって規定路線として引き継がれてきたことのすべてがあの演説に凝縮されていたと思います。
この「アメリカという父」は日本人が戦後永らくトラウマとして引きずっているために、その事について考えることに対して我々日本人は強い抑圧を自らに課しています。内田先生の指摘にもあるように、特に右寄りの人は「アメリカという父」に対して強い抑圧があり、彼らの中国や韓国に対する攻撃的な態度は抑圧に対する反動若しくは症状として顕在化しているように見えます。
例えば右寄りの日本人には特攻隊に代表される太平洋戦争の戦没者を美化したがる人が結構な数いるように見受けられますが、不思議なことにその戦没者を殺傷したアメリカを非難する人はほとんどいません。中国や韓国を非難する時には舌鋒鋭くなり、「靖国」や「英霊」と声高に連呼するのに、その靖国に祀られている英霊を殺したアメリカを全く非難しない。このことは「アメリカという父」の存在に対する日本国民の強い抑圧を示す一つの例だと思います。

オバマの広島訪問と演説について日本語でネットを検索した限りでは「オバマのスピーチには感動した」「アメリカに謝罪は必要ない」と、おしなべて好意的なリアクションが多かったみたいです。これらのリアクションに通低しているのは「アメリカという父との(捻じれているけど)絆を再確認できて承認欲求が満たされた」という安堵のようなものだと思います。
一方、広島、長崎、沖縄方面を中心に「オバマは謝罪すべきだった」「日本政府は謝罪を要求すべきだった」といった声も少数派とはいえあったようです。謝罪しない理由については、インディアンコンプレックスに端を発する「正義のアメリカ」とか、色々理由はあるのでしょうが。アメリカとしては「父として、子供に謝るという選択肢は有りえなかった」のではないでしょうか。

昨年、台湾で学生によって国会が占拠されるという事件が起きました。これは台湾の政治に対して中国の影響が強くなっていることを憂慮した学生達が行動を起こしたのですが。この件について内田先生が当時このようなコメントをしていました:「台湾のように政治に対する自己決定権があれば市民の政治に対する意識は成熟する。しかし、日本はアメリカの従属国なので政治についての自己決定権が無い。そのことが市民の政治的成熟を妨げている。」
広島でのオバマの演説をオリンピックだとしたら、安倍晋三の演説はインターハイくらいの差がありました。でもこれは単に安倍晋三の個人的資質の問題だけではなく、アメリカと日本における市民の政治的成熟度の差がそのまま反映されていたのではないでしょうか?もしも日本人が政治についてもう少しまともな自己決定権を持っていれば、さすがにもうちょっとマシな人が首相を務める国になると思いますよ。