2014年7月5日土曜日

帰ってきた「決定力不足」と集団的自衛権

これを書いている現在、ワールドカップはベスト8が出揃ったところです。日本は予選リーグでほぼいいところが無いまま敗退となり、テレビ各局が連日繰り返していた内容の薄い「ニッポンガンバレ」報道(たいていブラジルから中継で松木やゴン中山などがハイテンションで吼えて終わるだけ)も沈静化し、椎名林檎による「国際舞台とかそういうこと一切ガン無視の右寄りな歌詞の大会テーマソング”NIPPON”」を未だに流し続けるNHKにはやんわりとした罰ゲーム感さえ漂っています。あの曲は彼女のキャリアの汚点として語り継がれるんじゃないでしょうか。なんでもNHKから曲調や歌詞についてあれこれ注文がつけられて結果ああなったらしいですね。。

今回のワールドカップで改めて印象的だったのは、サッカーというスポーツは「絆」「仲間」とかいうポエムや農耕民的な精神論ではなく、タフな状況にも最後まで冷静にじっと耐えてギラギラとゴールを狙い続ける狩猟民族な姿勢を最後まで維持できた方が勝つ可能性が高いということです。ギリギリのところで後半ロスタイムに点を入れて勝ったりするチームと日本との決定的な差はこのメンタリティなのではないかと思うのです。

本田という選手はこのメンタリティの差にとても敏感であったが故にビッグマウスと言う表面的な態度によって自分の能力以上のものを「言葉」という日本的な手段を通して背負って、自分を追い込む道へと進んでしまったように見えるのです。内田樹先生の言葉を借りて言うなら、彼はこうすることで「自分自身に呪いをかけた」とも言えるでしょう。
本田は「ガイジンみたいになろうとするけど根本的なところで方法論が日本人的でどこかズレてしまってる、結局やっぱり日本人」という意味ではとても現代的なのです。これは、前回の投稿で言及したように海外の反応をやたら気にするけど根本的なところで自分達が世界とズレていることを理解できない日本人と相似形を成しているように僕には見えます

あれだけ散々「ベスト8はイケる」などと言っていた反動で「真に受ける」ということが自己責任だと思わないお客様体質の日本人から本田は「口田圭祐」と戦犯扱いを受けました。彼の言動は「汚染水はコントロールされている」とか世界に向けて言ってた人と同じで、言ってる当の御本人がそもそも100%真に受けてないと思うんですけどね。
そして日本の予選リーグ敗退以降、何年かぶりに「決定力不足」という懐かしいフレーズが聞こえるようになってきました。でもこの「やっぱり決定力不足でダメな日本」という空気に僕は一抹の安堵を覚えるのです。というのも、一方では「決められる政治」をスローガンに掲げた安倍政権がなし崩し的に集団的自衛権の容認に踏み切ろうとしているのを見てると本当に気鬱になるからです。

集団的自衛権および安倍政権に対する僕の見解はほぼ内田樹先生の受け売りなのですが、ぱっと思いつくところで列挙すると
・そもそも憲法というのは時の権力者によって国家の本質が揺らいだりしないためにある
・憲法の恣意的解釈を許すと法治国家から人治国家に向かってしまう
・ねじれて決まらないことが二院制の本質である
・政治というのは「国家百年の計」であるべきで、市場経済の"スピード感"と同じスケールで考える物ではない
・アメリカの代わりに中東で人殺しを引き受けることによってイスラム文化から憎まれることの代償を過小評価している
といったところでしょうか。
戦後60年に渡って日本に平和をもたらしたのは「急に変化しない、なるだけ同じ状態を保つ」という安定感(理系語で言うとヒステリシス)と、それを支える「決定力不足」の体質だったんじゃないかと思うんですけどね。しかし、本田と同じように安倍晋三が非難される日もそう遠くない将来にやってきそうな気がするんだけどなぁ。。