2015年3月24日火曜日

今更ですいませんが、AKBについてちょっと

2012年8月。2年間スペインに滞在した後に日本に帰ってきました。そのときはスペインと日本のギャップが大きすぎてそりゃまぁ色々つらかったのですが。帰ってきたときに驚いた事の一つに、僕の歓迎会を開いてくれた三十代半ばの同期が全員「AKBの押しメン」について一家言あって、その話題で結構な時間盛り上がってたことなのですね。いや、AKBの存在はスペインでも認知できていましたが、そこまでと浸透しているとは思わなかったのです。

AKBというグループを日本に帰ってきて最初に見た感想は「なんでこの人達は必ず全員一緒に歌うんだろうか?」だったのです。これまでのアイドルグループはそれぞれのソロ歌唱パートが曲のどこかにありました。これは、恒常的なメンバーチェンジという概念を導入したモーニング娘でさえも継承してきた伝統なんですけど、AKBはそれをあっさり捨ててしまったかのように見えたのです。
この「全員で一緒に歌う」というスタイルはおそらく「総選挙でメンバーが格付けされて入れ替わる」というシステムと不可分の関係にあるのでしょう。個々人のソロパートなどが存在しなければ、総選挙でメンバーが入れ替わっても以前の曲をそのままレパートリーとして使い続けられるわけですから。

こういうこと言ってると自分が本当におじさんになったなぁとしみじみ思うのですが、つまるところAKBは
・お客様=市場原理の格付けに対して従順である
・全員が入れ替え可能な部品である
・基本横並びの扱いの中でのローカルな差異や格付けに心血を注ぐ
といった具合に、日本の若者に期待されるロールモデルそのものなんじゃないかと思えるのですね(たぶん同じ事を言ってる人がすでに100人くらいいそうですが)。
だけどこうやって列挙してみるとAKBは日本ローカルでしかウケなくて、日本人以外に受容される可能性は極めて低いんじゃないかと僕は思うのですが。なんで秋元康はAKBを海外に輸出できると思ったんでしょうかね?実際に秋元康はAKBをクールジャパンのコンテンツとして海外に輸出しようとしてJKT(ジャカルタ)とか作ってましたけど、結局は鳴かず飛ばず(のように僕には見える)ですよね?しかも、それでも未だに秋元康はクールジャパンの推進委員会だかに名前を連ねていて、安倍晋三とも仲良さそうなのがどうも不思議なんですよね。。

AKB商法というのは「総選挙に投票するためにCDを買う」というお客さんを作ったことで、音楽=CDの存在意義をビックリマンチョコのチョコ部分程度まで落としめたと思うのです。この歴史的意義はあと10年くらい経ったときに何かしらの評価を受けるでしょうが、ビックリマンのシール(だけじゃなく、食玩やペットボトルのキャップなど)を集めるのに熱中する文化もたぶん日本人以外にはなかなか理解されないかなー?と思うのですよ。