2017年4月23日日曜日

そして大相撲は戦後プロレス化への道をたどる

このblogを始めてから、気が付けばもう4年も経ちました。blog開設当時はまだスペインから帰国したばかりだったので、開設当時の投稿を今読み返すと、いろいろありながらも今の自分はすっかり自分は普通の日本人に戻ってしまったなと感じたりします。これは物の考え方だけでなく、日常生活のちょっとした立ち振る舞いにも現れていまして。例えば、今では普通に人前で何の躊躇もなく鼻をすすっちゃうことがあります。また、この前は何も考えずにパンに直接かじりついてました。どちらもスペインではちょっとお行儀の悪いので人前ではまずやらなかったことなんですけどね。
さておき、初期のblogを読み返してみると帰国当時は日本のアレやコレにいちいちイライラしていたのを思い出してしまうのですが。勿論日本の全部が嫌だったわけではなくて、「帰ってきてよかったな」と思えることだってあったのですよ。といっても、その大半は食べ物関係(コンビニでおにぎりが100円で買える、吉牛やはなまるうどんが数百円で食べれて、スーパーで刺身や寿司が数百円で買えて…と、書き出すとキリがないのですが)なんですが、それ以外に「プロ野球と大相撲が普通にテレビで見れる」ということもありました。相撲も野球もずっと日本で暮らしていると「テレビつけたら当たり前のようにやっている」ものだったわけですが、2年間海外暮らしで遠ざかっていたら以前にも増してその当たり前のありがた味を感じるようになったのです。そんなわけで、帰国以降はNHKが夜中にやっている幕内の取り組みを30分のダイジェストにまとめた番組を場所中は毎日必ず録画して見ています。

で、今回は稀勢の里の話になるのですが。先に申し上げておくと、僕は稀勢の里が横綱になったのは「ちょっと早かったんじゃないかと思ってる派」ではあります。というのも、ずっとそれなりに相撲を見ている人からしてみると、稀勢の里は「危なっかしい」「ここ一番の大事なところに限って必ず負ける。しかも、そういう時はいい所がひとつもないまま圧倒されて負ける。」といった具合に、良くも悪くも「ハラハラさせる末っ子」的な存在だったからです。
稀勢の里が横綱になったことではしゃいでる人達は、彼のその「危なっかしさ」を理解していない「にわかファン」が大半なのではないでしょうか?もう若い人には言っても全然伝わらないのでしょうが、稀勢の里に無責任な期待を寄せる人達は、かつての若貴フィーバーの時代に沢山いた「自称相撲ファン」と同じ香りがするのです。
そして横綱・稀勢の里は大阪場所が始まってみたら初日から全く危なげなく順調に十二連勝しました。しかし、勝ち続ければ勝ち続けるほど「そろそろ何かあるんじゃないだろうか?」と僕はハラハラしていました。なので、結果として怪我してしまったときには「ほら、やっぱりね。。」と思ってしまったわけです。

しかしながら、稀勢の里は深刻な怪我を負った後に二連敗したものの、千秋楽で照の富士相手に二連勝して奇跡の逆転優勝を遂げてしまいました。「遂げてしまいました」というのは率直な感想であり、別にひねくれたくて言ってるわけではありません。というのも、ここで優勝してしまったことで稀勢の里はいろんなスイッチを入れてしまったように思えるからです。
プロレスとのアナロジーを持ち出してみますが。そもそも稀勢の里は橋本真也なんかと同じで、学ランと破帽と夕焼けが似合う昭和の番長タイプなのです。我々日本人はどうしてもこのタイプの人間が大好きで、「内的自己=ヤンキー性」を感情移入させる対象になってしまいやすいのです。
また例えが古くてすいませんが、稀勢の里は今回奇跡の逆転優勝を遂げてしまったことで、かつて「黒船」グレイシー一族に勝ったときの桜庭和志のような立場に立ってしまったように見えるのです。そう考えると稀勢の里はこの先、かつての桜庭のように、日本人の「内的自己=ヤンキー性」の無責任な期待に振り回されることになるだろうと思います。最早、稀勢の里の「危なっかしさ」をヒヤヒヤしながらも温かい目で見守るような姿勢では稀勢の里を見れなくなってしまいそうな気がします。

今回の稀勢の里の優勝によって、大相撲は力道山時代のプロレスへと漸近し始めたのだと思います。日本におけるプロレスの開祖である力動山は、「シャープ兄弟などの外国の悪役レスラーをやっつける正義のヒーロー」という構図によって、敗戦国日本のルサンチマンに訴求することで一大ブームを作り上げました。
稀勢の里は今回優勝したことで、力動山や(一時期の)桜庭のポジションに祭り上げられてしまったのではないでしょうか。だいたい、ただでさえ永らくモンゴル人に独占されていた横綱の地位に稀勢の里が昇進して日本人からの期待が高まっていたところに。横綱昇進後最初の場所で12連勝→モンゴル人である日馬富士との取り組みで怪我を負いピンチに→しかし最後は同じくモンゴル人の照の富士相手に奇跡の逆転優勝を遂げる…という一連の流れは、「圧倒的な強さを誇る元が攻めてきたが、最後は神風が吹いて日本が勝った」という歴史の再演になってしまったように思います。
一方で今回の件では、照の富士や日馬富士などのモンゴル人力士は完全にヒールの立場に置かれてしまいました。彼らに対する人種差別発言なヤジが投げつけられたこと、そして、それをマスコミや相撲協会が容認したり黙認したりしたことは、少しだけ問題になったものの結局うやむやになって立ち消えてしまいました。例えばサッカーなどのスポーツであれば人種差別発言を行ったサポーターに対しては出入り禁止などの厳しい処分が科されたりするのですが、おそらく相撲協会はこの先もこの問題に対してはグズグズと曖昧な態度を取り続けることでしょう。「国技大相撲と外国人」というテーマは、永らく曖昧なまま保留し続けたために、今更真正面から向き合うことができないと思います。

プロレスの開祖である力動山は元力士で相撲との愛憎関係を終生引きずっていたそうです(弟子の猪木を相撲部屋に入れようとしたこともあったそうな)。そして、彼は実は日本人ではなく北朝鮮出身でした。逆輸入のような状態で戦後プロレス化しつつある今の相撲界を力動山は天国からどんな思いで見ているのでしょうかね?