2015年5月14日木曜日

日本のプロスポーツと外国人

プロ野球が開幕して一ヶ月になりますが、巨人がシーズン開始直後に連れてきたドミニカ人の新外国人がなかなかの問題児なんだそうです。太りすぎだし、打てない、守れない、さらに素行も悪いということで、来日していきなり一軍で試合に出たかと思えば、たった5日で二軍行きになったそうえす。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/397935/
この記事を読んだ限りで一つだけどうかな?と思ったのは、川相ヘッドが背後から「グッド・モーニング!」と声をかけたが、巨漢の“問題児”は、なんと背中を向けたままあいさつを無視。というくだりです。件のドミニカ人はどうか知りませんが、たとえばスペイン人だと必ずクラッチが噛み合った状態で目を合わせて挨拶するのが当たり前なのです。だから、背後から挨拶されるということが起こり得ると本人がそもそも思ってない可能性があるんじゃないかなと思うんです。
さておき、この人自身の資質や態度にも問題があるのは明らかですね。去年相手をしていたインターンの学生がまさにこういうタイプ(周りの空気を一切気にしない、人に迷惑かけてる自覚が無い、異文化に合わせようという気が無い)だったので他人事とは思えない反面、自分が被害を受けない距離にいる限りは「一人くらいこういう奴がいて、たまにすんごい場外ホームランとか打ったりするとプロレス的な面白さがあってプロ野球が面白くなるんじゃないかな?」とか思ったりするのですね(ちなみに去年のインターン生は残念なぐらい仕事ができませんでした)。

さておき、このニュースを見てから日本のプロスポーツに外国人はいつから登場するようになったのか気になってちょっと調べてみました。すると、日本のプロスポーツに外国人が加わるようになった時期は68-69年くらいの時期に集中していることが分かりました。


■プロ野球
戦前のスタルヒンなどの例外を除いて、1970年から外国人助っ人が日本でプレーするようになったようです。1970年は巨人のV9時代最盛期で、圧倒的な強さを誇る巨人とそれ以外の戦力格差の是正という趣旨もおそらくあったんだろうと思われます(巨人はV9終了までは外国人選手を使っていなかったようです)。

■相撲
高見山が幕内デビューしたのが1968年です。

■プロレス
終戦直後からしばらくは、力道山vsシャープ兄弟に代表されるように外国人は欠かせない存在でした。ただしこの時期の外国人レスラーはシャープ兄弟を筆頭にほとんどヒール(悪役)でした。この構図には敗戦国日本のルサンチマンが見て取れるわけですが、そこから逸脱して外国人レスラーがベビーフェイス(善玉)として人気者になったのはデストロイヤー、マスカラス、ファンクス辺りが最初で、やっぱり70年より1,2年くらい前の話です。

ここまでで列挙した外国人はざっくり言うとアメリカ人なんです(マスカラスはメキシコ人ですが、彼もアメリカのプロレス経由で日本に来てたので文脈としてはアメリカ人と言って良いでしょう)。一方で、この70年より数年前というのは全共闘や70年代安保の全盛期です。
自分が生まれる前の時代の話なので半分推測でしかないのですが、それまでの”外”にある絶対的な立場にあった戦勝国=宗主国であるアメリカとの関係がこの頃くらいから変わり始めたんじゃないかなと思います。そして、この頃になって日本人は敗戦国としての反米感情とそれなりに折り合いをつけて外国人(=アメリカ)を自分たちの側に受け入れ始めたんじゃないかなと思います。

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