2013年8月28日水曜日

あだち充の漫画の"間"は外国人に理解できるか?

とりマリの「当事者対談」 マンガ家にもクールジャパンにひとこと言わせろという記事を読みました。クールジャパンって簡単に言うと「ガイジンにウケそうな日本の文化っぽい物をセットにしてクールジャパンって名前にして、外国に売り出そうぜ」と言っているのだと思うのですが。この一番の問題は”市場原理”を国家の文化政策にそのまま導入しちゃったことなんじゃないでしょうか。「ガイジンにウケそう、カネになりそうな物だけをプッシュする」という国策は、自国の文化の有り様や価値を自己評価することができないと公言することで、日本という国を自己毀損しているようにしか僕には見えないのです。
内田樹風に言えば、そうやって外国の顔色を伺うことでしか自分達の有り様を判断できないということそのものが辺境人たる”日本人の民族的奇習”であり、クールジャパンはうっかりそんな日本人の民族的奇習まで世界に輸出しようとしているように僕には思えるのです。

さておき、上記の対談記事ではラテン国家間でも国によってアニメの受容が異なるという、非常に面白いことに言及されていました。確かにクレヨンしんちゃんはスペイン人には大人気です。スペインに住んでた当時、スペインのテレビで唯一見れる日本語コンテンツがクレヨンしんちゃんでした。他のアニメは全部吹き替えされてるのに、しんちゃんだけはなぜか吹き替えと字幕だけの物が半々だったのです。そして、スペイン以外の国ではどうやらクレヨンしんちゃんは人気がありません。
たぶん、クールジャパンとか言ってる人達はこういう細かい国民性の違いみたいなのにちゃんと配慮する気は無いんじゃないかと思います。だって「ガイジンにウケそう、カネになりそう」というのは都合のいい”ガイジン”像を想定できるくらいデリカシーが欠如してないと考えつかないですから。

上記の対談記事で最も気になったのは「イタリアでアタックNo.1のスポ根は許容されるか?」「萌えが輸出できるか?」というところです。僕の直感的な印象として、スポ根と萌えは儒教国家ならまだ理解される余地があるかもしれないけど、それ以外は無理なんじゃないかな?と思うのです。
だからアタックNo.1がイタリアで人気だったとしても、それはバレーボールがイタリアで人気だからというだけなんじゃないかな?とか、インドでは巨人の星をクリケットに置き換えたオリジナル作品(ちゃんとギプスまではめてるらしい)が作られてるのも、スポ根に対する需要というよりはクリケットに対する需要なんじゃないだろうか?とか色々思うわけですよ。
他にも、日本の漫画で外国人に理解されなさそうな物って結構あるように思うのです。
・アンパンマン:アンパンマンの「顔を食べさせる」という仏教っぽい雰囲気がたぶん理解されない。
・あだち充:あの独特の"間"というか全体的に白くて余白のある空気感が外国人には理解され辛い気がする。
・吉田戦車:たぶん彼の作品の面白さを理解できる人の方が世界的にはマイノリティだろうと思う。

”文化”の定義の一つに、「ある人には当たり前だけど、他の人にとっては当たり前で無いこと」というのがありますが。この先には「当たり前じゃないけど、受容される物」と「理解不能で全く受容されない物」があります。前者はそのまま「文化」として扱われるでしょうが、後者は「奇習」としてキモい扱いされる可能性を十分に孕んでいます。クールジャパンは”文化”を発信するつもりなのでしょうが、うっかり一緒に”奇習”も発信しようとしています。そしてこのクールジャパンの放つトホホ感というかマヌケさもわが国の”奇習”の一つですよね?天国のナンシー関先生?

とりあえず”萌え”だけは本当にキモい扱いされて終わるだけだと思うから引っ込めて欲しいんだけどな。。

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