2013年5月29日水曜日

語学とお仕事(4)



今回は、日本に帰ってきてから気付いた日本人の外国語の問題点について。これは別に上から目線での話ではなくて、自分も苦手という話なので。自戒を込めて。


日本人は「大きいところから各論へ向かう」という風に話を構成(オーガナイズ)することにあまり意識が無くて、この逆の方向(各論から結論)へ向かってたり、話があちこち飛んでたりする人が割と多いように思う。これはおそらく日本語の曖昧さとか、みんな日本語が流暢なのが当たり前な(ほぼ)単一民族文化で異文化との交流が無かったこととか、いろいろな背景があるんじゃないかとは思う。これに対して、「まず結論から話す」という欧米(この日本語大嫌いなんだけどとりあえず便宜上使うことにする)的な会話スタイルは、互いに運用能力が不十分な言語でコミュニケーションを取る必要がある場合に、少しでも自分の言いたいことを相手に伝えたり、少しでも結果を自分の望む方向にもっていくための技術として発達したのではないかと思う。


日本人が英語で喋ろうとしているときによく感じるのは、「この人は今、日本語で話したいであろうことをそのまま英語に置き換えて話そうとしているんだろうな」ということで。僕は日本人だから彼らがそうなるのはすごくよくわかるんだけど、それでも「もういいからまず結論を言ってくれ」と思ってしまう。で、こういうとき、外国人は僕よりももっと更に焦れている。やがて日本人は、焦れてる外国人の空気を感じながらもしどろもどろで頑張った挙句に、結論にたどり着く前にどこかで語学力の限界を迎えてあきらめてしまい、話が空中分解してしまう。結論だけでもまず先に言えば、最終的にどうしたいかだけでも伝わる上に、どんな結論に向けて話したいのか受け手が分かるのでそこまで焦れずにしどろもどろを見守ってもらえると思うんだけどな。


スペインで語学学校に通ってた時に、欧米(うーん。。)人はみんな話をオーガナイズする能力が当たり前のように備わっているのを強く感じた。当時グループレッスンのクラスは僕以外全員欧米人だった。彼らの語彙力や文法知識は(文法と単語ばかり偏重してしまう日本人の)僕よりも明らかに下だったけど、彼らは話の途中で空中分解することはまず無い。彼らが言い淀むのは単語が分からないとか、言い回しが分からないとか、動詞の活用が分からないとか、そういった純粋な言語の運用能力の問題であって、話そのものはちゃんとオーガナイズされているので空中分解しないし、たどたどしくても聞いてる側は焦れてきたりはしない。


「英語で話すときは日本語で考えずに英語で考える」というのはよく言われることだけど、この効用は単純に「日本語→英語」の変換によって生じる効率の問題だけではなく、自分の英語力で説明できる範囲のことだけで思考できるので空中分解しないという事や、「結論から各論へ」という話し方のスタイルにスイッチが切り替わるという側面もあるのではないかと思う。まぁ、本当に「英語で考える」ということができるのかは僕はかなり懐疑的ではあるけど。


「なるだけ結論から話す」とか「自分の語学力でできる範囲で説明する」とか、こういうことを心がけるだけで不十分な語学力でもだいぶコミュニケーションが取りやすくなると思うんだけど。でも、それができるようになる頃にはだいぶ流暢になってるんだろうなという気もする。。そして、できれば日本語で話すときからそうしてくれると有り難いんだけどなと思う局面に日本に帰ってからしょっちゅう直面する。この、日本人とのコミュニケーションにおける焦れ方や違和感を皮膚感覚として理解してもらうには、生意気な言い方になるけど外国に一度行ってもらうしかないんだろうなと思う。というわけで、職場全体をスペインに移転させよう。そうしよう。

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