2013年5月25日土曜日

語学とお仕事(2)

前回のエントリで僕が語学とどう関わってきたのかについてざっくり記述してみたので、今回は僕が思う「語学への向き・不向き」について思うところを述べてみよう。

■耳がいい人
やっぱり耳が良い人は言葉を覚えるのが速いと思う。特に音楽家とか。この才能は僕にはなかった。残念。

■後先考えない迂闊さ
語学が上達しやすい状況の一つに「必要に迫られる」というのがある。この状況に追い込まれるのはなかなか辛いけど、短期間で飛躍的に語学力が向上するのにこれ以上の方法を僕は知らない。自分がフランス語を勉強したいためにフランス語を教える仕事に就いた枡添要一みたいな特殊な人は別にして、普通の人が「必要に迫られる」状況に追い込まれるには、後先考えない迂闊さが必要なんじゃないかと思う。例えば全然スペイン語できないのにスペイン人と結婚してスペインに来ちゃうような人って、その後の生活環境(毎日ずっとスペイン語漬け)もさることながら、その後先あんまり考えてない気質がそもそも語学に向いてるんじゃないかと思う。どうなるか分からないのにとりあえず外国に踏み出してみるとか、小さいところで言うと「ちゃんと説明できるか良く分からないのにとりあえず喋り始めてみる」とか、そういう後先考えない迂闊さって語学に向いてる人の素養の一つなんじゃないだろうか。逆に、慎重に考えて行動する人って必要に迫られるような状況にそもそも追い込まれにくいんじゃないかと思う。

■いらんことしい
英語で話せなくもない相手に向かってわざわざ下手なスペイン語で話してみるとか、覚えたてのフレーズを使ってみるとか、そういいうのは「いらんことしい」の素養が無いとできないと思う。自分自身を振り返っても、極度の心配性にもかかわらずそれでも外国に行きたいと思えたのは、「いらんことしい」だったからだと思う。「いつも結果として半殺しの目に遭うくせに、強い奴を見つけると戦ってみたくなるサイヤ人」みたいないらんことしい気質は語学に向いていると思う。

■よく喋る人
そりゃまぁ、沢山喋った方が身につきますから。

■論理的に言語を理解しようとする人
このタイプは「**語会話」というよりは「言語学」という学問に向いていると思う。「ここのwhen以下は副詞節だから動詞は原型で…」みたいなことを、ちゃんと論理立てて考える理知的な人。僕は明らかにこの才能には恵まれていない。僕は自分が過去に見聞きしたフレーズのストックから考えて、なんとなくの雰囲気で「たぶん正しいorなんかヘン」を判断するようなやり方でしか言語をとらえていない。

■どこか心がギャルな人
語学のための努力というのは、チマチマ単語を覚えたりするような大変地味な作業の繰り返しになる。こういった作業にエネルギーを注ぐには、大なり小なり「自分磨きOL」のようなマインドが必要とされると思う。別の言い方をすると、「心がギャル」ということになるのではないだろうか。例えば、blogやtwitterなどを頻繁に更新する人はある程度心がギャルだと僕は思う。よくある、語学を毛嫌いする超理系タイプの男性に欠けてるのはこの「ギャル気質」なんじゃないかと思う。

他にもいろいろあると思うけど、とりあえず僕が思うのはこんなところかな。もし僕に語学の才能と言うべきものがあったとしたら、それは単純に「迂闊でいらんことしいなギャル」だっただけだと思う。

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