2024年3月10日日曜日

MASHLEに見るジャンプの方向性

 鳥山明、TARAKOの訃報が相次いで流れて来たところです。鳥山明については、以前申し上げた通りで、バトル漫画としてのドラゴンボールを日本人は今もって反復生産し続けることを続けています。きっとこれは作者が亡くなった後もずっと続くのでしょうね。TARAKOについては、もしも「ちびまるこちゃん」がなければ、もっと普通に長生きしたのではないか?という気がどうしてもしてしまいますね。

平成のレジェンドから一転しますが、今日はアニメのMASHLEの話です。最近この作品をアマプラで見れる範囲で全部見たのですが、この作品は鬼滅の刃よりさらに次の段階に進んだジャンプ漫画なのではないかと思いました。しかし、「次の段階」というのが、過去への回帰のようで、現代的なようで、結局は王道を行っているところもあって。。段階は次になったけど、その方向性が一口に「こっち」とは言えないのです。

 まず最大の特徴は、「魔法が使えるのが当たり前の世界において、主人公は例外的に魔法が使えない」ということです。これはJOJO3部と鬼滅の刃の下りで言及したように、JOJO3部以降の「異能力バトル漫画」路線に対して、それ以前のジャンプ漫画にあった「身体性」へ回帰しようとする流れに乗っているように見えました。この点においては、「鬼=異能力」と「人間=身体性」の対立を通して鬼滅が志向していた方向性の延長上にこの作品はあるように見えます。

次にこの漫画でユニークな点は「努力・友情・勝利」というジャンプが掲げて来たテーマに対して「努力」が無いことです。主人公は幼少期からの筋トレによって、魔法が全く使えないにも関わらず魔法使いに勝てる程の肉体を有しています。物語の開始時点から最強で、特訓したり新しい技を身に付けたりして強くなるという描写が全くありません。これはジャンプ漫画としてかなり画期的なのではないかと思います。もちろん、友情と勝利はちゃんとあるんですけどね。。

「現代的」という意味では、 主人公の少年が戦う理由は「じいちゃんと平和に暮らしたい」という極々個人的な動機でしかありません。世界を救いたいとか、自分が強くなりたいとか、そういう欲が主人公にはないのです。ここについてはフリーレンにも通じるものがあると思います。

その一方で、MASHLEには少年漫画の伝統に則っている要素も見えたりします。例えば、主人公が「イノセントでどこか抜けている」というところは、悟空、ルフィ、ゴンなどの系譜につながっていると言えるでしょう。また、物語のどこかで「父」が登場することも、少年漫画の王道だと思います。

 

まとめると、MASHLEを見ているとこんなことを思うわけです。

  • 「身体性」という観点では昭和のジャンプへ回帰しようとしているようにも見える
  • 「努力」というジャンプの3大テーマのうち一つを放棄しているところは新しいのでは?
  •  「主人公が自分の価値観に忠実で世俗的な欲がない」という現代的な要素もある
  • 一方で、少年漫画の王道の要素も見て取れる

さて、ジャンプはこれからどこへ向かうのでしょうかね。。

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