2020年9月1日火曜日

今更ですが鬼滅の刃の話を

 約2か月に渡って、このblogの更新をサボっていました。理由は新居(中古住宅)のリフォームや引っ越しで忙しかったからです。未だに家の中に段ボールは沢山残ってますし、家のリフォームもまだ続きをやらなきゃいけなかったりで、やらなきゃいけないことだらけなのですが。一方でとりあえず日常生活に問題ない程度には片付いています。「いやいや、ここで気を抜いてはいけない、ちゃんとやらなきゃ」という気持ちと「とりあえず暮らせるようになったし、いいや」という気持ちとのせめぎ合いの中を日々暮らしています。

もう一つblogの更新をサボってしまっていた理由は、とうとう動画サービスに入ってしまったからです。引っ越しで忙しくなるので子供の相手をせずに済むように動画サービスに入ってみたたものの、子供が寝た後は僕自身が酒飲みながらぼんやり動画サービスでアニメを見るのがすっかり定着してしまったのです。いやー、あんなのあったらいくらでも廃人になれますよ。しかも引っ越しの諸々で疲れてると、自分が楽をできる方向についつい流れてしまうのです。おかげで、ここ数か月はblogは更新してないし本もロクに読んでいません。

そんな矢先に、なんと病気になってしましました。おそらく引っ越しを含めて夏の疲れが溜まっていたのでしょうが、現在投薬治療中です。ちゃんと治せばちゃんと治る病気なんだそうですが、これまで経験したことないレベルで日常生活に支障をきたす(飲食が難しい)レベルの病気なので、さすがに投薬治療中は酒は飲めなくなりました。これによって、今まで夕食後に酒とアニメで埋めていた時間がなくなったので、いい加減サボっていたblogを更新しようかということになったのです。

前置きがだいぶ長くなりましたが、そう、鬼滅の刃の話でした。結局、世のブームに乗ってアニメは動画サービスで全話見ちゃいました。いやー、これ、みんなが騒ぐのも分かるくらい面白かったです。四半世紀くらいジャンプはまともに読んでないですが、ジャンプの漫画として新たな可能性を開拓したんじゃないかとさえ思いました。以下はTV放送されたアニメだけを見ただけのコメントです。ちょっと前に漫画は完結しているらしいので漫画で一気に読んじゃいたいけど、一過性のブームで消費するのは勿体ない気がするので続きをアニメでじわじわ見ていきたいです。というわけで、漫画をちゃんと読んだ人から見ると的外れな事も言ってるかもしれませんが、そこはご容赦ください。



■主人公がしっかり者

これまでのジャンプ漫画の主人公の王道はドラゴンボールの悟空やHUNTER X HUNTERのゴンなど、「ちょっと抜けてて、どこかおバカ」なのです。これは長嶋茂雄や浅田真央にも通じる日本人がどうしても好きなキャラクターであり、ONE PIECEのルフィに至ってはこの路線の最終形だと思います。一方で鬼滅の刃の主人公の炭次郎は思慮深くて明るく前向きな、リーダータイプの優等生なのです。もう四半世紀以上ジャンプはまともに読んでないですが、「こんなに非の打ちどころのない完璧な人間が主人公の漫画がジャンプで連載されている」ということに、隔世の感を覚えずにはいられませんでした。


■波紋法=呼吸法による肉体への回帰

鬼滅の刃の作者本人も言及しているそうですが、鬼滅の刃はJOJOから多大な影響を受けているようです。たとえば、「JOJO」の吸血鬼と「鬼滅の刃」の鬼は、「太陽の光に弱い」という設定が類似しています。そしてこのJOJOとのつながりの中で最も重要なのはJOJO第二部までの「波紋法」と鬼滅の刃の「呼吸法」の類似性です。ここからちょっと脱線してJOJOの話になりますが、JOJOは第二部までは「波紋法」という肉体技によるバトル漫画でした。そこから第三部になって「スタンド」という異能力で戦うことが中心のバトル漫画に大きく様変わりします。現在では「スタンド」はこの後に少年漫画の主流となる「異能力バトル漫画」の元祖という位置づけにされているようなのですが、当時小学校高学年だった僕は「スタンド」が登場したときに「あれ?肉体で戦わなくていいの?あ、でもみんな受け入れちゃってるんだ。そうなんだ。。」と違和感を感じたのを覚えています。

今にして思えば、「スタンド」はその当時のバブル末期→破綻という世相とリンクしていたのではないでしょうか。つまり、もう汗水たらして肉体で戦う(稼ぐ)よりもバーチャルで戦う(稼ぐ)という時代の空気に合致していたように思います。話を鬼滅の刃に戻すと、鬼滅の刃は鬼(=異能力)と人間(=呼吸法と剣)を戦わせることによって、人間の戦い方をもう一度肉体のドメインに戻すことを試みているように見えたのです。ややこじつけな感はありますが、バブル崩壊以降もバブル期と同じ「マネーゲームとしての経済」という価値観だけをそのまま延命させてすがりついてきた日本人が、またかつての身体性を伴った経済に回帰しようとしている過程とリンクしているように思えるのです。こうやって考えると、鬼滅の刃のブームと安倍政権の崩壊は繋がっているとも言えるのではないでしょうか。


■鬼を倒すことで鬼が供養される

倒される鬼の側についてもそれぞれのドラマがちゃんとあって、特に鬼が刀で首を切られて絶命するまでの間に走馬灯のように鬼になるに至ったキッカケや鬼としての苦悩などが描写されます。「鬼を倒して供養する」というのはどこか能に通じるところがあるのではないかと思いました。




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