2014年8月23日土曜日

野球と美学

夏休みが開けて一週間が経ち、渋々サラリーマンとしての日常にようやく戻りました。と言っても夏休みだからって特別どこに行くわけでもなく、ぼんやり本読んだり高校野球見たりしてる間に過ぎていったんですけどね。
さて、今年の高校野球で健大高崎というチームが大差が開いた後もひたすら盗塁を繰り返していたのが色々物議を醸している(これとかこれをご参照ください)ようなのですが。高校野球っていつもこういう議論がありますよね?去年の「カット打法禁止」とか、その前の「クロスプレーでのタックル禁止」とか。
高校野球に限らずプロ野球にしてもそうなんですけど、「勝ち負け」にこだわると、やる事がどうしてもチマチマしてたり陰湿な方向に向かってしまうのって日本人の「民族的奇習」の問題なんじゃないかと思うんです。そういう意味では高校球児達は「勝つためにチマチマと陰湿な事も厭わない」という軍人的側面と、「高校球児らしいハツラツとした爽やかさ」という見ている側の幻想の二つを同時に要求されるダブルバインドの状況に置かれてるように見えるのです。

そして、プロ野球も同じように「お客さんにお金払って見てもらうエンターテイメントとしてのプロスポーツ」という側面と、「チマチマとしてて陰湿で細かいインサイドワークの積み重ねで勝つことにこだわる」という二つの矛盾した要求にさらされています。特にここ数年のプロ野球って後者の比重が強くなった末に総力戦の傾向が強くなっているように見えるのです。例えば
・主力選手でも状況(ピッチャーが左から右に変わったとか)によっては割と簡単に替える
・代打、代走などは使える限りとにかく使う
・セ・リーグの場合、試合終盤の選手交代の際にピッチャーを9番以外の打順に置く
こういうことやり始めると、余程のことが無い限り選手層の厚い巨人みたいなチームが有利になるでしょう。でも僕には逆に「そうやって潤沢な資金で獲得した選手をありったけつぎ込まないと勝てない、若しくは、それだけ金で買った戦力をありったけつぎ込んでまで勝つことに執着する」という風に見えてしまって、ちょっと引いてしまうのです。90年代に江藤や清原など他チームの4番バッターをFAで取ってきて並べてみたものの鳴かず飛ばずだった頃の巨人の方がまだほほえましかったとさえ思えます。ええっと。だいたいもうなんとなく察しがつくと思いますけど、僕はアンチ巨人なのですけどね。

上述したような矛盾した二つの要求にさらされるのは今に始まった事じゃなくて、ずっと昔からプロ野球が抱えてる問題だったんだろうと思うのですが。単に僕の好き嫌いの問題だけじゃなく、ここ数年の「勝つ」ということに重きを置いた総力戦の野球と、プロ野球ファンが思い描く理想のプロ野球像が乖離してきているんじゃないかと思えるのです。
森毅先生は「効率優先合理主義では美学は生まれない。」とおっしゃってますが、まさにそういうことなんだと思うのですね。勝つことを最優先してそのために効率を重視したために今のプロ野球が失ってしまったものは一言で言うと美学なんじゃないかと思うのです。
もっと言うと、「美学とかは度外視で、手持ちのカードを使えるだけ使って『自分が起こしたアクションによって世界を動している』という満足を最大化したい」という幼児性は安倍晋三と原監督に通じているように思えるのですが、その話をすると長くなるのでそれはまたいずれかの機会に。

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