2013年9月15日日曜日

滝川クリステルの合掌は「日本文化の自己wok化」に見えた

このblogも開始からすでに4ヶ月を超えましたが、あらためて読み直してみると「日本はダメで外国はいい」と単純に言ってるスペインかぶれのように見えてしまうことに気づきました。その昔、大橋巨泉がたまに「来日」して、単純にアメリカを持ち上げて日本をダメ出ししているのをテレビで見るのが心底嫌いだったんですけどね。

で。くどいようですがまたしても前回に続いてオリンピックの話です。とりあえず東京での開催が決定してから一週間、テレビはこれでもかというくらい「オリンピック招致決定バンザイ!」一色でした。今更テレビが商業主義だとか政治に対する批判能力が無いとかそんな可憐なことは申しませんが、あの「汚染水とかとりあえずもういいから、とりあえずはしゃいどけ」というのは、市井の人々の感覚に本当に沿っているんでしょうかね?
そして、特に滝川クリステルの「お・も・て・な・し」がマスコミにすごく持ち上げられているわけですが。あれはさすがに太田光じゃなくてもみんな怒るでしょう。あの手話みたいな手の動きでの「お・も・て・な・し」の後にタイ人みたいな合掌は日本人から見ると明らかにヘンですよね。あんなこと日本で誰もやらないのは、当の滝川クリステルはもちろん彼女にあんなことやらせたプレゼンのブレーンみたいない人達も勿論分かってるんだろうと思います。あれを見た僕の直感的な印象は"wok"でした。

wokというのは、日本ではあまり馴染みが無いかもしれませんが、海外(とりあえず僕の知る限りヨーロッパではどこに街にもある)に行くと頻繁に見かける形態のアジア料理店です。wokのお店は寿司とか中華料理とかカレーとかタイ料理とか、ヨーロッパ人から見て「アジアっぽいアレとかコレとかそんな感じの食べ物」をごちゃ混ぜにした料理を提供しています。こういうお店はだいたい中国人がやっていて、ヘタに和食を注文しようものならヘンテコな食べ物が出てきてガッカリするのが目に見えてるので在住日本人は「とりあえずwokって書いてあるところには行きたくない。行ったとしても和食は注文したくない。」と思ってる人がたぶん多数派です。

滝川クリステルのスピーチは、「プレゼンとしての効果を最大化するためにガイジンから見てグッとくるように、日本の文化や習慣を意図的に歪めてタイ人みたいな合掌を取り入れる=wok化」ということを国際的な舞台で日本という国を挙げてやっちまったように僕には見えました。それとも、わざわざ自国文化を毀損してまで「ガイジン=お客様」の都合に合わせて差し上げる事そのものが滝川クリステルや五輪招致ブレーンの考える「お・も・て・な・し」なんでしょうかね?自国の文化の有り様を「お客さん=ガイジン」の都合に合わせるという意味では、クールジャパンとか言ってる人達とたぶん根っこは一緒なんじゃないかと僕は思います。

さらにメディアでの取り扱いは「日本独自の文化『おもてなし』の勝利」みたいになっていますが、僕の知る限りでは英語だとhospitalityとかそんな単語が「おもてなし」にだいたい対応しています。ほかにもhospitalidad(西語)とかhospitalité(仏語)なんかもだいたい似たような意味の言葉です。もちろん、これらの単語は日本語の「おもてなし」と必ずしもイコールではなくて大なり小なり意味は違うんでしょうが、「おもてなし」が日本独自の文化っていうのはちょっと言いすぎなんじゃないかと思います。ここには、外国人に比べて自分達日本人が特殊であると思いたがるという日本人の辺境民性(例によってこれは内田樹の受け売りです)が強く反映しているように思えるのです。

もし仮に本人が納得してやってなかったとしても、滝川クリステルは「日本人」という自己認識の下に外国人をもてなすときには死ぬまであのタイ人みたいな合掌ポーズをする責任を御自身に課して欲しいと思いますし、あのプレゼンを肯定する人も今後少なくとも2020年のオリンピックの際にはあのタイ人みたいな合掌で外国人を迎えて欲しいと僕は思います。
最後に、これは別に僕がそう願ってるつもりは無くて単なる空想ですが。もし今「毛唐のアイノコの分際で世界中が注目している場で日本の文化、習慣を意図的に辱めた」として滝川クリステルが右翼に暗殺されでもしたら、それこそ彼女は国葬とか国民栄誉賞とかのお手盛り付で日本政府に「お・も・て・な・し」されるんでしょうね。そのとき、日本国民は彼女がプレゼンで見せたような合掌で彼女を見送るんだろうな。。

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