2013年9月19日木曜日

「海外で大活躍の日本人」「海外で大人気の日本文化」という大本営発表

ここ最近はほとんどオリンピックとかクールジャパンとかの文句ばっかりですが、残念ながら今回もそんな話です。というのも、オリンピックが決まってから「おもてなし」をはじめとするメディアの国威高揚ムードのしつこさに本気でイラついてきたからです。もう十年以上前から、「世界で大人気の日本文化」や「世界で大活躍の日本人」を報じる際の日本のメディアは「都合のいいところだけ誇張とつまみ食い」の大本営発表を執拗に繰り返しているのですが。これは「国威高揚のために都合のいいことだけ誇張したりつまみ食いしたりする」という態度が日本人の日常的習慣として定着してしまったことと決して無関係ではないと僕は思っています。

じゃぁまずクールジャパン=「世界で大人気の日本文化」から。
「クールジャパン」の話になると、いつも判で押したように「日本の漫画・アニメは海外で大人気で、数万人規模の漫画フェスが開かれている。書店にも日本の漫画がたくさん置かれている。」ということになっています。この文言自体はスペイン及び南欧諸国に限って言えば僕の実体験とそんなに違ってはいません。
でも以前の投稿で言及したように、ヨーロッパでも日本の漫画やアニメの受容に関する態度が国によって違う上に、漫画やアニメに対して親和性の高いスペイン人でさえみんながみんな漫画やアニメが好きなんてことはさすがにありません。そういう人がある一定量いるのは事実ですが、フェスにコスプレで参加するような積極的な人はどう考えてもごく一部の少数派です(日本でだってそうでしょ?)。クールジャパンの企画などに絡んでいる電通などの「ビジネス」の立場からみれば、たとえマイノリティでも世界中のオタク全部を相手にして商売ができるなら十分な「市場規模」ではあるのかもしれないですけどね。
さらに、日本人が相手だと外国人も気を使って漫画やアニメの話を話題として振ってくることが多かったり、日本語や日本に興味を持つ外国人は大体入り口が漫画やアニメであることが多かったりするので、「ガイジンはみんな漫画やアニメが大好きなんだ」という錯覚に陥り易い傾向もあるんじゃないかと思います。
しかしながらメディアが繰り返すのは上述したとおり「世界で大人気のクールジャパン」という大本営発表であり、結果として日本人は「インド人はみんな数学が得意」とか「スペイン人はみんな昼寝(シエスタ)している」なんかと同じレベルで「漫画やアニメは日本を代表する文化として世界中の人々に好意的に認知されている」と実態以上に過剰に思い込んでるんじゃないでしょうか?

次に「世界で大活躍の日本人」ですが。
宮崎駿や北野武がカンヌやヴェネツィア映画祭に出るときに「試写会の後、場内からは拍手が鳴り止まず、スタンディングオベーションが起きました。」って言うの、もういつものパターンですよね?彼らの映画は公開される前からすでに「素晴らしい作品」だったということになっていて、彼らの作品に対する辛辣な見解を大手メディアが報道することはほぼありません。
海外サッカーの報道でも「香川率いるマンチェスターユナイテッド」とか、どう考えても控えの2番手以下の香川がマンUを率いてるかのような言い方を日本のメディアはときどきしますよね。キャプテンとかよほどの中心選手じゃない限り「擁する」という日本語の方が妥当なんでしょうが。単に日本語運用能力の問題ではなくて、「プレミアリーグ随一のクラブであるマンUで日本人の香川がプレーしている」という事にだけしか関心が無いのが分かりやすく顕在化しているように思います。

といった具合に、戦前の大本営発表に一喜一憂してた頃や、戦後に力道山がシャープ兄弟を空手チョップで倒すのに熱狂していた頃と日本人は大して変わって無いんじゃないかなと思うのですが(変わって無いからダメだとか言ってるつもりも無いんですけどね)。こうなったのは単にメディアだけが悪いというわけではなく、国民もある程度共犯関係にはあるとは思います。
そして、こうやって「日本人にとって都合のいいところだけを誇張したりつまみ食いする」ということを延々と続けたことで、「国威高揚のためには都合のいい物を何でも誇張したりつまみ食いする」という習慣が日本に定着するのを後押ししてしまったように僕には思えるのです。

具体例としてその中でも一番最悪だと思う「なんちゃって武士道」の話をしますね。武士って江戸時代に人口の数パーセントしかいなかった特殊な支配階級です。毎日腰に刀を差して歩いて、もし鞘が当たったらそれだけでも切り合いになりかねないような状況を日常としてきた人々です。ご存知の通り、責任をとるためには切腹する覚悟も持って生きていたのでしょう。
武士の存在及びその倫理規範である武士道がわが国固有の文化であるということは否定しないですし、武士道に現代の日本人の心を打つものがあると言いたいのは分かります。でも、あまりに何もかもが違いすぎる現代に例えば「いじめの解決に武士道を!」とか言って、うわべだけの武士道を導入したところで「都合の良いつまみ食いのなんちゃって武士道」別の言い方をすると「コピペ武士道」にしかならないんじゃないですかね?本当に武士道に取り組むならば、毎日心身の鍛錬を行い、刀をさして歩き、責任を取るとために切腹するとか、それくらいの覚悟がいると僕は思いますし、それくらいの覚悟を持って生きる人でなければ哲学としての「武士道」は意味を持たないんじゃないでしょうか?
「いじめの解決に武士道を!」とか安直な事を言う人は武士道に敬意を持っているフリをして実はものすごく失礼なんじゃないかと思うのです。こういう人達って当時の武士という人達の置かれていたであろう立場や日々の生活の隅々に対する想像力が致命的に欠如しているんじゃないかと思います。いじめがここまで深刻な問題になった一因として「他人の痛みに対する想像力の欠如」というのが挙げられてますけど、そうだと仮定すると「いじめの解決に武士道を!」とか言ってる人は問題の解決法を示しているつもりで、「想像力の欠如」という同じ根っこの問題を違う言葉で再生産しているだけのように見えるのです。
「いじめの解決に武士道を!」以外にも「国家の品格」なんかもこの「なんちゃって武士道」の文脈に含まれると思うんですけど、我々日本人はつくづくこういうの大好きですよね。そのうち「汚染水処理に武士道を!」とか「沖縄の基地問題を武士道で解決!」みたいな勢いでなんでも武士道で解決できると言い出す人が出てきたらどうしよ。

以上、ここまでに書いたことについてこれでもかというくらいに分かりやすく書いた例を見つけました。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130913/art13091303130000-n1.htm


文句ばっかりになってしまったので最後にわが国のいいところも褒めておきますが。メディアが徹底的な自国びいきになるのは日本だけに限ったことでは有りません。というより、日本のほうがだいぶマシです。外国のテレビなんてスポーツの国際大会の時には自国選手をひたすら持ち上げて相手の選手をボロクソに言ったりする国もあるそうですから。その点では日本のテレビって最低限の中立性に配慮した中継をしますし、日本人の観客もフィギュアスケートの大会で日本選手のライバルが演技を終えた後もちゃんと拍手したりと、丁寧ですよね?こういうところは日本の良い所だと思いますよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿