2025年8月16日土曜日

ダンダダンを見ていると日本の行く末に少し期待が持てる気がする

 これを書いているのは、日本が終戦から80年という節目を迎えた翌日です。久しぶりに4か月くらいの長期にわたってこのblogを放置してまいりました。理由はまぁ、一言でいえば忙しかったからなのですが。忙しいという事は時間の余裕もさることながら、「余計なことをする」という事への精神的なゆとりも奪ってしまうのを最近すごく痛感しています。わずかなゆとり時間となると、どうしてもアマプラでアニメ見たりとか楽な方を優先してしまうので、どうしてもこのblogは後回しになってしまうのです。

 そんなこんなでアニメだけは忙しくても見ています。今回話題に挙げるダンダダンは2025年の夏アニメとして第2期を放送している最中なのですが、この作品は日本という国の有り様を切実に体現していつつも、その先の未来にちょっと期待を持たせてくれるように感じるのです。まず、この作品は「宇宙人」と「オカルト」という二つの要素が登場するのですが、これら二つはそれぞれ岸田秀が言うところの「外的自己」と「内的自己」にそれぞれ対応しています。 この物語は、宇宙人だけを信じる少年とオカルトだけを信じる少女が互いに信じていないものを受け入れることから始まるのですが、これはまさに外的自己と内的自己の分裂の解消を志向しているように見えます。

物語が進んでいく過程では、それまで敵だった霊的存在や宇宙人の一部が味方になっていく一方で、完全な悪として描かれている霊的存在や宇宙人はやはり依然として悪のままです。無節操にすべてが味方になっていくわけでもなくて、悪はやはり悪のままでありつつも、それでも味方はなんとなく増えていきながら話が展開してくわけです。この辺りの線引きにはジャンプが長らく培ってきた伝統を受け継いでいるように思います。簡単に言うと、フリーザは最後まで悪者でしかなかったけど、ベジータはなんだかんだで悟空の味方になりましたよね?この線引きはダンダダンでも同じです。

7月の参議院選挙では参政党という極右政党が躍進を遂げましたが、あれは一歩引いた目で見ると 「外的自己=トランプという外国人にちょっと憧れを感じている」と「内的自己=日本人ファースト、外国人排斥」の分裂がもたらした症状だと捉えることもできるのではないかと思います。つまり、参政党はこの矛盾を解決できない日本人のフラストレーションによって駆動されていて、それに呼応する人達の間で支持を得ているように見えるのです。

参政党に比べるとダンダダンは「可能な範囲での包摂」、今風に言うとdiversity & inclusionのような可能性を提言しているように見えて、そこには何か希望のようなものが持てるように思います。外国人排斥を主張する人達は、昔のジャンプ漫画において過去の敵が仲間になっていったプロセスを改めて噛みしめてみるとよいのではないかと思います。日本にいる外国人のうち特定のカテゴリ(人種、国籍)の人達だけがジャンプ基準でいうところの「仲間になれる余地が0の純粋な悪者」だとは僕は思わないのですけどね。

参政党の躍進と自民党の衰退の結果として、これまででは考えられなかったリベラル支持層からの「石破辞めるな」というキャンペーンが起きていることなんて、それこそ少年ジャンプ的な展開の最たるものだと思うのですが、これについて書いていると長くなるのでまた別の機会にします。 

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