# この原稿は2020年の5月21日に書いて、もう一味足りない感じがするのでそのま
# ま放置していたものです。安倍晋三がとうとう政権を投げ出した2020年9月1日に
# なって読んでみたら、確かにもう一味足りないけどまぁまぁいい感じで書けている
# ので、やや後出しジャンケンの感はありますが、そのまま公開してしまいます。
この1か月のテレワーク期間で何が辛かったかと言うと、
・オンとオフの区別がないので生活にメリハリがなく、土日も休日という気がしない
・家事や子供に邪魔されるので、会社に比べて集中して仕事に取り組めない
つまり、メリハリも無ければあまり仕事は進まないし達成感もない、という1か月でした。最初は色々辛かったのですが、最近はこれにさえもだいぶ慣れてきて、今となっては会社に行くのが当たり前だった生活に戻るのがなんだか怖いとさえ思うようになってきました。
緊急事態宣言もどんどん解除されて、だんだん社会全体が元あった状態に戻り始めたこのタイミングで、「夏の甲子園中止」というニュースが入ってきました。春も夏も含めて、今年の高校3年生は誰も甲子園の土を踏むことなく卒業することになるようです(後の追記:救済措置として交流試合は開催されました)。一応wikipediaで調べてみましたが、夏の甲子園は終戦の翌年の1946年でさえ開催されていたそうです。終戦の翌年なんてまだ食うにも困る人が沢山いただろうと思いますが、そんな時代でさえ開催されていた甲子園が中止になったわけです。
このblogでも以前から高校野球については「戦没者を慰霊するために奉納される能」であるということ、だからこそそこで毎年「犠牲の物語」が繰り返される必要があるということには折に触れて言及してきました。夏の甲子園は単に高校球児や高校野球ファンのみならず日本人全員にとって「敗戦の再現と供養」という霊的な意味を持っています。ここから先はこれと言った根拠の無い想像なのですが、日本国民は中止になった夏の高校野球の代わりに何か別の敗戦の物語を必要とするのではないかと思います。
そこにハマるピースとして、「安倍政権の崩壊」はかなりあり得るのではないでしょうか?「権力の暴走に歯止めが利かなくなった政治体制が終焉を迎える」というのは敗戦の一つの側面です。繰り返し言いますが、これと言った根拠はありません。しかし、これを書いている現在の「Twitter世論の高まりによって安倍政権が強行採決を見送るなど、強気の政治体制にもさすがに限界が見え始めた」という状況を鑑みると、この先政権が総崩れになって、夏頃には総辞職というのはあり得る話のように思えてきます。
そもそも、現在の状況は敗戦時に戦犯として岸信介を処分しなかったことに端を発している「亡霊の物語」とも言えます。この亡霊を供養することから「本当にあるべきだった戦後」を迎える契機になるのではないでしょうか?こう考えると、日本にもまだ希望があるように思えてきます。
このblogは発足以来ほぼずっと安倍政権の文句を書いていますが、書いてる僕自身がいい加減飽きてきたので、さすがにそろそろ終わってほしいです。
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