2019年11月23日土曜日

沢尻エリカと香港

「桜を見る会」騒動が盛り上がりを見せていた中での沢尻エリカの逮捕について、「政治スキャンダルが起きるとそれを誤魔化すために芸能人が薬物で逮捕される」という陰謀論派と、それを嘲笑しようとする安倍支持派との争いもひと段落しはじめた…という状況でこの文章を書いています。
昨日は「沢尻容疑者の尿検査『陰性』で毛髪検査の可能性に…」というウェブ上の記事をぱっと見たときに、「沢尻容疑者、尿検査、陰毛、可能性」と勝手に読んでしまいました。「陰性で毛」のところを勝手に作り替えてました。すいません。。あやうく陰謀論を勝手に話を陰毛論にすり替えてしまうところでした。

さておき、僕は陰謀論的な物の見方全般に対してはあまり与したくない方ではあるのですが、今回のマスコミの「桜を見る会」と「沢尻エリカ逮捕」の扱い方を見ていると、陰謀論にもさもありなんと言わざるを得ないと思います。禁止薬物を所持・使用してたらダメなのはそりゃ勿論わかりますよ。でも、芸能人が薬物を所持・使用していたことと、「桜を見る会」に見られるような安倍政権による政治の私物化とどっちが社会的に重要な問題であるかは誰の目にも明らかです。しかし、日本のメディアの取り扱いは完全に逆転しています。

「桜を見る会」は政治資金規正法などのいくつかの法律の観点から問題があるのは明らかで、検察がその気になれば安倍晋三に逮捕状を出すことだって十分可能なはずですが、検察はもちろんメディアからも結局ちゃんとは追及されていません。一方で沢尻エリカの薬物は法的な観点だけでなくメディアによって社会的にも攻撃されることになったわけです。同じように法に反しているにも関わらず両者の取り扱いがアンフェアすぎるのを見ると、陰謀論者の言うことにも一部の理を認めざるを得ない気分になります。

と、ここまでは誰でも言えそうなことなのですが。ここからが本題です。せっかくなので、心の師匠内田樹先生がいつもおっしゃっているように「自分くらいしか言わなさそうなこと」の話をここからしたいと思います。「桜を見る会」「沢尻エリカ」に香港情勢を加えて、「中国化」という補助線を引くとこれらがひとつながりの事象になるのではないか?というのが本稿の趣旨です。とはいっても、基本的なコンセプトは中国化する日本などの與那覇潤氏の著作からの借り物です。

「中国化する日本」という本は3.11の大震災から数カ月の頃に世に出た本ですが、この本は後の安倍政権の跳梁などの現象を「中国化」という観点からほぼ的確に予言しています。この本の後に書かれた「日本史の終わり」という著作で與那覇氏は「橋下(徹)さんは政治というものを徹底して『勝つか、負けるか』のモデルで捉えている」と評したうえで、彼を典型的に「中国的」だとして扱っています。その一方で橋下徹が攻撃するリベラル派を「西洋的」として扱っています。

「桜を見る会」の件に関する安倍応援団の反応の中でも、橋下徹はまさに中国的なコメントをしていました。「問題点を政治資金パーティー化してますねというところを追及すりゃいいけども、そこを越えて政権を倒すとかそういうレベルじゃないのは、今の世論調査見ても、このぐらいのことで政権が倒れる話じゃないってみんな国民も分かってますよ」
だそうです。この発言はどうしても「SEALDsとかあんなことやってたって世の中は何も変わらないよ。」と言っていた僕の大学の同期を思い出してしまいます。やっぱり日本という国の気質は西洋化よりも中国化がマジョリティで、3.11はその傾向を決定的に加速させる引き金になったんでしょうね。。

與那覇氏は中国ではむしろ「正しい思想」をひとつに絞ることによって、国土を統一し人々を糾合する統治術が編み出された 。これが、中華文明を多元性ではなく、単一性に基づく秩序であったと私が呼ぶことの意味であります。と言っていますが、今まさに香港で起きていることはこの中華文明の特徴を如実に物語っているのではないでしょうか?中華文明は西洋文明=多様性を許したくないのです。だから、あれだけ徹底的に人権を無視した暴力的な態度でつぶしにかかっているのだと思います。

こうやって考えると、香港市民も沢尻エリカも中華文明の犠牲者であるという点では繋がっているように思います。沢尻エリカがMDMAをキメながら香港の雨傘運動をジャンヌ・ダルクのように先導している姿をどうしても想像せずにはいられないです。

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