2019年10月22日火曜日

「お客様は神様です」についての論考

Twitterでこういうtweetが流れてきたので思わず何も考えずにリツイートしました。
『お客様は神様だろ?』という変な客がいたんだが隣の席に座ってたガチムチな黒人のお兄さんが立ち上がり『神はアラーだけだ!お前はふざけてんのか!?』とバリバリの日本語でキレだしその客をビビらせて帰らせた。お礼を言うと『実は僕仏教なんだけどね』と笑って帰ってった。
どうやらこれ、所謂”パクツイ”で誰がオリジナルなのかよくわからない話のようです。本当の話かどうかもよくわかりません。でもよくできていて面白いですよね。

まず、この「お客様」と「店員」の関係の非対称性については、その昔スペインから帰ってきたときに僕も不思議に思ったものでした。ちょっとお金を払ったくらいのことで優越した立場に立てるという考え方の根拠がよく分からない上に、そこに「神」という言葉を持ち出すこと自体が一神教の世界観では考えられないですよね。
一昔前にネットで「神」とか「ネ申」とかいう言葉が流行りましたが、当時日常生活であの言葉遣いをする人が僕はたいてい大嫌いでした。「日本人は八百万の神が住まうアミニズムの国で一神教とは異なる宗教観を有しており…」みたいな話を差し引いても、「神」という母国語の既存言の意味を一過性のブームに乗って上書きできてしまうセンスが許容できなかったのです。

ところが、「お客様は神様です」のオリジナルである三波春夫の見解を引いてみたら、とてもまともな話でした。「神前での祈りのように雑念を払い、聴衆(お客様)を神と見ることで、自分の最高のパフォーマンスが出来る、という想いから出て来た、人前で何かを披露する際の芸の本質を表す言葉」なのだそうです。これは、「すべての芸事は神様に奉納する神事にその起源がある」ということからすると妥当な見解だと思います。少なくとも三波春夫の「お客様は神様です」は「芸事を行う者の心構えや矜持」としての話であって、客の側が優位に立った非対称な関係を肯定する話ではないようです。

さて、ここで僕からの提案なのですが。ここまでの議論で一切出てこない別の可能性も考えてみました。「お客様は神様です」という言葉は、「お客様は神様のように聖人君子として振る舞うことを求められている」と解釈することもできるのではないでしょうか?これは別の言い方をすると、「お客様は神様のような立ち振る舞いを理想として自己陶冶する責任があります」ということになります。とりあえずこれはクレーマーに対する有効な対策には成り得るような気がします。クレーマーに対しては「お客様は神様のはずですよね?であれば、お客様=神様は貴方のように攻撃的に無理難題を突き付けてきたりしません。つまり、あなたは神様でもないし、お客様でもありません。よって、我々はあなたの話に付き合う必要はありません。」これで済ませられそうな気がします。

ただし、上記の対応がロジックとして成立しそうなのも世界的に見ると日本くらいなんだろうと思います。というのも、一神教の世界では神というのは聖人君子でもなんでもなくて「人間の論理や理解を超越した存在である故に、人間から見ると不条理で怖い存在」であり、だからこそ「神が災いをもたらさないように、神と契約とする。その契約に従って戒律を守る。」というのが基本的なスタンスなんだそうです。このあたりの話は昔読んだ「ふしぎなキリスト教」という本の受け売りですが、ウェブで探しても同様の言及が見られるのでたぶん正しいんだと思います。ついでに言うと、だからこそ一神教に対して「神の愛」という大発明をイエスが持ち込んだことで、キリスト教は大ブレイクしたんだそうです。

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