2016年4月3日日曜日

「おかあさんといっしょ」はいつまで続くか

4月になりました。新しい生活のスタートとなった人もたくさんいらっしゃるんでしょうが、僕は何も変わらずのままです。昨日は4/1なので組織名称の改変や役職呼称が代わっただけとかいうしょーもない理由だけで辞令をもらう人がいたのですが、そんな彼等でさえちょっとうらやましく思えてしまい、「エイプリルフールでもいいから辞令でないかなー」とつぶやいてしまいました。
一方で、4月1日でNHKの教育番組にはとてもインパクトの大きい人事異動がありました。子育て世代のお父さんお母さんならほぼ全員お世話になっている「おかあさんといっしょ」が大幅にリニューアルされることになったのです。人形劇コーナーが完全リニューアルになる上に、なによりも歌のおねえさんが交代することになったのです。歴代最長の8年に渡って歌のおねえさんを担当してきた「たくみおねえさん」の卒業については、発表されたと同時に「たくみロス」という言葉も聞かれるほどの反響がありました。
かくいう僕も「たくみロス」気味の一人でして。あの男性女性問わず「ほとんど敵を作らない=誰でも好きになてしまう」能力たるや一時期の山口智子とか能年玲奈とか(あと漫画のキャラを含めていいなら朝倉南)、そのクラスだと思います。

たくみおねえさんのことを書いているといつまでも書き続けられる気がするのですが、それはさておき、ここ半年ほど子供と一緒にNHKの教育番組を見てて気になったことが一つあります。NHKの子供向け番組の世界は「老人、おにいさん/おねえさん、子供、妖精、動物」だけで構成されていて、ほぼ徹底して「親」が欠落しています。つまり、「親」は現実の親だけであってテレビの中の世界には「親」を登場させないというコンセプトがどの番組にも共通しているように見えるのです。
強いて例外を挙げるなら「みいつけた!」という番組だけは登場キャラクターだけで家庭生活を営んでいるような雰囲気があるのですが、そこで親に該当するポジションのキャラクター「サボさん」はときどき頭に花が咲いてオカマみたいになるというキャラクター設定になっています。深読みしすぎかもしれませんが、性別の概念を希薄にすることで現実のお父さんやお母さんとかぶることを回避しているんじゃないかと僕には思えます。
ところが、3月末で終了した「おかあさんといっしょ」の人形劇コーナー「ポコポッテイト」の最終回までの数話では「着ぐるみキャラ”ムテ吉”の(今まで存在さえ言及されなかった)お父さんとお母さんが帰ってくる」という話の展開だったのです。本当に親が出てくるのか結構ハラハラしながら見てたのですが、結局は「親が乗っているであろう船に手を振ってるシーン」までで終わりました。やっぱり親を登場させるのはハードルが高かったようです(最終話のためだけに親の着ぐるみつくるのも勿体無いというのもあるんでしょうが、それだけではないと思います。)。ともあれ、「ムテ吉の両親はムテ吉を残して宝探しに行ったままずっと帰ってきていない」という荒唐無稽な設定を後付けしてまで親の概念をわざわざ持ち込んだことにはちょっと驚きました。しかしながら、ギリギリのところまで引っ張った末にやっぱり親は画面には登場しませんでした。

NHKの教育番組は僕が子供の頃に比べたらやたらと番組の数は増えましたが、その中でもやっぱり「おかあさんといっしょ」は他の番組に比べたら別格です。wikipediaによると、「おかあさんといっしょ」は1960年頃から50年以上に渡って存続している看板番組なんだそうです。「おかあさんといっしょ」のスタート当時はまだ専業主婦が当たり前の時代だったので、子供とお母さんが一緒に見ることを前提にできたのだと思います。かくして、「おかあさんといっしょ」という番組は作り手が意図的に画面から欠損させた「お母さん」をその名前に冠してスタートしたのでしょう。ここから出発したせいもあってか、その後のNHKの子供向け番組も一貫して「親」が欠損した世界をつくり続けているんだと思います。
しかし、今の時代では「おかあさんといっしょ」を母親と一緒に見れる子供は少数派になりつつあるんじゃないでしょうか?共働きの家庭の子供の大半はおかあさんといっしょが放映される時間帯には保育園にいるんでしょうし、もしも一緒に家にいたとしても母親は何かと忙しくて子供と一緒にテレビを見るゆとりが無かったりするのではないでしょうか(我が家では子供向け番組を録画しておいて、家事で忙しくて手が離せないとき=「おかあさんといっしょにいれないとき」に子供に見せています)。もっと言うと父子家庭だってあるわけですから「おかあさんといっしょ」という番組名がこのご時勢には不適切だとか怒り出す人もいるんじゃないでしょうかね(2013年から「おとうさんといっしょ」という番組が日曜日だけですが放映されてはいますが、「マイノリティやポリティカルコレクトに対して配慮していますよ」という中途半端なポーズは逆に格差を浮き彫りにするという好例になっています)。

半世紀以上前に「おかあさんといっしょ」がスタートした当時のNHKの教育番組のコンセプトはさすがに時代にそぐわなくなりつつあるのは誰の目にも明らかです。「サボさんの登場(2009)」→「おとうさんといっしょ開始(2013)」→「最終回間際に突然持ち込まれるムテ吉の両親の存在(2016)」という一連の流れは、「おかあさんと一緒に見る前提で『親』は意図的に画面から排除された世界」に作ってる側も限界を感じ始めている兆候のようにも見えます。
そしてちょっと飛躍しますが、これは高度経済成長期の頃の制度設計をひきずったままのわが国の育児政策の有り様と相似形を成しています。「待機児童ゼロ」とか「女性が輝く」とか口先では言いながらも結局は保育園は足りないし、保育士は激務の割には待遇が悪かったりと、行政は働く女性のためのインフラ整備にはまともに取り組もうとはしなかったわけですが。こちらはとうとう先日ある限界を迎えて保育園落ちた日本死ねに端を発して国民が声を上げ始めました。
保育園の問題の切実さに比べたら教育番組の有り様なんて大したプライオリティではないので不用意に同列に比較するべきでは無いのは勿論ですが。とはいえ、漫画やアニメは時として作り手が意識していないところで世相を反映してしまうもので、教育番組もその例外ではありません。だからこそ、「おかあさんといっしょ」という名前の番組がいつまで「親が欠損した世界」のまま存続するのか、この先わが子が成長して教育番組から卒業した後でもこっそりチェックしようと思います。

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