2013年10月12日土曜日

パワーポイントの一人歩きにご用心

最近あまりお目にかからないのですが、エンジニアの世界にはあらゆるドキュメントを何でもエクセルで作りたがる人というのがいらっしゃいまして。こういう人達はwordなんかの普通のワープロソフトで作ればいいようなものでも、とにかく何でもかんでもエクセルで作りたがるのです。例えば、基本的に図と文章で構成されてるようなソフトの仕様書なんかもエクセルで書いちゃう人が実際にいるんですよね。これって、「Illustratorをワープロ代わりに使ってしまうデザイナー」と並んでよくある話なんじゃないかと思います。
一方、僕は昔から人一倍パワーポイント多用派です。理由はお絵描きがしやすいのと、描いた絵などを後でプレゼン資料としてそのまま使い回しやすいからです。さすがにソフトの仕様書全部をパワポで作るなんて事はしないですけど、各論の細かい仕様を外注さんに説明する場合は絵を中心にして説明した方が早いと思ったら、パワーポイントで絵を描いた後にそのまま箇条書きで文章まで一緒に追記して渡しちゃうこともありました。
こんな具合に僕はパワポにわりと好意的な方なんですが。そんな僕でさえどうかと思うような、「プロジェクトの概要から予算、スケジュール、ステークホルダーの関係などの情報をまとめた資料はなるだけパワーポイントで作るように」というお達しが最近お上から降りてきたのです。これまではエクセルで作られた官僚的で冗長なフォームがあって、それをブーブー言いながら埋めて資料を作ってきたのですが。今度はこれをなるだけパワーポイントにせよと言うわけです。
そりゃまぁ上の立場の人からすれば、自分がさらに上の人とか外の人に説明するときにも使い回せて便利なのでパワポで作れと言い出すのは分からんでもないですが。パワポって本来は口頭説明を伴う”プレゼンテーション”のためのスライドを作るためにあるものであって、スライドだけを見て内容が理解できるように情報を載せるのにはあんまり向いてないと思うのです。でもお上が言ってることは「口頭説明は一切無しでパワポだけ一人歩きしても理解できるように資料を作れ」ということのようなのです。

僕は「一人歩きできるようにパワポを作れ」ということ自体に明らかに反対ですが、少なくとも賛成・反対を論じれる程度には上の人が言わんとしていることは理解できるつもりではあります。でもこの件に関して賛成・反対を論じれる人って、世界的に見ると日本人を中心とした一部のマイノリティだけなんじゃないだろうか?と思うのです。つまり、日本人以外の世の中の大半は「パワポのようなスライドで一人歩きできるような資料を作る」という事に対して賛成・反対以前にそもそもそんなこと考えた事がなかったり、なんでそんなことを言い出すのか理解できないんじゃないかと思うのです。なぜかって、日本人の作るパワポってものすごく特殊だからです。
日本人が作るパワポは字がやたら多い上に、とっても細かい図が一杯載ってて複雑な漫画みたいに見える。というのは外国人からよく言われることなんですが。たぶんこうなる原因の一つは漢字を使っているおかげで日本語の記述がすごくコンパクトに済んでしまうために、スライドの端から端まで使えばそれなりに文章が書けてしまうということがあるんじゃないかと思います。twitterだって英語だと本当に一文だけつぶやいて140文字が終わりになるけど、日本語だと140文字あればそれなりの長文が書けてしまうのと同じことです。だから日本人はついつい文章を沢山パワポに書いてしまい、結果として一人歩きできるようにパワポを作ることも比較的やりやすいんじゃないでしょうか。もしそうだとすると中国人にも日本人と同様に字がやたら多いパワポを一人歩きさせるような文化が受け入れられる素地があるのかもしれません。
いずれにせよ、アルファベットなどの表音文字を使っている人達には漢字みたいな表意文字に比べるとパワポに文章を入れることは難しいので、パワポにはキーワードを列挙して細かいことは口頭で説明するだけにならざるを得ない傾向があると思います。結果として、口頭説明を前提としたキーワードの羅列で構成されたパワポの一人歩きは当然難しくなります。

日本に中間管理職が多すぎるのも「一人歩きできるようにパワポを作れ」というお達しがお上から降りてくる別の理由なんじゃないかと思います。彼らの仕事は基本的に自分の上下(と外)に挟まれて利害を調整することなんだろうと思うのですが。その際には上や外に向けて、現場で進んでいるプロジェクトについて説明する必要があるわけです。当然中間管理職の彼らは現場の担当者ほどの知識や情報を持つことは難しいわけで。だからこそ、それでも順番に読み上げればひとしきり説明が成立するようなパワポを彼らは欲しがるわけです。
しかし、どんなにパワポが一人歩きできるように作られていたとしても。僕は人一倍不器用なので、他人の作ったパワポそのままでプレゼンで喋るのは無理なんです。その昔、「資料はこっちで作るからプレゼンだけ君がやって」と頼まれてプレゼンをやったことがあったのですが。結局このときはもらった資料を全部いじって自分が喋りやすいように作り直したのでした。
このように、どんなに丁寧にパワポに文章を書いて一人歩きできるようにしたところで、結局は作った人の想定するストーリーなどの属人性が入り込んでしまうのが避けられないと思うのですが。一人歩きできるパワポを望む人達って他人の作ったパワポでそのまま喋れるんでしょうから、僕より器用で柔軟なのか、或いはそんな細かい事言ってられないくらい忙しいのか、どっちかなんじゃないかなと思います。

ありがちな「日本人だけが世界の中で特殊」という話形にあまり拘泥したくないですし、それを一ひねりしただけで「日本は外国と違っている=だからダメ」と大橋巨泉みたいなことを言うつもりも無いのですが。「一人歩きできるようにパワポを作れ」と言う彼らは、字ばっかりのパワポを作れるのは世界的に見るとたぶん少数派だということは理解してほしいなと思います。その上で、外国人に向かっても「一人歩きできるようにパワポを作れ」と言えるのであれば、それはそれで立派な御意見だとは思いますよ。
後でガイジンに説明する必要に迫られたときの使い回しまで考えたら、一人歩きは潔く諦めて最初から全部英語で作っておいた方が効率良いと思うんだけどな。。

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