これを書いている現在、2025年9月の最終日です。明日から10月が始まります。マー君が200勝をなんとか達成し、中川翔子が双子の男の子を出産し、大谷翔平はホームラン王にあと一本で届かず、そして明日から3000品目以上のアレやコレが値上げされるそうです。そんな中、自民党という一政党の内輪の選挙がまるで国政選挙のような勢いで連日報道されています。
これまでの歴史を振り返ると、自民党という政党は様々な人がいて、派閥などの複雑な力学が働いている中でも「利権」という共通の利害によって同じ屋根の下に収まっている時代が長く続いていました。これにはいい所も悪い所もあったとは思いますが、第二次安倍政権以降にこのような派閥の力学が無効化されたことが招いた災厄を考えれば、内部で程々にケンカしているくらいが自民党という組織のパフォーマンスが「一番マシな状態」だと考える事もできるかもしれません。
そんな総裁選の顔ぶれの中でも、ネトウヨ層から一番人気の高市早苗の「外国人が奈良の鹿を蹴り上げる」発言についてなのですが。。これが事実に基づいた発言であるかどうかはさておき、そうやって物事の一側面だけを取り上げることや、人間ではなく「奈良公園の鹿」という煽情的な話に持っていくところなども含めて、この人は政党や国のリーダーになるにはかなり問題があるのではないかと疑念を持たざるを得ないと思います。
昨今の日本の排外主義においては、これまでの中韓に加えて新たにクルド人が攻撃対象として注目されるようになりました。彼らに何も問題が無いとは思わないですが、彼らが日本に来るに至る背景、彼らがいないと解体などの現場が回らない日本、などのさまざまな理由が背景にはあるわけです。外国人排斥を訴える人の多くはこういう大局的な事情はさておき「奈良公園の鹿」のように煽情的な事案を引き合いに出してクルド人などの特定の外国人を排斥しにかかっているように思います。勝手な決めつけかもしれませんが、こういうのに乗せられる人達が「在日アメリカ軍」の特殊な「在日特権」を糾弾しているのを見た記憶が無いです。
「猿の惑星」という映画は、かつて栄華を誇った人類文明が没落して、人間が猿に支配される世界を描いたSFの名作です。「猿の惑星」に登場する猿の中には、人間を隣人として扱おうとする猿もいれば、人間を徹底的に見下して家畜同然に扱う猿も登場します。これはこの映画がつくられた当時のアメリカの人種差別を遠回しに表現していると思うのですが、現代における外国人排斥/受容という二極分化の問題は半世紀前から存在する問題とさほど変わらないことを物語っているようにも思います。
「猿の惑星」が我々に与えるもう一つの示唆は、「かつて栄華を誇った人類が猿に家畜として支配される」という「盛者必衰の理」だと思います。今の日本における排外主義の台頭を「猿の惑星」と重ねてみてみると、我々日本人は「猿の惑星」に登場する猿の側(支配する側)にいるようでいて、実は人間の側(没落して支配される側)に着実に歩みを進めているような気がしてならないのです。
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