2023年12月2日土曜日

進撃の巨人の完結に寄せて

このblogに進撃の巨人について書いたのは、もう10年も前になります。あれから10年間、何度となく続きが気になって仕方がなかったのですが、それでも漫画を読まずにアニメでだけ見るという事を続けてきました。漫画を買うお金や買った後のスペースの問題もさることながら、どうせアニメで見るんだったらそれまで漫画は読まないという大人のスタンスを10年間続けたのです。この10年間、エレンも僕も頑張りました。終わってみての感想がどうこうというよりも、長く続いたものが終わったという喪失感のようなものの方が大きかったです。

まず、最初に言うべきこととしては、当初の予定通り伏線をしっかり回収して「終わり切った」ということです。どれだけ最初にストーリーを考えているのかよくわからないですが、かなり最初からストーリーをちゃんと設計されていた作品だったのでしょう。原作の漫画はちゃんと読んだことないのですが、時系列が頻繁に入れ替わったりしていて、地ならしのシーンも割と早い段階で断片的に描かれたらしいです。行き当たりばったりで話を作っていたらさすがにこんなことはできないと思います。

そして、アニメの最終話は狙いすましたようにパレスチナ情勢とリンクする時期に公開されたと思います。現在のパレスチナ情勢は、(1)かつてナチスを含めて世界中で迫害されてきたユダヤ人がイスラエルを建国し、(2)今度はユダヤ人がパレスチナ人を迫害する…という歴史によってもらされました。かつてユダヤ人がかつてやられた迫害をそのままパレスチナ人にやり返しているようにも見えますね。

話は戻って進撃の巨人ですが。この作品におけるマーレ人とエルディア人の関係はナチスのユダヤ人迫害をモデルにしているらしいです。その結果として、エレンは地ならしで人類の8割を踏みつぶしてでも、エルディア人が国際社会から攻撃されずに存続できる世界を作ろうとします。これは(1)のイスラエルの建国になぞらえることができるのではないでしょうか?しかし、実際にはその計画は成就せずに、パラディ島も最終的には対外強硬派が勢力を伸ばして、(2)のような排外主義に向かうのをアルミン達が説得しようとする…というところで話は終わりました。

その先のエンディングでは、エレンの眠るパラディ島にも最終的には文明が発達し、最後はその文明も戦火によって壊滅する…という非常にペシミスティックなエピローグが展開されます。これには、未来少年コナンや風の谷のナウシカにおける宮崎駿の文明観に近い物を感じました。そもそも、巨人が炎の中を歩き回る「地ならし」は、絵面だけ見ると「火の七日間」そのものですよね。

物語の終盤でマーレ軍の司令官が地ならしに立ち向かう兵士に向けてこのように語りかけます。この言葉を発した司令官とアルミン達エルディア人が最終的に和解するところには少しだけ救いがあるようにも思いました。

この責任は我々すべての大人たちにある。
我々が至らぬ問題のすべてを悪魔の島へ吐き捨ててきたその結果あの怪物が生まれ憎悪を返しに来た。 
もしも再び未来を見ることが叶うなら二度と同じ過ちは犯さないと誓う。再び明日が来るのなら・・・。
 皆もどうか誓ってほしい。憎しみ合う時代との決別を互いを思いやる世界の幕開けを。
ここで私達の怪物との別れを・・・と。

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