2021年9月4日土曜日

角川文庫とオリンピック

これを書いている現在、 
  • 誰が見てもオリンピックと関係があるとしか思えない感染爆発が日本中に広がっている
  • 関東を中心に自宅療養という名目で医療崩壊が起きていて、とうとう感染者の妊婦が自宅で自力出産の末に赤ちゃんが亡くなるという事件まで起きた 
  • それでもパラリンピックは予定どおり開幕した
  • 一方で、フジロック開催の是非については賛否両論の議論になっている 
  • 自公政権への国民の不満が募る中、スガ首相のお膝元の横浜市長選で自民党惨敗→とうとうスガ首相が退陣を表明 

という状況です。 日本のテレビはコロナの被害を伝える一方で、オリンピック&パラリンピック関連のトピックについては依然として今まで通りはしゃいでいます。日本のテレビを見ていると、オリンピックを開催している日本という国は、今自分が生きている日本とはどこか別の場所にあるような気がしてしまいます。このように、日本全体が統合失調症のような状態に陥ってるのを見ていると、結局日本人の内的自己と外的自己の分裂という症状はオリンピックでは快癒することなどなかったのだということを思い知らされます。「オリンピックの開催=外的自己の満足」と「メダルラッシュ=内的自己の満足」で支持率が維持できるとスガ政権は考えていたようですが、これらはどちらも岸田秀が言うように「幻想」でしかないのです。「幻想」はコロナによる生命の危機や、生きる糧を奪われた飲食業の人々の問題を何も解決できません。結果としてスガ政権は散々強気で通した挙句にとうとう崩壊しました。

 「科学的に取り組むことを忌避する」、「人間の生存に関わる基本欲求を無視する」、そして何より「都合のよいストーリーだけしか考えていなくて、プランBが存在しない」という点で、今回の東京オリンピックは第二次世界大戦における大日本帝国と同じ問題を焼き直した形になりました。オリンピック開催前から、開催反対派はコロナが収束していない状況でのオリンピックを「インパール作戦」になぞらえて批判していましたが。オリンピック招致~コロナという一連の物語がスガ政権崩壊で終わろうとしている状況は、日本にとって何度目かの「敗戦」の状況にあると思います。この「敗戦」を受けて、政権に都合の良い姿勢を取り続けてきた日本のテレビも、さすがに一段空気が変わりはじめたように見えます。 

 先日、角川文庫の本を読み終わったら、巻末に昔からある角川源義の「角川文庫発刊に際して」を見つけたので、改めて読んでみました。「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった」から始まる文章を読んでいると、戦後70年経っても未だに日本人は何も本質的に変わっていないのではないかと思えてしまいました。特にコロナで浮彫になったのは、西欧や台湾のように科学を自分達の国の運営に活かしていけるほど成熟した文化レベルに日本が達していないということです。欧米ではコロナの感染拡大を防ぐためにロックダウンのような強権的な措置もとられましたが、その根拠やロックダウン終了のための数値目標などが政治家から示されていました。一方で、科学に対する社会的合意形成ができていない日本では、緊急事態宣言にともなって国民に対して政治からの「お願い」は出るものの、その根拠や解除のための数値目標は何も示されませんでした。

 あんまり救いの無いことを言っても仕方ないのでせめて前向きな話で終わっておきたいと思いますが、「角川文庫発刊に際して」を書いたときの角川源義のような人が少しずつでもいいからこの国をマトモにしてくれることを僕は願っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿