2019年8月4日日曜日

チャーシューメンに挑戦するラストチャンスかもしれない

# 例によって、なるだけ構えずに思いついたことをサラサラと書いてみるシリーズです。

長かった梅雨もすっかり明けて、本格的に暑くなってきました。あと一週間で夏休みに入ろうというところです。これだけ暑くなったというのに、ここ数日僕の頭の中ではこの天気とは真逆のラーメンについてずっと考えているのです。というのも、「人生経験としてチャーシューメンを食べてみるならそろそろラストチャンスなんじゃないか?」ということについてずっと考えてしまうのです。

そもそもラーメンという食べ物自体、お世辞にも体にいいとは思えません。つまりラーメンのおいしさの何割かは背徳の味だと言ってもよいでしょう。僕はそんな部分も含めてラーメン大好き人間なんですが、ラーメン屋では基本的に普通のラーメンを注文します。ワンタンメンは好きなのでメニューにあればたまに頼むことはあります。でも、チャーシューメンは頼んだことが一度もありません。

ラーメン屋でわざわざチャーシューメンを注文するには相応のポテンシャルが要求されるような気がするのです。チャーシューメンはなんだが、「お母さんに怒られそう」というか、ラーメン屋のメニューの中でも突出して背徳感が高いのです。ラーメンの食べ歩きblogを見ると「基本的にチャーシューメンを注文します」とか書いてあったりするのですが、こういう人は背徳への耐性が強いのか、若しくは自分の欲望に正直なのか、どっちにしても僕にはない資質を持っているように見えます。

しかし、40歳を超えたあたりからだんだんと胃腸や食欲が衰えていくのを感じる今日この頃、時々考えるのです。死ぬ前に人生を振り返った時にチャーシューメンを食べた経験がある人生とない人生のどっちがいいか?そう言われたら、そりゃチャーシューメンを食べた経験があった人生のほうがいいような気はします。

一方で、来るべきチャーシューメンを食べる機会があったとしても、それをおいしく食べれる能力を自分の体は失いつつあるんじゃないか?という危惧があります。これは正直に言うと単なる危惧です。本当にそうなのかわかりません。なにせ僕はチャーシューメンを食べたこと無いですから。。しかし、もしこの危惧が正しい、つまり、自分の消化能力とチャーシューメンの乖離は今後どんどん開いていく一方に向かうのであるとするならば、「もうチャーシューメンを食べるなら今しかない」というシンプルな結論になるのです。

チャーシューメンの問題は「お金持ちになったらおいしいステーキを食べてみたい」とか「一生に一度テレビに出てくるような銀座の寿司屋で寿司を食べてみたい」などとは近いようでちょっと違います。ラーメン屋はどこにでもあるし、チャーシューメンはラーメンより数百円払いさえすれば食べられるはずなんです。でも、問題は僕にとってはチャーシューメンを注文するという行為にはその数百円以上に高いハードルが横たわっているのです。

この「40歳を超えての遅咲きのチャーシューメンデビュー」についてここ数日真剣に考えています。問題はどこで食べるか、なのです。ラーメン屋はどこにでもあると言いつつも、最初で最後になるかもしれないチャーシューメンともなると、せっかく食べるならチャーシューがおいしいところで食べたいな。。

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