2019年1月14日月曜日

RIZAP的な詰め込みは”学び”と言えるんだろうか?

年明け以降、上司命令で東京のビジネススクールの講座に出張で通う羽目になりました。3月末までの間に数回の講座の度に新幹線に乗って出張しなければいけない上に事前に宿題が出たりと色々面倒この上ないのですが。どうしてもイヤというわけでもないので、今回は逆らわずに受けてみることにしました。新卒で入社して以来、大半の時間は社外の人とも接することなく過ごしてきたので。たまにはそういう場に出てみるのも悪くないと思ったわけです。
がしかし。1回目の講義を受けた段階で、もう既に次に行くのが正直なところ面倒になってきているのです。講義が始まる前は、隣の席におネイルがバッチリのお姉さん(仕事は超文系の総合職)が座ってたりしたので、ちょっとウキウキしていたのですが。講義が始まるなり講師の人が「皆さんで楽しく学びましょう!」と元気一杯に言い出して、そこからは乗せられた受講生が小学生のように手を挙げる…という展開が3時間続いたのです。

さすがに講師もプロですから、このあたりは手馴れたものだなと思いました。集団としての我々日本人は「互いに空気読みあって消極的になる」か、「幼稚園児みたいに従順になってはしゃぐ」の、どちらかしかできないということをつくづく思い知らされました。例えば、思春期くらいになると学校の音楽の授業ではお互いに空気を読みあってまともに誰もちゃんと唄おうとしないですよね?かたや、テレビで中高生の合唱の全国大会を見ていると、ヤバいクスリでもやってるんじゃないかと思うくらい目を見開いて恍惚の表情で歌ってる人がいますよね。我々日本人が集団として取りうる行動はこのどっちかしかないのではないかと思います。
「楽しく学ぶ」のは結構。でも、我々日本人にそれを言いっても、「うわついたりはしゃいだりせずに落ち着いて学ぶ」ということはどうしてもできないのです。このような「ハイ」な状態というのは短期的に情報を詰め込んで洗脳するに一番効率がいいのは認めるのですが、それは中長期的な「学び」を喚起するとは僕にはどうしても思えないのです。中長期的に学びを維持するためには「落ち着いて考える」ことを地道に繰り返すしかない。

本当の「学び」というのは教えられることを鵜呑みにするのではなく、「本当にそうかな?」「なぜそうなるんだろう?」と考えることの中にしか存在しないと思うのです。
これに対して、この手のセミナーは短期間で受講生の「何か学んだ・達成できたかのような気分」を最大化することだけが目的になっていて、結局やってることがRIZAPと変わらないと思うのです。講師の人の口ぶりを聞いてる限りでは、”ビジネス”という言葉さえ持ち出せば「洗脳による詰め込み」が正当化されると考えているような節があるのですが、「洗脳による詰め込み」って受講生の知性を見下してナメてるとしか僕には思えないのです。
一時的にハイになっている状態で学んだことの中に、後々臨終の間際に人生を振り返って「あれで人生変わった」と思えるようなことが含まれている事は絶望的に期待できないと思います。本来の意味での「学び」が起動すれば後はほっといても学び続けることになると思うのですが、ここで一時的にハイになってはしゃいでる人は講座が終わった後にそこから先を自ら学ぼうとはしないでしょう。せいぜい同じようにハイになって洗脳されることを「学び」だと思って自転車操業的に同じようなことを追いかけるんじゃないかと思います。

この講座の一番辛いところは、宿題として事前にやってきた課題(例えば「自分で企画書を作る」というようなものだと思ってください)を受講生同士で添削させられることなのです。なんとなく想像つくと思いますが、残念な人とペアにされると本当に苦痛な時間になってしまうのです。いきなり一回目でハズレをひきました。僕が作ってきた企画書は授業で教えられるような模範的な枠組みとはかなり違う構成になっていたのですが、残念なパートナー氏は僕がやってきた課題について何一つ褒めずに、授業で教えられたことを杓子定規に振り回して問題点だけを指摘してきました。
以下はそのとき僕が頭の中で考えてたことです。「あのさー、さっきから講義で言ってる話は『こういう風にした方がうまく行くことが多いよ』という経験則の話でしかなくて、その通りじゃないものはダメって言ってるわけじゃないはずなんだよ。どんなモデルやテンプレートにも適用可能な限界は必ずあるし、それだけが正解ではないんだよ。たぶんアンタ、自分の頭で考えてないことに自覚ないよね?あとさ、ダメ出しはしてもらって構わないんだけど、相手のいいところをいくつか見つけて褒めてバランス取るでしょ、普通?ダメ出しなんてアホでもできるんだけど、相手のいいところ見つけて褒めるほうがはるかに難しいんだよ。」

ちなみに「ビジネススクール」の講座は欧米のビジネススクールのものをそのまま教えているんだそうです。欧米人の思考様式や習慣という大前提が共有できていない日本人に表面的なテクニックとして欧米人の猿真似をやらせるからこんなことになるんだと思います。欧米人は例えばプレゼンなどに対して反対意見を述べるときでも、まずプレゼンした人の話のいいところを見つけて褒めるところから話を始めます。ビジネススクールは、まずこういうところでの「欧米人のフォーム」を教えることから始めてくれないかな。。

あと数回、先が思いやられる。。

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