2018年9月8日土曜日

犠牲の物語としての高校野球

9月に入りました。まだ頭は夏休みボケの尾を引いたままなのですが、そうこういってる間にもだんだん涼しくなってきたので、これ以上話題の鮮度が落ちないうちに夏の高校野球の話をしたいと思います。今年の夏休みは奥様の妊娠中以来くらいで「泊りでのお出かけが無い夏休み」になってしまいました。どこかに泊りで行こうかと検討はするものの、どうしても「高い、暑い、混んでそう」なのはどこも一緒なので。だったら9月くらいの普通の土日にどこかに旅行に行った方がまだマシだろうと思うと、結局どこにも行く気になれませんでした。
そんなこんなで、どこにも行かない夏休みの間はほぼ毎日高校野球をぼんやり見ていました。僕は高校野球及びその頂点である甲子園については「どうかと思うことの方が多いけど、結局見ちゃう」のです。あんなに高校生を朝から晩まで毎日野球漬けにしたり、後の選手生命を台無しにするほどまで連戦で体を酷使するののが本当に「教育」なのか?とか、色々と思うのですが。でも、結局毎年見ちゃうのですね。

さて。決勝戦の金足農業と大阪桐蔭の試合は何から何まで好対照な両者の対決となりました。少年ジャンプのような金足農業の快進撃を期待しながらちょっとみんなワクワクしていたのに、蓋を開けてみたら大阪桐蔭の圧勝で終わって何か空虚な感じが残ってしまいましたね。あの決勝戦を見てて思い出したのは、小田嶋さんが昔言っていたように、高校野球は犠牲の物語であるという話です。まず見た目に「犠牲」が分かりやすいのは金足農業です。ピッチャーの吉田君はずっと連投で疲れ果てていたせいもあって、大阪桐蔭の打線を抑えることはできませんでした。これは「連投で体を酷使する」という犠牲の物語です。
一方の大阪桐蔭ですが。こちらは選手層も厚くてピッチャーも複数人いるようなチームです。はたから見ると金足農業に比べて余裕たっぷりに見えますが、大阪桐蔭、強さの秘密は過酷な寮生活 外出禁止、楽しみは月1の“コンビニ旅行”というウェブ上の記事を読んで納得しました。彼らも普通の高校生としての生活を犠牲にしているのです。コンビニさえ自由にいけないということは恋愛なんて尚の事無理なんでしょう。そんな生活を3年間も続けることで、彼らだって多大な犠牲を払っているのです。

大阪桐蔭(ワルモノ側)に金足農業が挑戦するという少年ジャンプ的な展開に対して日本人があそこまで盛り上がらずにはいられなかったことも、色々な示唆に富んでいると思います。昔から「判官びいき」という言葉に見られるように日本人が劣勢にある側を応援したがる心的傾向を持っていることはもちろん背景の一つとしてはあると思います。
しかし、どうもそれだけではないような気がするのです。以前から提唱している、「高校野球は旧日本軍を慰霊するために奉納される能である」という観点からすると、金足農業と大阪桐蔭の圧倒的な戦力差は第二次世界大戦における日本とアメリカの関係を再現しているように見えてならないのです。だからこそ「大阪桐蔭=ワルモノ=アメリカ」に「金足農業=日本」が挑む物語をどうしても日本人は応援したくなってしまったということなのではないでしょうか?

しかし話は「大阪桐蔭=アメリカ」という短絡的な話でもないんだと思います。大阪桐蔭はアメリカの代理表象というよりは「日本式メソッドで強力なアメリカみたいな軍事大国にのし上がった、架空の日本」なのではないでしょうか?こう考えると、あの決勝戦は「大阪桐蔭=あの時になりたかったけどなれなかった架空の日本」と「金足農業=あの時の日本」の戦いだったことになります。このように、あの決勝戦は精神分析的には非常に興味深い試合だったと思います。
以上、今回のblogは「こんな感じの事を誰かが書いてくれないかなと思って毎日twitterとかで検索してみたけど誰も言及しないから自分で書いてみた」というよくあるパターンです。そろそろこういうハッシュタグ作ろうかな。。

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