2017年1月3日火曜日

日本人は非常時に向き合うことができない

これも2016年中に書こうと思っていたことを2017年の正月に書いています

これを書いているのは博多駅の陥没事故から一か月ちょっと経った2017年の正月です。本当はこの事故が起きた直後にこれについて書きたかったのですよ。でも、アレやコレをどうこうしているうちに気が付いたら年が明けてしまったのです。
さて。この事故から、たったの一週間で復旧したのは確かにスゴいと僕だって思います。でも、その背景には作業員が24時間夜を徹して作業してでも「早く、便利に」のために奉仕することに誰も異議を申し立てないというお国柄があるわけです。このお国柄は、電通などの過労死問題やamazonの無料配達で運輸会社の現場が疲弊している件などと表裏一体の関係にあるのではないでしょうか。イギリスは半年かかったといった「日本スゴイ記事」がありましたが、見方を変えれば日本では労働者がちゃんと保護されていないとか、イギリス人はその程度の不便をみんなで引き受けられる程度に社会が成熟しているとか、そういう風にも考えられるのではないかと僕は思います。

では、「働きすぎ日本人」という表面的な問題からもう一段掘り下げて「なぜそこまでしてまで復旧を急がなければいけないと日本人は思うのか?」ということについて考えてみたのですが。その結論として、タイトルにもあるように「日本人は非常時に向き合うことができない」のではないか?というのが本稿の趣旨です。地下鉄工事の場合は、事故という非常時に対して向き合うことができないから、夜を徹して工事をして一刻も早く「元に戻してなかったことにしたがる」のではないでしょうか?
ちょっと話題が飛びますが、別の具体例として会社の避難訓練の話をします。わが社では年二回避難訓練がありますが、伝令係やケガ人の救護係など、役割構成が規定されたマニュアルに準じて火災や地震などの避難訓練が行われなます。でもこの精緻な役割構成は、災害によってナントカ係の人がケガをして動けなくなるという可能性や出張・休暇でその場に居ないという可能性が全く考慮されていません。本当に災害への対策を考えるなら、せめてナントカ係が負傷で動けない場合に誰が代わりを務めるかということをその場で判断するような訓練をしないと意味を成さないでしょう。でも、そんなリアルな避難訓練を日本人はやろうとしないのです。
日本人は災害を恐れていて、常に災害に対して備えている。ここまでは事実なのです。でも、日本人の災害対策は単一のシナリオに沿って「すべて想定の範囲内で上手くいく」ことだけを前提にして、そのシナリオに過剰適応した準備だけを行って他のオプションや想定外の事態への対応を「考えないようにしてしまう」のではないでしょうか。つまり、日本人は本当の非常時に対して事前準備の段階ですでに向き合うことを放棄しているわけです。そして、いざ非常時になってみたらやっぱり非常時そのものと向き合うことから逃げて「とにかく一刻も早く元に戻して、非常時自体をなかったことにする」ことだけに執着してしまうのではないでしょうか。
少し脱線しますが、これは牧歌的な作戦計画のせいで戦死者のうち約6割は餓死や病死だった旧日本軍や、原発=一神教の神との付き合い方を根本的に間違えた末に原発事故という大災害を招いたといった過去の事例にも通じる日本人の病のようなものだと思います。


「日本人は非常時に向き合うことができない」というのは、改めて整理すると二つの要素に分解できると思います。
・非常時をリアルにシミュレートして柔軟な対応策を二重三重に検討することができない
・いざ非常時になったら、「無かったことにして元通りの生活に戻る」ことにだけ執着する
高橋源一郎は「非常時の言葉 震災の後で」という著書の中で、後者に対する違和感について言及しています。震災という「あの日」が日本人に何をもたらしたのか、非常に鋭い指摘をしています。とても味わいのある文章なので、ちょっと長いけど引用してみます。


「あの日」から、世界のどこかに歪が入ってしまったか、小さな、目に見えないような、ひびがはいってしまったのだ。
その理由のいくつかについては、少し前に書いたような気がする。
おそらく、ぼくたちは、気づいてしまったのだ。ぼくたちが生きている世界は、僕たちがなんとなくそう思ってきた世界より、ずっと、傷が多いことを。多くの欠陥を持っていることを。いや、ほんとうは、薄々、そんな気がしてきたのに、知らないふりをしていたのかもしれない。
いまでも、ぼくたちは、世界がどんな風にできているのか、世界でなにが起きているのかを、正確に知っているわけじゃない。でも、突然、目の前の「壁」にできた、近づいて見ないとわからないほどの、小さなか隙間から、冷たい風が吹いてくるのを感じている。
そして、その風を浴びると、「あの日」の前のように、はしゃぐことができないのである。

別の個所からもう一つ引用してみます。

たとえば「愛国心」というものが国旗に象徴されるなら、人びとは、翩翻とひるがえる旗を見上げながら、愛国の気持ちにうち震えるのである。その時、人びとの視線は、「上」に向かう。そして、そのことによって、昂然たる感覚に、人びとはとらわれる。
リンカーンの直前に演説したエヴァレットは、人びとの視線を「上」に誘導した。エヴァレットの「文章」は、人びとを、熱く高揚させるものだった。
だが、リンカーンは、その直後に現れて、人びとに「足下」を向くようにと呟き、聴衆を落胆させてしまったのだ。
この短い「文章」の中で、リンカーンは、ただ「死者」のことだけをしゃべっている。「死者」はどこにいるのか。彼らは「足下」の大地に、眠っている。そして、「私たち」は、その「死者」の眠る大地に「根を張る」必要があるのだ、と。

「あの日」から、多くの文章が読めないものになったのは、ぼくたちが、「死者」を見たからだ。いや、この目では見なかったかもしれないが、「死者」たちの存在を知ったからだ。僕たちが生きている世界は、ぼくたち生きている者たちだけの世界ではなく、そこに、「死者」たちもいることを、思い出したからだ。
「上」を向く文章は、そのことを忘れさせる。「下」に、「大地」に、「根」のある方に向かう文章だけが、「死者」を、もっと正確にいうなら、「死者」に象徴されるものを思いださせてくれるのである。

2014年にはしゃぎたがる日本人と題して、3.11以後の日本人がとにかく「はしゃぎたがっているように見える」ということを書いたのですが。その当時僕が言わんとしていたことを「上を向く」「下を向く」という言葉で高橋源一郎は的確に言い当てていると思います。例えば「おもてなし」とか「クールジャパン」とか「オリンピック」とか「日本スゴイ」とか、どれも僕には「上を向きたがる=はしゃぎたがる」ように見えるのです。これだけ3.11以降日本人が上ばっかり向きたがる理由は、足下に埋まっている死者、そして未だに日本は「震災後」という「非常時」が続いているという事実と向き合うことから逃げたいからなのではないでしょうか。
「上を向く」「下を向く」という言葉の比喩の通り、博多駅の陥没事故は我々の目を再び地面の下に向けさせました。それに対して日本人は「夜を徹して作業してでも元に戻してなかったことにする」→「一週間で復旧」→「日本スゴイ」と、病的とも言える熱意をもって最速で再び上を向きました。
でも、ずっと上ばかり見ていたがるのではなく、下を向いて死者について思いを馳せたり、未だに放射能が漏れ続ける原発の廃炉について考えてみることも必要ではないでしょうか?そして、来るべき未来の非常時にもちゃんと対応できるように準備をすることこそ日本に必要なのではないかと思います。あんまり希望の持てる結論にならなくてなんだか申し訳ないのですが、このペースで行くと次の非常時には本当に日本という国家が壊滅するくらいのことが起きそうな気がするのです。

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