2024年6月30日日曜日

村上隆とキャラと空也(1)

 4月からの体制変更やアレやコレの余波で、相変わらず息をつく暇がないくらい毎日が忙しいです。正直言うと、今貰ってる給料に対して割に合わないくらいの忙しさになってきました。下っ端とはいえ一応管理職なので、一般社員よりはちょっとだけ給料がよいのですが。。その差分と仕事量を考えると、これは割に合わないのではないか?と思うようになってきました。

さておき、これだけ忙しくなってしまうと、その反動で土日に出張を入れてでも気分転換したくなってしまうのです。一応申し上げておきますと、我が社は管理職の休出に対して代休取得を義務付ける制度がございません。なので、土日に休出したところで代休をとることも無いまま月曜日また出社することになります。。 それでもどこかに行かないとやってられない気分になってしまったのです。

 そんなわけで、二週間前に京都へ果敢な土日出張に行ってまいりました。出張そのものはさておき、そのついでに色々と見て回る中で、村上隆の展覧会にも行ってしまいました。村上隆の立ち位置についてはいくらでもネットを参照すれば情報が取れるのでわざわざ僕が説明する必要もないのですが、毀誉褒貶の激しい、物議を醸すタイプの人ですね。個人的には、美術方面にそれなりの心得がある人と会話していて村上隆についてポジティブなコメントをしている人に会った記憶がありません。

 今回の展覧会では、洛中洛外図や風神雷神図など、日本の伝統美術の名作をモチーフにした作品が多く展示されていました。村上隆は若かりし頃に日本画家を目指して挫折したらしいのですが、その古傷に向き合おうとしているにも見えて、どちらかというと「都合のいい搾取」というよりは「内省」というニュアンスを感じ取りました。

そして今回展覧会を見て一番印象に残ったのは、展覧会の解説の中の以下の文章でした。村上は、日本のキャラクター文化が発展し、世界を席巻した理由は、敗戦国の悲哀を抱えた日本人の魂の震えが共感を呼んでいるのだと言います。村上のキャラクターもまた、世界が疫病や戦争などで不穏に変化していく兆しをとらえ、形象化した現代の「もののけ」たちなのかもしれません。

 これには結構納得がいきました。村上隆のキャラクターは単にかわいらしいだけでなく、残酷さ、攻撃性、哀切などのネガティブな要素も兼ね備えているように思います。村上隆はかつてアメリカで「リトルボーイ」という展覧会を開催したこともありました。キャラクターやオタク文化を芸術の文脈で扱ってきた村上隆にとって、自身の作風が「敗戦国としての日本」や「アメリカの属国としての日本」に繋がっていることはどうしても避けて通れなかったのだろうと思います。

 ただし、「キャラクター」を単に「敗戦」にだけ帰結させるのはちょっと違うような気もするのです。古来より日本人はネガティブな感情を直接表現するのではなく、婉曲的にしか表現することができなかったのではないでしょうか?だからこそ、そのための回路として妖怪やキャラクターなどが日本には大昔から存在したのではないかと思います。

 というわけで、村上隆に対する印象が思ったより良くなった…と思って帰ろうとしたら、最後の物販コーナーでキャラのグッズがすごく高い値段で売られてるのを見て、「いや、やっぱりちょっとこれはなー。。」と思ってしまいました。中学の時に古文の授業で習った徒然草の「この木なからましかば」のような気分とともに、会場を後にしました。

 村上隆について書いてるだけで長くなったので、空也の話は分けて書きます。

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