2024年6月30日日曜日

村上隆とキャラと空也(2)

 忙しすぎるあまりに、自分で自分の首を絞めるのをわかっているようなものなのに土日に出張を入れて京都に行ってきた話の続きです。

 村上隆の展覧会の後に、六波羅蜜寺という寺にふらっと立ち寄りました。ホテルに預けていた荷物を取りに行ったら、帰りの新幹線までまだ時間があるので、何があるのかも全く知らないままホテルの近所にあった六波羅蜜寺に行ってみた…とか、その程度のノリで行ってみたのです。すると、そこには入館料が別途必要な博物館のようなコーナーがあって、その中に空也上人像があったのです。あの教科書に載っていた、口から阿弥陀様が並んで出てくる空也上人像です。実寸の3/4くらいの微妙なサイズの空也上人像に僕は惹きつけられてしまいました。

 なぜ空也上人像にこれほどまでにグッと来てしまったのか、その後もずっと考えてしまいました。自分なりの結論としては、おそらく空也上人像は日本ではあまりお目にかからない「人」の「哀切」を写実的に描いていることに衝撃を受けたのだと思います。日本では「像≒仏像」と言っていいくらい、人の像というものは大変希少です。もしあったとしても空也上人像のように哀切をたたえた表情の像はほとんどお目にかかりません。

「苦」や「哀切」の表情を浮かべた空也上人の像は、苦しみの表情を湛えながら全人類の罪を贖うキリストの像にどこか似ているように思いました。単に見た目の問題だけではなく、市井の人々が救われるための教えを説いて回って「市聖」と呼ばれた空也は、「神の愛」を説いて回ったキリストと重なります。空也をその後の鎌倉新仏教の祖とするならば、一神教的な性格を持った鎌倉新仏教の祖である空也がキリストに見えたのは、偶然ではないと思います。

その一方で我が国の像≒仏像についてですが。みうらじゅんに言わせれば、仏像は全部「外タレ」だそうです。ここでやっと村上隆の話につながるのですが、これは村上隆の文脈での「キャラクター」そのものなのではないかと思います。 仏像は喜怒哀楽の表情が実に豊かですが、大昔から日本人はこのようなキャラクターを通して、人間の感情を迂回して表現してきたのではないでしょうか?こんなことを千年以上に渡って続けてきたのですから、日本人がどうしても「キャラクター」に依存してしまうのもなんだか納得できるように思いました。

村上隆とキャラと空也(1)

 4月からの体制変更やアレやコレの余波で、相変わらず息をつく暇がないくらい毎日が忙しいです。正直言うと、今貰ってる給料に対して割に合わないくらいの忙しさになってきました。下っ端とはいえ一応管理職なので、一般社員よりはちょっとだけ給料がよいのですが。。その差分と仕事量を考えると、これは割に合わないのではないか?と思うようになってきました。

さておき、これだけ忙しくなってしまうと、その反動で土日に出張を入れてでも気分転換したくなってしまうのです。一応申し上げておきますと、我が社は管理職の休出に対して代休取得を義務付ける制度がございません。なので、土日に休出したところで代休をとることも無いまま月曜日また出社することになります。。 それでもどこかに行かないとやってられない気分になってしまったのです。

 そんなわけで、二週間前に京都へ果敢な土日出張に行ってまいりました。出張そのものはさておき、そのついでに色々と見て回る中で、村上隆の展覧会にも行ってしまいました。村上隆の立ち位置についてはいくらでもネットを参照すれば情報が取れるのでわざわざ僕が説明する必要もないのですが、毀誉褒貶の激しい、物議を醸すタイプの人ですね。個人的には、美術方面にそれなりの心得がある人と会話していて村上隆についてポジティブなコメントをしている人に会った記憶がありません。

 今回の展覧会では、洛中洛外図や風神雷神図など、日本の伝統美術の名作をモチーフにした作品が多く展示されていました。村上隆は若かりし頃に日本画家を目指して挫折したらしいのですが、その古傷に向き合おうとしているにも見えて、どちらかというと「都合のいい搾取」というよりは「内省」というニュアンスを感じ取りました。

そして今回展覧会を見て一番印象に残ったのは、展覧会の解説の中の以下の文章でした。村上は、日本のキャラクター文化が発展し、世界を席巻した理由は、敗戦国の悲哀を抱えた日本人の魂の震えが共感を呼んでいるのだと言います。村上のキャラクターもまた、世界が疫病や戦争などで不穏に変化していく兆しをとらえ、形象化した現代の「もののけ」たちなのかもしれません。

 これには結構納得がいきました。村上隆のキャラクターは単にかわいらしいだけでなく、残酷さ、攻撃性、哀切などのネガティブな要素も兼ね備えているように思います。村上隆はかつてアメリカで「リトルボーイ」という展覧会を開催したこともありました。キャラクターやオタク文化を芸術の文脈で扱ってきた村上隆にとって、自身の作風が「敗戦国としての日本」や「アメリカの属国としての日本」に繋がっていることはどうしても避けて通れなかったのだろうと思います。

 ただし、「キャラクター」を単に「敗戦」にだけ帰結させるのはちょっと違うような気もするのです。古来より日本人はネガティブな感情を直接表現するのではなく、婉曲的にしか表現することができなかったのではないでしょうか?だからこそ、そのための回路として妖怪やキャラクターなどが日本には大昔から存在したのではないかと思います。

 というわけで、村上隆に対する印象が思ったより良くなった…と思って帰ろうとしたら、最後の物販コーナーでキャラのグッズがすごく高い値段で売られてるのを見て、「いや、やっぱりちょっとこれはなー。。」と思ってしまいました。中学の時に古文の授業で習った徒然草の「この木なからましかば」のような気分とともに、会場を後にしました。

 村上隆について書いてるだけで長くなったので、空也の話は分けて書きます。