忙しすぎるあまりに、自分で自分の首を絞めるのをわかっているようなものなのに土日に出張を入れて京都に行ってきた話の続きです。
村上隆の展覧会の後に、六波羅蜜寺という寺にふらっと立ち寄りました。ホテルに預けていた荷物を取りに行ったら、帰りの新幹線までまだ時間があるので、何があるのかも全く知らないままホテルの近所にあった六波羅蜜寺に行ってみた…とか、その程度のノリで行ってみたのです。すると、そこには入館料が別途必要な博物館のようなコーナーがあって、その中に空也上人像があったのです。あの教科書に載っていた、口から阿弥陀様が並んで出てくる空也上人像です。実寸の3/4くらいの微妙なサイズの空也上人像に僕は惹きつけられてしまいました。
なぜ空也上人像にこれほどまでにグッと来てしまったのか、その後もずっと考えてしまいました。自分なりの結論としては、おそらく空也上人像は日本ではあまりお目にかからない「人」の「哀切」を写実的に描いていることに衝撃を受けたのだと思います。日本では「像≒仏像」と言っていいくらい、人の像というものは大変希少です。もしあったとしても空也上人像のように哀切をたたえた表情の像はほとんどお目にかかりません。
「苦」や「哀切」の表情を浮かべた空也上人の像は、苦しみの表情を湛えながら全人類の罪を贖うキリストの像にどこか似ているように思いました。単に見た目の問題だけではなく、市井の人々が救われるための教えを説いて回って「市聖」と呼ばれた空也は、「神の愛」を説いて回ったキリストと重なります。空也をその後の鎌倉新仏教の祖とするならば、一神教的な性格を持った鎌倉新仏教の祖である空也がキリストに見えたのは、偶然ではないと思います。
その一方で我が国の像≒仏像についてですが。みうらじゅんに言わせれば、仏像は全部「外タレ」だそうです。ここでやっと村上隆の話につながるのですが、これは村上隆の文脈での「キャラクター」そのものなのではないかと思います。 仏像は喜怒哀楽の表情が実に豊かですが、大昔から日本人はこのようなキャラクターを通して、人間の感情を迂回して表現してきたのではないでしょうか?こんなことを千年以上に渡って続けてきたのですから、日本人がどうしても「キャラクター」に依存してしまうのもなんだか納得できるように思いました。