2023年7月2日日曜日

「Majiで引退する5秒前」でもいいんじゃないかな?

前回の続きで、ヒロスエの話です。タイトルが何のことだかわからない人は、「MajiでKoiする5秒前」でGoogleで検索してみてください。

 90年代後半のヒロスエの存在感は群を抜いていました。あそこまで誰もがMajiでKoiしちゃいそうな絶対的なアイドルはヒロスエの後に見たことがないです。あれからヒロスエはパッとしない男と結婚して子供を産んで、また再婚したりしてきましたね。その傍らで、特に演技が上手なわけでもないのにドラマに出て…四半世紀ほどの時間をかけて彼女は絶対的なアイドルから「普通の芸能人」のレベルまで降りてきたのではないかと思います。これは、きっぱり引退した山口百恵とも、いつまでも半端にアイドルでいようとし続けた松田聖子とも違うキャリアパスだと思います。言うなれば、ヒロスエは「人間宣言」をして特別なポジションを自ら降りることを選んだのです。

このヒロスエの四半世紀に渡るキャリアパスについては、日本のテレビも共犯関係にあると思います。今になってヒロスエを未だに四半世紀前の「絶対的な存在」だったことにして騒ぎ立てているのはズルいんじゃないかなー?と僕は思います。政治家の不祥事のマスキングなど、そこまでしなきゃいけない理由が何かしらあるのではないかと勘繰ってしまわざるを得ないですよね。猿之助を今更になって逮捕しているのもその文脈のような気がします。それでも、ヒロスエがこれを期に日本の芸能界から引退して鳥羽シェフと二人で幸せに暮らすなら、それでもいいんじゃないかな?という気がします。それはそれで四半世紀に渡る彼女の「人間宣言」の集大成と捉えることができるのではないでしょうか。

ヒロスエそのものについては以上で終わりなのですが、この件についてキッチュこと松尾貴史が非常にマトモなことを言っていました。
昔は「浮気」と言っていたのがいつの間にか「不倫」という言葉の方が一般的になったけれど、当事者にしかわからない状況や事情があるだろうから他人がその人の倫理についてとやかく言うことではないと思います。そして、秘め事の私信を世間に晒すということの方がよほど倫理に悖ることではないですか。
かつて日本のワイドショーは不倫なども含めて連日芸能人の恋愛などのネタを毎日のようにつつきまわしていました。あれはあれでどうかとも思いますが、当時は芸能人の存在自体がとても特別なものであり、「庶民が芸能人の恋愛をコンテンツとして消費している」という世界でした。

大昔の石田純一の「不倫は文化」発言も、「特別な芸能人」である石田純一の言動として話題になったと言えるでしょう。それなりの騒動にはなりましたが、だからといって石田純一は決定的にテレビから干されるようなことにはならなかったわけです(その後自民党にアンチな姿勢を出したところテレビに干されたのですが)。しかし、いつからでしょうかね?たぶんゲスとベッキーくらいからではないかと思いますが、この国では芸能人の不倫は「いじめコンテンツ」として庶民に消費されるようになりました。

ちなみに件の「不倫は文化」発言の際に、それについてビートたけしがコメントを求められたところ、「最後はカミさんに頭下げて『ごめんなさい』って言うようなもんだと思うけどな…」という趣旨のことを言っていたのを覚えています。今になって思うと、ビートたけしは「不倫」ではなく「浮気」の話をしていたのだと思います。両者の何が違うかと言うと、
浮気:可否を決めるのは当事者だけであり、なんだかんだで最後は許してもらえる
不倫:社会が断罪するものであり、許してもらえない(=いじめコンテンツ化する)
という事だと思います。

この国からはいつの間にやら浮気が姿を消して、不倫だけが残ってしまいました。

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